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評者◆殿島三紀
見なかったことにはできない……――監督 石井裕也『月』
No.3611 ・ 2023年10月21日




■『栗の森の物語』『アンダーカレント』などを観た。
 『栗の森の物語』。グレゴル・ボジッチ監督作品。1950年代イタリアとユーゴスラビアの国境に位置する栗の森に囲まれた小さな村が舞台。政情不安が長引く中、多くの村人がこの村を去っていくが、棺桶職人の老人は息子からの連絡を待ち続けている。一方、帰ってこない夫からの手紙と写真を頼りに、夫が住んでいるらしいオーストラリアへ旅立とうとしている栗売りの女。泰西絵画を思わせるような静謐で美しい映画だ。東欧は森と神話の国だったのか。
 『アンダーカレント』。監督は今泉力哉。20年前に連載されていた豊田徹也の同名長編コミックの実写映画版。アンダーカレントとは表面には現れていない水の流れや感情のこと。主人公は家業の銭湯を継ぎ、夫と共に平穏な日々を送っていた。だが、ある日、突然夫が蒸発。銭湯は一時休業。なんとか再開させた主人公のもとへ謎の男が銭湯組合の紹介で現われ、住み込みで働くことに。暖かい湯気とお湯の揺らぎの下から浮かぶ主人公の薄暗い感情のフラッシュバックに引き込まれる。
 さて、今月お送りするのは衝撃の問題作『月』。2016年7月神奈川県の重度障害者施設で入居者19人が殺害され、職員を含む27人が負傷する凄惨な事件が起きた。この事件に触発され、辺見庸が翌17年に発表した小説「月」が本作の原作になっている。
 石井裕也監督作品。人権、平等、寛容は言葉だけになり、自己責任という言葉ではその存在をくくりきれない重度障害者は隠蔽され、障害を持たない人の眼からは遠ざけられていく。本作の舞台となる「三日月園」も町から遠く離れた小暗い森の奥にある。
 そんなことを改めて私たちの前に突き出したのがこの事件だった。重度障害者の存在を知っていながら、あえて直視することを避け、家族、身内、施設関係者でなければ関わることをしなかった私たちの前に、作家は事件を小説として発表し、映画「月」も「目をそらさず、この実態を見よ」と突きつけてきた。
 この事件が抱えるテーマに目を向け、「最も挑戦したかった題材」と語っていたのが『新聞記者』(19)や『空白』(21)など挑戦的な話題作を手がけ、昨年6月に急逝したプロデューサー河村光庸である。死は本作クランクインの直前だった。彼はその製作意図の中で次の問いを投げかけている。「殺人犯は死刑になって当然ですか? それは何故ですか? 命の尊厳を守るためにはどうしたらいいですか? 命の尊厳とは何ですか? 失われる命と生かされる命に差はありますか? それは何故ですか?」……。何故ですか? と問われても、どれも容易に答えは出ない。
 元・作家だった主人公は深い森の奥にある三日月園で働き始め、口もきけず、ベッドで寝ているだけの入所者に生年月日が同じだという理由で親しみを覚える。だが、日常的な施設職員による入所者への暴力や虐待、管理者の事なかれ主義に怒りを覚える。ある日、真剣に入所者に向き合っていた職員の一人が決断した……。
 私たちはこの事件の結末を知っている。犯人は逮捕されたし、それで良しとしていた。障害者の尊厳を冒してはいけないと正論も発してきた。だが、光も差し込まない部屋で糞尿にまみれた入所者を見ても正論を発し続けることができるだろうか。あえて見ないようにしてきた障害者の実態を事件によって知ってしまった私たちだが、見なかったことにして後ろ手で扉を閉めてしまうことはもうできない。この人たちは生きるに値しない、とは決して言えない――。重くて暗い映画である。この暗さは施設を管理する立場の人間の考え方、重度障害者に対する世間の眼、見ないことにしようという私たち、ひいては社会構造が生み出すものなのか。そうだったらどうする?
(フリーライター)







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