書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆志村有弘
逆井三三の足利義昭を描く、圧巻の歴史小説(「遠近」)――崔龍源(川久保龍源)の涙を誘う遺稿(「コールサック」)
No.3612 ・ 2023年10月28日




■歴史小説では、逆井三三の「馬鹿は死ななきゃ直らない」(「遠近」第83号)が力作。将軍足利義昭が主役で、対峙する存在として織田信長。義昭は将軍職を望まず、兄義輝の死も繰り返される戦争ゲームの一つと考え、三好義継が何かを要求してきたら、何でものむつもりで、「無駄に抵抗しなければ、殺されることはない」と思っている。作中に示される信長論が面白い。明智光秀の言葉として信長を「ガキ大将がそのまま大人になったような男」と記し、義昭は信長を「魔王のような男」・「己を唯一絶対の神のように思っている男」、京の下賀茂・嵯峨の家屋を焼き払ったとき「信長のやり方はいつもえげつない」と思う。そして、興福寺を出てからの「苦難に満ちた己の人生を評価」できず、「馬鹿は死ななきゃ直らない」と思う。この「馬鹿」の中には義昭だけでなく、無意味な戦いを続ける者たち全てが入るのであろう。鉄砲が戦いの場に登場し、大将級の武者も次々と死ぬことになり、「ああ、ヤダヤダ。考えるほど足利義昭は人間に嫌気が」し、「山奥の寺に隠棲したい」と思うのだが「将軍という彼の立場がそれを許さない」と、義昭の苦衷を記して作品が終わる。戦いの無意味さを痛感している義昭の心情がよく描かれている。逆井の戦国・足利将軍を描く作品は、天下一品。見事の一語に尽きる。
 現代を舞台とする小説では、大島凛吾の「燧灘」(「九州文學」第582号)が秀作。主役たちの高校時代から作品が展開。三好麻美に対する悠介と和彦の恋心等が綴られる。歳月が流れ、悠介は高等学校の同窓会名簿で麻美が他界していたことを知る。和彦(元医師。後に学習塾教師)と悠介(販売会社課長・五十二歳)が再会した。和彦は麻美と結婚し、その最期を看取っていたが、麻美はすでに高校三年時に不治の病に罹っていた。悠介は高校生時代、医師になる和彦には太刀打ちできないと思っていたのだが、麻美の気持ちは別であった。死を前にした麻美は根負けした形で和彦の求婚を受け入れ、書類上だけの夫婦となった。高校時代、三人で伊吹島に行った思い出が悲しく美しい。麻美を妻として見送ろうと思う和彦の優しさ。麻美は亡くなる四か月前、伊吹島に行ったときの写真を見ながら、和彦に「また三人で行きたかった」と言ったといい、そのときの和彦の複雑な気持ちも悲しい。悠介は倒産寸前の会社を管理職の姿勢で変えて行き、常務から、将来は取締役にすると言われたが、課長のままで退職することを告げる。悠介は同窓会名簿に和彦の名前が物故者の中に記されているのを見る。悲しい、しかし、抒情豊かな作品だ。
 金山嘉城の「芸術の秘密の蜜」(「裸人」第37号)は、散歩の場で「胸の動悸」・「心臓のたかなり」がして、「私」の入院・手術へと展開して行く。作中、セザンヌの描いたサント・ヴィクトワール山が繰り返し記され、前半に、大伴家持ゆかりの二上山の歌も示される。広い視野と細緻な描写に感服。
 木下径子の二篇の短篇小説「四回目の手術」・「ベットの中から、「譫妄」」(「街道」第41号)に、作者の優れた筆力を感じた。病院の窓から見える風景や母の思い出等が記され、出来上がった同人雑誌を郵便局に運ぶ苦労の場面もある。二篇とも作者の体験であるのか、〈譫妄〉が記されており、どうしても書いて置きたいことだったのであろう。
