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評者◆睡蓮みどり
映画雑誌と謝罪について――謝罪は終わりではなくはじまりにすぎない
No.3626 ・ 2024年02月03日




■どうしても書いておかなければならないことがある。新作の紹介をせずに、この連載の場をお借りしたのは2022年、私自身が映画界で受けた性暴力について書いて以来だ。今後も映画について何かしら書き続けるならば、自身が映画界で経験したことを受け止めて書かねばならない。そんな衝動に駆られて、きちんと残るように書いた。それが当時できる抵抗だった。



 先日、復刊した『映画秘宝』から取材を受けた。「緊急取材 日本映画のパワハラ・セクハラについて」というタイトルだ。内容としては主に過去の『映画秘宝』の問題点を明確にし、それに対する謝罪とこれからについての話になった。『童貞。をプロデュース』における松江哲明による加害を告発した映画監督の加賀賢三さんとの共同取材でもあり、彼に対して『映画秘宝』の前々編集長が行った二次加害について紙面上で謝罪する場でもあった。少し後に、芸人の水道橋博士と映画評論家の町山智浩さんのYouTube番組に加賀さんと撮影監督の早坂伸さんと私とで出演した。こちらも加賀さんへの二次加害に対する謝罪がメインになると思われ、私自身は加賀さんの支援者としてその場にいようと思った。謝罪といえど、加害した相手と被害を受けた側だけにしてしまうのは危険だ。
 間違ったら謝罪する。これは至極当然のことのように思われるが、世間ではそうではないらしい。謝ったら「負け」かのような風潮がいまだにある。そもそも勝ち負けの話ではないのに。「論破」とかくだらない価値観が意味あるものとして蔓延っているからなのか、もしも裁判になったときのための「保身」なのか。謝罪は終わりではなくはじまりにすぎない。受ける側が許さなければならないなんてこともなく、そのタイミングを決めていいのはあくまでも被害を受けた側だ。



 そしてもうひとつ、『映画芸術』について、書いておかなければならない。昨年2023年の10月に、私はやりとりをしていた『映画芸術』編集部の方にメールを出した。過去に掲載された記事「文芸評論家・渡部直己はなぜ、早稲田大学文学学術員教授を「解任」されたのか」(2019年7月30日号、インタビュアーは詩人の稲川方人氏)についてだ。ざっくりいえば、あのような記事を掲載したことについて紙面上で被害当事者である詩人の深沢レナさんに対して謝罪してほしいという旨を伝えた。
 補足すると、私はかつて早稲田大学の第二文学部というところにいた。加害者である渡部直己元教授の弟子筋にあたる人の教え子であり、渡部氏とも面識がある(向こうは覚えていないだろうけれど)。早稲田大学の文学部に蔓延る雰囲気がどのようなものであったかは身をもって知っている。そして私は二度、『映画芸術』に寄稿している。問題の記事が掲載された後の話だ。
 なぜ書いたのかということに関して、これは大変言い訳がましくなるが、そうした背景を書かないとフェアではないと思ったので迷ったが書くことにする。ひとつは編集長であり脚本家の荒井晴彦氏の作品に感銘を受けてきたということだ。かつてどうしても作りたい映画があり、そのプロジェクトで脚本を荒井さんに依頼もしている(実現はし
ていない)。尊敬や憧れの念が確かにあった。他にも、同じ紙面に名前が並ぶということで、同じ言論の場で対抗できる可能性があると思ったからだ。「信頼しているあの人もここに書いているのだから大丈夫なのではないか」という勝手な安心感と、理由づけをしたことも事実だ。告発後に仕事が増えているどころか減っていく状況のなかで「雑誌に書く」ことに期待した部分も否めない。つまり保身だ。
 私はあるケースにおいて被害当事者という立場でありながら、別の件での被害当事者である深沢さんに対して、慮る力が欠けていたと思う。だから少なくともいま、仮に新しくオファーが来たところで『映画芸術』に書くことはできないし、最初からそのような判断をすべきだったと思っている。その後、深沢さんと直接話す機会もあり、自分がしてきたことの問題点を深く反省した。少しでも書き手として携わった身として、できることは『映画芸術』に対して正直に伝えることだった。
 『映画芸術』が誌面という場に加害者の言葉「だけ」を掲載した記事を残したことで「論拠」というかたちとして裁判に提出され、彼女が大変な被害を被らざるを得なかったこと、読みたくもないのに読まざるを得なくなったことがどれだけ彼女を苦しめたか。どれだけの二次加害であるか。詳しくは「大学のハラスメントを看過しない会」のサイトに掲載されている2022年9月21日の記事「陳述書 第7 告発/34さらなる被害」を読んでいただきたい。松本人志の言い分だけを掲載した雑誌があったらどう思うのか? ワインスタインの言い分のみを掲載した紙面をどう思うのか? どうしてそれが近しいところにいる人間だと対応が変わってしまうのか。
 私がメールを出して以降、編集部と稲川氏とで話し合いが行われたという報告は受けた。ただ、どのような話し合いが行われたのか、その詳細は知らない。2019年に問題の記事が出て、2022年には映画業界でも性加害問題が明るみに出た。それを受けてまだ変わらないのだろうか? あのことだけは「なかったこと」にして、このまま雑誌を出していくつもりなのか? 少なくとも今日の段階で、要望したような謝罪文の掲載はなされていない。ひとつ補足すると、やりとりをしている編集者の方には大変真摯に対応していただき、その方には感謝している。
 私はそもそもハラスメントや性暴力の構造に最近まで気づくことができなかった側の人間だ。2022年の自身の告発まで気づかなかった。構造のなかに取り込まれ、なんなら助長してしまってきた側の人間だ。私はあらゆる面で気づくのが遅すぎた。加賀さん、そして深沢さんがいち早く気づき闘ってきたことに対して、心から尊敬しているし、その真っ当さゆえに、どれだけ苦しかっただろうかと思う。先日の記者会見で「孤独は人を殺す」と加賀さんが言った。「お願いです。観客席にとどまらず、フィールドにおりてきて、わたし/わたしたちといっしょになって、被害者の側に立って、戦ってくれませんか」。深沢さんはそう書いた。本来お願いなんてしなくていい立場なのに、誰も聞く耳を持ってくれないからお願いせざるを得ないのだ。そう言わせてしまうことが悔しくてたまらない。彼女たち彼らの言葉を聞けないようなやつが、リベラルなんて気取るなよ。映画雑誌は何ができるのか。映画雑誌に限らず、メディアは何ができるのか? 書き手は何ができるのか。いまも現在進行形で突きつけられている。
(俳優・文筆家)







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