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評者◆稲賀繁美
西湖幻想異聞――日本における江南思慕と詩的景観への一視点
No.3614 ・ 2023年11月11日




■奥村政信は「浮絵根源」、泰西舶来の透視図法の導入者。中国舶来「蘇州版画」の庭園風景を借用した作品が知られる。その政信作品の下敷きと判明した《蓮池亭遊戯図》(海の見える杜美術館:実際は肉筆)では、一点透視図法で水平線も精確に統御されている。
 ところが政信の翻案《唐人館之図》(仮題:神戸市立博物館)では、前景の室内とは視点も画法も不統一な山水画が、背景に無理やり嵌め込まれる。その鳥瞰山水画には、かつての南宋の首都、臨安から臨む西湖「蘇堤」の太鼓橋状の構築物が描かれている。
 この地に十一世紀に左遷された蘇軾が東坡居士を名乗り治水のために築かせたと言い伝えられる。朱舜水が水戸光圀に説いたこの「蘇堤」は小石川後楽園を始め、日本各地の大名庭園に「西湖堤」「円月橋」などの名称で設置され、池大雅《西湖春景》《西湖関帝祭図》のように、中国の著名な風物として書画にも頻出する。
 政信には、《浮絵両国夕涼図》(江戸東京博物館)も知られる。《唐人館之図》と比べると、両者共通して、異国情緒を醸す双六遊びが描かれ、遊郭の藝者にも、同じ姿態の人物が反復される。前景の室内描写の背後には、空から見下ろす両国橋の鳥瞰図が重ね合わされ、まるで遊郭が空中に浮遊した「傾城」よろしき不思議な印象を与える。ここで政信が「西湖蘇堤」に両国橋を重ねて「上描き」したことは、(あくまで私見だが)一目瞭然。思えばそれは《瀟湘八景》が《近江八景》や《品川八景》さらには鈴木春信の《座敷八景》へと置換・縮小される日本流「縮景園」(広島・浅野藩)お得意の趣向だった。
 時代を遡れば、明代中国に滞在した雪舟は、確実に西湖を訪れている。南宋の画家・李嵩《西湖図》などの先行例と比較すれば、著名な《天の橋立》も、江南の風物に匹敵する実景を島国日本に託した試みだったと推測できる。富士山を背後に据えた《三保の松原》なども、時代を下れば狩野元信の屏風などに受け継がれ、中国山水の日本への移植の様を物語る。
 こうした中国趣味は近代日本に至る。天心・岡倉覚三は1906年、茨城の北、五浦の浜の断崖に日本美術院を移す。この地を選んだのは、一方ではカルカッタ郊外のベルールの僧院で知己を得たヴィヴェカーナンダが、若き放浪の日々に修行したインド亜大陸南端への連想がある。コモリン岬の岩棚で大波に洗われる岩は、五浦の崖から見下ろす太平洋の波打ち際に酷似していた。と同時に五浦の岩礁は、姿や化学組成において中国庭園で珍重された多孔質の太湖石を思わせる。北米仕込みの距離感覚ゆえだろうか。覚三は東京からの遠隔を物ともせず、大洋に臨む五浦の磯浜に、インドやシナの盟友たちに誇っても恥かしくない景勝の地を見出していたはずだ。
 他方、近代京都の南画家、橋本関雪は銀閣ほど近くに白沙村荘を営む。冨田溪仙らへの対抗心も剥き出しだが、この時期、関雪は《倪雲林》の肖像も制作する。趙孟 の画風に共鳴し、蘇州の庭・獅子林再興にも尽力したこの倪 に、関雪は肖ろうとした筈だ。大正年間の京都では南画再興の機運が醸成され、辛亥革命後の混乱を受けて、羅振玉や王国維らの清朝遺臣の文人たちも亡命・滞在する。同時代、鉄斎の息・富岡謙蔵や長尾雨山らが上海の呉昌碩や江南の西冷印社とも頻繁に交流し、京都でも蘇東坡を顕彰する壽蘇会や赤壁会ほか、「西湖に関する書画展覧」(1924年11月)が「支那趣味」を顕彰した。
 西湖や無錫の太湖、江南の蘇州に、日本文人の憧れが描いた唐土風景の幻像を探りたい。

*小林宏光監修『蘇州版画の光芒:国際都市に華ひらいた民衆芸術』海の見える杜美術館、2023記念国際シンポジウム(5月27‐28日)。本稿では日文研国際共同研究会「近代東アジア文化史の再構築」2023年7月2日ほかでの何暁静、李偉、戦暁梅氏の報告への筆者の即興評釈を要約した。







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