 随想では、近江静雄の「再読楽しからずや 佐藤垢石『たぬき汁以後』」(「仙台文学」第102号)と「猿」第87号掲載の囲み記事「佐藤垢石」(筆者名は、舩)という二篇の佐藤垢石に関する短文が見える。近江は少年時代からの釣りについての思い出と垢石讃美の思いが綴られ、「舩」の随筆は「前橋出身の佐藤垢石の随筆が気に入っている」と述べ、垢石の随想「楢の若葉」の紹介記事。私も奇談の世界が好きであったことから、〈畸人・佐藤垢石〉に関心を抱き、何冊か読んだことがある。秋田稔の「探偵随想」第143号掲載の「閑雲茶話」が、奇談・奇話揃い。「ぼく」が親しくしている勘兵衛(店の名はマル勘)が北海道で手に入れたクマハギの杉で忍術使いが用いた水蜘蛛(水上下駄)を作らせた話、讃州荘内半島(浦島伝説がある)ゆかりの腰蓑を付けると魚がよく釣れる話、勘兵衛が小樽の硝子館で求めた小指の先ほどの硝子の河童を耳に当てると「クエー、クエー」という河童の鳴き声が聞こえる(実は勘兵衛の腹話術)等々、虚々実々の話が語り口調の名人芸の文体で示される。
 詩では、中村国男の散文詩「駅裏酒場」(詩霊」第18号)が重く心に残った。「俺」が雑居ビルの酒場で出会った人は「崩壊した戦線の最終要員」であった。二十年後、「俺」の耳に、記録映画の中、軍人が、雨中、行進する学徒たちに命を差し出せと迫る、その映画の背後に流れる壮行の楽曲が、「近ごろ」テレビの定時ニュースに流されるようになったと記す。同誌掲載、外村文象の「生き残る」は戦時中の戦死者や特攻隊の人たちに思いを馳せ、コロナとの闘いも、三年八ケ月続いた太平洋戦争と同じくらい続いており、「ウイルスも必死に生き残ることを/めざしている」・「いま人間の力が試されている」と結ぶ。二篇とも近未来の危機を感じさせる作品。
 短歌では、さりげないユーモアを感じる松永美佐子の「どうだん」第875号掲載の「漬物と米さえあれば大丈夫 雪国の叔母得意げに言う」、中村重義の「未来」第859号掲載の「家庭とは地獄かはたは極楽か毒という字に母が居ること」。石川幸雄の「晴詠」第15号掲載の「好きなことを好きなときに好きなだけやっていただけ山下清」の歌にもさりげないユーモアを感じる。さりげないユーモアは文学の一つの原点かと思ったりする。
 「コールサック」第115号掲載の崔龍源の遺稿「病中苦吟」は「‐妻‐(必ず妻に渡して下さい。)」と記す俳句七十九句と辞世の短歌二首が心に辛く響く。「妻と共に生きたかりしよ蛍の如く」・「妻は手に虹採りてわが胸に置く」という句。そして「少年の頬にひと筋のなみだの跡かなしみは生まれ来し日より」という辞世の歌。詩篇も詩集『遠い日の夢のかたちは』から十篇が掲載されており、「遠い日の夢のかたちは」の中には「ぼくは妻と うまごやしの野原で/無言に心と心で話し合っていた」という一節がある。
 「猿」第87号が村中美恵子(狩野美恵子),「コールサック」第115号が崔龍源(川久保龍源)、「青磁」第45号が土岡秀一、「鼎座」第26号の「歌仙」のメンバーの麦子、「北斗」第699号が一柳慧と坂本龍一、「歴史と神戸」第358号が中田政子、「労働者文学」第92号が木村和、「陸」第29号が鈴木文子の追悼号(追慕号)。ご冥福をお祈りしたい。追悼号ということではないが、「詩と眞實」第890号に吉田河童が詩「大江健三郎逝く」、「玉ゆら」第81号に秋山佐和子が「詩「新憲法」と大江健三郎氏」、いわやせいしょうが「花」第31号に「古井由吉も大江健三郎もいなくなった。」を書いている。そして、「群系」第50号が「大江健三郎という〈巨大な謎〉」と題して大江特集を組んでいる。今更ながら、大江健三郎の存在の大きさを確認。(文中敬称略)
(相模女子大学名誉教授)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約