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評者◆殿島三紀
100万ドルの夜景が香港の原風景だ――監督 アナスタシア・ツァン『燈火は消えず』
No.3622 ・ 2024年01月06日




■『ナポレオン』『父は憶えている』『枯れ葉』などを観た。
 『ナポレオン』。リドリー・スコット監督作品。大スペクタクル映画だ。ヘーゲルは進軍するナポレオンの姿に自由・平等・博愛の具現を見たし、ベートーベンも彼のために英雄交響曲を作った。だが、彼が率いた戦闘では300万人を超える兵士が戦死した。果たしてナポレオンは英雄なのか、若い兵士たちの血を無為に流させた悪魔なのか、あるいはジョゼフィーヌにうつつをぬかすただの男なのか。11台の撮影カメラ、8千人を超えるエキストラで実戦もかくやと思わせる戦闘シーンが圧巻である。
 『父は憶えている』。アクタン・アリム・クバト監督がキルギスのSNSで見つけた実話に着想を得て作り上げた作品。出稼ぎ先のロシアで記憶と言葉を失い、23年ぶりに息子に連れられ故郷へ帰ってきた男とその家族を描いたヒューマンドラマ。遊牧民の地キルギスも生活様式の変化や近代化に伴い、国内政治は不安定となり、ゴミ問題も噴出。帰郷後、無言でゴミを拾い集める主人公の姿が現在のキルギスを静かに告発する。
 『枯れ葉』。アキ・カウリスマキ監督がラブストーリーをひっさげて5年ぶりに帰ってきた。孤独の中でひっそりと生きる中年男女が主人公。人生のやりきれなさの中に少しばかりのおかしさを漂わせたカウリスマキ流は健在だが、作品中、ラジオや街角のTVから何度もウクライナの戦況が流れてくる。ここはフィンランド……。
 さて、今月の新作映画は『燈火は消えず』。香港映画である。香港といえばネオン。まるで合言葉のような関係だが、そもそもネオンは20世紀初頭、欧州で発明され、その技術が当時英国領だった香港や上海租界に伝わったという。さらに日中戦争や内戦で上海から香港へ逃げてきた多くのネオン職人たちも香港ネオンの発展に寄与し、香港経済の急速な発展と共に不夜城ともいうべき風景が生まれた。心弾む景色だった。
 ところが、そんなネオンサインの多くは2010年の建築法等改正以来撤去され、2020年までに9割が消えたという。本作はネオンサインの光り輝く夜景が失われつつある香港を舞台に腕利きのネオン職人だった亡夫がやり残した最後の仕事を完成させようとする妻と娘そして弟子を描いたヒューマンドラマであり、夫とネオンサインに捧げるラブストーリーである。
 監督は本作が長編映画デビュー作となるアナスタシア・ツァン。脚本も担当している。撮影時の2022年、香港には既にネオンサインが無くなりかけていた。そこで彼女は過去の記録映像やCGを使い、ネオン職人の監修で新たにネオンサインを作り直して、古き佳き時代のネオン風景を再現。香港人にとってもあのガラス管のネオンサインは香港の繁栄と自由の象徴であり、懐かしい存在であるに違いない。
 ネオンサインの制作は職人の高齢化や後継者問題、安くて使い勝手の良いLEDの進出で消滅の一途を辿っている。しかし、香港にはいまも「ネオンの燈りは絶やさない」と頑張る職人がいる。本作を支えたのはそんな職人たちの力もあるのだ。日本でも現在は全国で職人は50人程になっている。SDGsと省エネの当節、ガラス管をバーナーで成形して不活性ガスを封入、電流を通して放電させるという手間もひまもかかるネオンサインは時代に合わないのかもしれない。とはいえ、やはり自由で華やかだった香港を象徴するのはガラス管のネオンサインだ。人々が自由に集まり、発言もできた自由な香港。黄色い傘で放水と催涙ガスに抵抗した香港人を連想してしまうが、政治的な映画ではない。しかし、ネオンの規制を圧しつけてくる役人にビルの屋上から逆らう妻の姿に、ネオンサインに重ね合わせた香港人の反骨精神をどうしても感じてしまう。愛と気概に満ちた良い映画だ。
(フリーライター)







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