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評者◆稲賀繁美
河と焔と――ゆきあたりばったり世界文学講座逍遥
No.3620 ・ 2023年12月23日




■たまたま割当てられた「世界の文学」なる授業で、少数の履修者に任意の作品を読んできてもらい、一緒に読み合わせをしてみた。以下はその偶然の産物である。
 谷崎潤一郎『蘆刈』(1932)。舞台は淀川の中洲、水無瀬といえば後鳥羽院の「見渡せば山もとかすむ……」で知られ、俳諧連歌でも著名だが、現在では新幹線が通る狭隘な谷間。橋本の遊郭なども背景に、今で謂うならポリアモリーな多感な情愛の縺れが世代を重ねて伝わる様が、夢幻能仕込みの語りに託される。偶々、もうひとり学生が井原西鶴『好色一代男』を取りあげたが、舞台の一部が重なるところからも、文学的な記憶の濃厚な土地柄が偲ばれる。
 河の中洲とは記憶や痕跡が宿り、あるいは失踪を誘う場所となる。娼家への渡し場は、異次元世界への結界でもあるからだろう。
 石井洋二郎氏による新訳が出たジュリアン・グリーン『モイラ』(1950)は20年代の北米ヴァージニアを舞台に、潔癖なカトリックの美少年ジョゼフ・ディが、彼を誘惑する少女を発作的に殺害する顛末の心理を描く。「運命の女」モイラは作中では影が薄く、むしろ主人公の同性愛的屈曲が印象に残る。主人公の逃避経路として深い谷間が示唆される。偶然の一致ながら、それはレイ・ブラッドベリ『華氏451度』(1953)でも同様だ。周知のとおり、書籍の所持が法律違反となる近未来が舞台だが、その罪を犯して逃亡する主人公モンターグは、殺戮猟犬ロボットどもの追跡を播くべく、河に浸かって体臭を消そうとする。
 SFに分類される『華氏451度』だが、聖書や沙翁・西洋古典からの引用が頻出し、焚書や政治的禁書への原作者の憎悪が底流をなす。その本邦での評価に甚大な貢献をなした訳者、伊藤典夫氏は、カート・ヴォネガットJr.『スローターハウス5』(1969)翻訳も手掛ける。こちらもSF扱いだが、空飛ぶ円盤も時間旅行も、主人公ビリー・ピルグリムの戦争外傷の病理の反映であり、それは小説家自身が九死に一生を得たドレスデン空爆を描写するために不可欠な心理的緩衝材だったはず。話題には広島の原爆からマーチン・ルーサー・キング、ジョン・F・ケネディー暗殺が盛り込まれる。
 遠藤周作の『深い河』(1993)にも首相インディラ・ガンジーの暗殺事件が話題として挿入される。実は遠藤がこの生涯最後の長編で取り上げたのが『モイラ』だった。神学生大津を翻弄する三津子は『モイラ』を愛読し、大津をジョゼフと比較してみせる。わざと乳房の谷間に鍵を落とす趣向はヴォネガットにも共通(ハヤカワ文庫p.246)。大津のモデルは井上洋治、そこには遠藤自身のフランスでの留学体験、カトリシズムへの違和感も投影される。脇役のガストンは「お馬鹿さん」ことG.・ネラン神父。『ネラン塾へようこそ』が先日、OB/OG会より近刊。
 バナーラシのアーシュラムで、落命した娼婦たちの遺体火葬に従事するアウト・カーストの日本人が、大津に他ならなかった――。この結構と物語の結末が満足のゆくものだったか否かには議論がある。河合隼雄氏が「結末にがっかりした」と漏らした場に筆者は偶然居合わせた。奇しくも焔による浄化が『華氏451度』と共通し、バーバラ・ヘンドリックスの黒人霊歌に由来する「深い河」=ガンジスは、記憶と忘却の流れとして、『好色一代男』や『蘆刈』の淀川とも合流し、やがて補陀落へと流れ去る。
 「そういうものだ」So it goes、「屠殺場5号」Schlachthaus 5のこの諦念の繰り言が、いつしか『深い河』へと「輪廻転生」を果たす。その円環に「世界文学」逍遥の醍醐味もある。







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