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評者◆粥川準二
オープンアクセスと「論文海賊ウェブサイト」――「Sci‐Hub(サイハブ)」という「裏技」をめぐって
No.3615 ・ 2023年11月18日




■科学技術の発展が急速に進むなか、その成果物である学術論文へのアクセスについて議論が続いている。内閣府の総合科学技術・イノベーション会議の有識者議員懇談会はこの問題を検討し、一〇月一九日、公費で成果を上げた研究の論文を無料で公開する「オープンアクセス(OA)」の実現に向けた提案をまとめた。
 本連載でも取り上げた通り、OAの推進は今年五月に開催された先進七カ国首脳会議「G7広島サミット」でも議論された。広島に先立つG7仙台科学技術大臣会合では「G7科学大臣コミュニケ」(共同声明)が採択され、G7が科学的知識や研究データ、学術出版物など公的資金で支援された研究成果を公平に共有し、OAを拡大するために協力することが謳われた(拙稿「広島G7サミットは、「ワクチンの配分」と「学術論文のオープン化」をめぐる問題を解決したか?」、図書新聞、六月一七日)。
 いうまでもなく学術論文は通常、学術誌に掲載される。それを読むためには購読料が必要となる。一方、論文の著者が出版社に掲載料を支払い、読者には無料で提供される場合もある。この市場は海外の有力学術出版社によって寡占され、購読料や掲載料が高騰していることが問題になっている。
 「内閣府によると、電子ジャーナルの購読料は2020年までの8年間で1・6倍、掲載料は5・6倍に高騰。さらに円安も拍車をかける。オープンアクセスの掲載料は、論文1本で数十万円から100万円を超えることもある。/研究費が潤沢でない大学や学者への影響が特に深刻で、文部科学省が4月に公表した調査では、研究者に論文の未公開理由を尋ねると、55%が「資金がない」と答えた」(無署名「(社説)学術誌の高騰 知の基盤 揺るがぬ策を」、朝日新聞、七月一三日)。
 このような状況の中、多くの研究者、とくにかつての筆者のように大学など研究機関に所属していない研究者や、予算が少ない研究機関に所属している研究者らは、OAになっていない論文を手に入れるため、やむをえず「裏技」を使うことがある。論文を無料で提供し、「論文海賊ウェブサイト」と呼ばれることもある「Sci‐Hub(サイハブ)」というウェブサイトにアクセスするのだ。
 そのウェブサイトなどによれば、Sci‐Hubは、数千万件の研究論文へのアクセスを提供する「世界初の海賊ウェブサイト」である。「現時点では、研究論文を可能な限り広範に配布することは、科学や教育における他の情報源と同様、著作権法によって人為的に制限されている。このような法律は、人間社会における科学の発展を事実上遅らせている」とSci‐Hubはそのウェブサイトで主張する(「SCI‐HUB…to remove all barriers in the science」)。Sci‐Hubは二〇一一年九月五日、カザフスタンのプログラマー、アレキサンドラ・エルバキアンによって開設された。エルバキアンは、Sci‐Hubがなかったら自分は材料工学の学位論文を書けなかっただろう、と書く。同じように思い、Sci‐Hubとエルバキアンに感謝している研究者は世界中に無数いるだろう。
 もちろん学術出版社は黙っているわけはなく、Sci‐Hubはいくつもの訴訟を抱えている。
 興味深いのは、Sci‐Hub創設者エルバキアンは、自分の考えはアメリカの科学社会学者ロバート・キング・マートンに影響を受けている、と述べていることだ(無署名「科学論文の海賊版サイト「Sci‐Hub」を生み出したアレクサンドラ・エルバキアン氏とは一体どんな人物なのか?」、Gigazine、二〇一八年二月一三日)。
 マートンは、科学の「エトス(道徳的性格)」は次のような「ノルム(規範)」によって構成されている、と述べたことで有名だ(R・K・マートン『社会理論と社会構造』森東吾ほか訳、みすず書房、一九六一年、五〇六‐五一三頁。ここでは成定薫『科学と社会のインターフェイス』、平凡社、一九九四年、一三四頁、にもとづく)。
 ①科学上の業績は個々の科学者の個人的性格や社会的地位とかかわりなく評価されねばならない(普遍主義〔Universalism〕)。②科学者は発見を独り占めしてはならず秘密主義は許されない(公有制〔Communalism〕)。③科学者は発見したものを利害を超越したやり方で用いねばならない(利害の超越〔Disinterestedness〕)。④科学者は新しい知識を批判的・客観的に評価すべきである(系統的懐疑主義〔Organised Scepticism〕)。
 この「科学のエトス」はその頭文字をとって「CUDOS(クードス)」と呼ばれることもある。エルバキアンによれば、Sci‐HubはこのCUDOSの実践なのだろう。
 Sci‐Hubに陰で(あるいは堂々と)喝采を送る研究者は少なくない。だが、Sci‐Hubにビジネスを妨害されている学術出版社以外にも、これを批判する者がいる。
 データサイエンティストのアブデルガニ・マディは、Sci‐Hubの存在で生じる「パラドックス」を指摘する。マディによれば、研究者らがSci‐Hubにアクセスできる限り、彼らはOAのジャーナルに論文を投稿するインセンティブを失い、従来のジャーナルに投稿し続ける。その結果、「伝統的なシステムを永続させる可能性」が維持されてしまう(Abdelghani Maddi, Sci‐Hub presents a paradox for open access publishing, LSE Impact Blog, October 25, 2023)。つまりエルバキャンの意図とは異なり、Sci‐HubによってOAの実現が遠ざかり、CUDOSが損なわれるということだ。
 前述の総合科学技術・イノベーション会議の提案は「公的資金によって生み出された論文や研究データ等の研究成果は国民に広く還元されるべきものである」と指摘する。また、論文が学術誌に掲載された後、すぐに大学内で学術成果を管理する電子サービス(機関リポジトリ)などへの掲載を義務づけること、大学が集団で大手学術出版社と交渉する体制をつくり、購読料や掲載料の適正化をはかること、などを求めた(総合科学技術・イノベーション会議「公的資金による学術論文等のオープンアクセスの実現に向けた基本的な考え方(案)」、一〇月一九日)。
 この考えが実現し、Sci‐Hubの“発展的解消”が促されることを期待したい。
(叡啓大学准教授・社会学・生命倫理)







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