書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆粥川準二
効果的な利他主義・加速主義、長期主義。そしてトランスヒューマニズム――偽情報による「悲劇の現金化」の行き着く先は
No.3623 ・ 2024年01月20日




■昨年一一月、ChatGPTを開発した企業として知られるOpenAI社のCEOサム・アルトマンが突然解任されたものの、数日後に復帰したという「内紛」が広く報じられた。その背景を解説する記事を読んで驚いた。その背景には「思想」的な対立があり、その両サイドとも優生主義に近いらしいと知ったからだ。いまのところChatGPTなどの生成AIは筆者にとっては遊び相手にすぎないが、それらを開発したり推進したりする者たちは、筆者がこれまで論じてきたゲノム編集や出生前診断と無関係ではない、ということだ。
 OpenAIの内紛の背景には、それぞれ「EA」、「e/acc」と呼ばれる思想的立場の対立がある。
 EAとは「効果的な利他主義(Effective Altruism)」の略で、収入の一〇%以上を「可能な限り費用対効果の高い慈善団体に寄付」することを誓約したコミュニティがあるという。ITジャーナリストの星暁雄によれば「EAのコミュニティはAIを警戒する立場」をとっている(「OpenAI内紛劇の背後に「21世紀の優生思想」、EAコミュニティとe/accの危険性」、The Asahi Shimbun GLOBE+、二〇二三年一二月二一日)。
 一方、e/accは「効果的な加速主義(Effective Accelerationism)」の略。「効果的な利他主義」のEAに反発して自然発生的にできた思想的派閥である。その考え方はシリコンバレーの起業家や投資家と相性がよく、前述のサム・アルトマンも加速主義者だといわれている。e/accはEAを、AI開発を阻害するものとして批判している。
 一見、対立している両者だが、彼らの思想が行き着く先はあまり変わらないようだ。
 EAの最も過激な形態は「長期主義(longtermism)」と呼ばれる。簡単に定義するならば、目の前の短期的な課題を解決することよりも、そのリソースを未来に影響する長期的な課題のために使うべきだ、という考え方のことだ。
 イーロン・マスクはこの長期主義の支持者らしい。マスクはAIのリスクを警戒する一方、X(旧ツイッター)を改悪し続けていることが知られている。前述の星は「こうした独善的な考え方を正当化してくれるのがEAやe/accや長期主義のような「思想」なのである」とまとめている。
 一方、二〇二〇年五月、世界初の「PRSベビー」オウレア(Aurea)がひっそりと生まれた(そのことが初めて報じられたのは二〇二一年九月)。「PRS(polygenic risk score、多遺伝子リスクスコア)」という言葉は聞き慣れないが、胚の複数の遺伝子を調べて、複数の病気にかかるリスクが低いと判断された胚を選択し、女性の子宮に戻して子どもを誕生させる技術のことである。着床前診断(受精卵診断)の一種であるが、一般的なそれでは染色体の数や、単一遺伝性疾患の原因遺伝子が調べられる。一方、PRSは複数の遺伝子を調べる。その結果で推測されるのは病気の「リスク」である。
 オウレアの誕生のさいに用いられたPRS技術は、ニュージャージー州に拠点を置くゲノミック・プレディクション社が提供したものである。オウレアの胚は、心臓病、糖尿病、がんのリスクが低いと判断されて選ばれたものだと伝えられている。
 当然ながら、すでに多くの専門家などがその実施を批判している。二〇二一年七月の『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』では一三人の専門家が連名で、PRSによる胚選択の利点は非常に小さい可能性が高く、ヨーロッパの血統ではない人々にとってはなおさらであることなどを指摘した。
 技術的な問題だけではない。生命倫理の情報メディア『バイオポリティカルタイムズ』は「これらの検査は『より良い』遺伝子と『より悪い』遺伝子にもとづいて、誰が生まれるべきかを決める方法として売られている。(これらは)政府の政策というよりは、これから親になる人たちの個人的な選択として販売されているが、こうした選択がマーケティングや社会的背景の影響を受けることは避けられないだろう」と指摘する(Shanks, P. 〝The first polygenic risk score baby.〟 BIOPOLITICAL TIMES. September 30, 2021.)。
 しかもオウレアの父親は「トランスヒューマニスト」らしい。トランスヒューマニズム(超人間主義)とは、科学技術によって人間の身体的・精神限界を超えていくことをめざす思想のこと。トランスヒューマニズムは前述の加速主義・長期主義と大きく重なる。実際、代表的なトランスヒューマニスト哲学者ニック・ボストロムは長期主義者とも加速主義者とも紹介されることがある。
 ところで、今年一月一日に北陸で起きた地震・津波災害に関して、Xでは多くの偽情報が飛び交っている。たとえば外国人と見られる複数のアカウントが同じ(実在しない)住所を示しながら、「閉じ込められて逃げられない」などと投稿しているのを、筆者も目撃した。識者らによると、こうした偽情報がX上で蔓延している背景には、イーロン・マスクが旧ツイッターを買収した後、一定の閲覧数(インプレッション)を集めたユーザーに広告による収益を分配し始めたことがある。ジャーナリストの平一博はこうした事態を「悲劇の現金化」と呼ぶ(「電機メーカー、Eコマース…能登半島地震で「インプ稼ぎ」投稿に大手が広告」、新聞紙学的、一月三日)。
 マスクら長期主義者・加速主義者らにいわせれば、このような偽情報による「悲劇の現金化」などは自分たちの長期的な目的にとっては取るに足らないことなのだろう。トランスヒューマニストらが目の前にある技術的・倫理的・社会的問題を気にしないように。
(叡啓大学准教授・社会学・生命倫理)
連載 科学時評







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約