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評者◆凪一木
その210=最終回 ラスト・ソウル
No.3611 ・ 2023年10月21日




■自民党をぶっ壊す。NHKをぶっ壊す。統一教会を解散させる。だが、ちっとも壊れない。何のお咎めもなく亡くなった性加害の悪魔。
 世の中で、明らかに悪事と思われていることや人物がいつまでも変わらずに居座り続けるのはなぜか。(悪事のお世話になっている)多数派というものが、実数ではそれほどでもないのに、数の力を思わせる恐怖の演出が功を奏しているからだろう。そう思ってきた。だが、どうも違う。
 多数派とは、プロ野球のペナントレースで言えば、一四〇勝三敗で優勝するようなチームである。もちろん強い。では、他の少数派とは何か。交流戦もあるが五八勝八五敗の五チームである。平気で一〇連敗もするが何だかんだ言って、他の少数派に勝利して喜ぶ瞬間が五〇もある。この飴玉で満足してしまって、一三七の貯金のヤリタイ放題を見逃すのである。恐怖というより、それなり満足して、リーグの外のチームを殺している。やはり動かない少数派が問題だ。
 自分は何のために文章を書いているのか。人は何のために生まれてくるのか。認知されるためか。何度も自問自答してきた。
 最初の本を出したとき、各所に本を宣伝して歩いた。出版してくれた会社は二億の負債を抱えて倒産する。そんな状況で営業を自ら買って出て配るのは愚行だ。
 著名人も学校も、マスコミ関係者も、ただ受け取るだけで、迷惑そうにする担当者もいた。書評を書くので複数冊送れと指示され結局載らずにそれっきりの男もいた。出版社から書評願いの「著名人、マスコミ関係者用」配布本ではない。初版三〇〇〇部のうち、一〇〇部を著者自らが自腹で買って、電車に乗って、一冊一冊手渡しに行く無職の男。そこまでして読んでもらいたいのか、と問われると、そうだとしか言いようがない。
 唯一、ただ一つお金を払ってくれるところがあった。他の経緯から、お金は結構ですと言っても引き下がらない。
 「これだけのものを出すには、随分とご苦労なさっているのはこちらだって分かりますよ。払わないわけには行きません。ぜひ教材として使わせてください」
 それは、日活調布撮影所内の日活芸術学院であった。そういう教育がなされているのか、環境が整っているのか、仕組みや経済状態など各学校に差異はあろう。この一点で判断するわけではない。だけど、少なくとも泣くよ。二〇一三年閉校となった。今はもうない。
 井の中の蛙、大海を知らずという。その蛙を、親切なのか余計なお節介なのか、井戸から出して、大海に連れていくとする。蛙にとって、その光景は幸せといえるものなのか。
 誰も彼もが、別の世界の専門家からすると、井の中の蛙だ。皆、井戸からの引揚げを望まない。大谷翔平がプロ棋士と将棋を指してもコテンパンに負け、その棋界の王者藤井聡太が相撲を取ったところで、関取以前の力士にさえ手もなく捻られるだろう。所詮、餅は餅屋。中途半端だからこそ、あれこれと専門外にも口を出す。犯罪者が反省をしないように、井の中の専門家は大海を知らないことを認めることが出来ない。専門知識は、無駄にもなり有害化も可能だ。
 以前ならば、人に知られず野垂れ死にするだけの人々の寂しい顛末は見ないで済んだ。だが、この時代のSNSには、夥しい数の無惨で恥ずかしい記録が溢れてしまっている。自分もその一人であり、なるべくなら、このへんで辞退しようと思う。
 この連載で、本当の幸福は表に出さないものだと書いた。出す必要などないからだ。他人に認めてもらわずとも、既に完結している。似たような現象として、ベストテンの裏一位とか影の一位というものが存在する。選者が「本当の一位」は隠してしまう。あえて表明するまでもないゆえに、表においては別の一位を挙げる。だから見えない。
 本当の幸福は、人には話さない。本当の感謝も、実は語らない。なぜなら、感謝の気持ちが伝わっていることで満足するのは、伝わった側ではなく、伝えた方である。満足は既に存在し、確かめる類いのものではない。表明は、もはや偽物の加工品である。
 では、伝えられる側はうれしくないのか。これもまた似たようなもので、言葉で二重に「幸福」を伝えられても、既に存在するものなら、余計な確認作業である。ならば、映画やドラマでそんな余計なシーンを見ると感動を覚えないか。
 感動する。心は動く。作り手が本気で思いを伝えたい。読者や観客は、そのことを否定できない。それは、押し付けでなく、飾りもなく、ただひたすらに現れる。そのことを見たくてドラマを見ている。「そのこと」というのは、そうする人間もいれば、そうしない人間もいるということである。そして、それが出来ない人間の開き直りではなく、「出来たら良いな」という、それは哀しさと同時に、少しの人間の恥ずかしさである。
 日本語の文章に感動したり難癖を付けることの可能性は、日本語の型に嵌まることから始まる行為だ。スポーツのルールを知って見る。芸術の約束事を知って鑑賞する。では、お金を払ってサービスの提供を受ける行為に関して、お金持ちは初めから既に型に嵌まっているのか。これも、お金の中身によって、内情によって決まるものであり、多寡によって決まるものではない。
 球の遅いピッチャーがコントロールでのカバーは限界がある。同じように、音域の狭い者が歌の上手さでカバーは出来ない。努力で才能を上回れない。しかし、心にもたらす結果は平等である。目標や勝負事では、能力よりも努力が物を言う。勝つとか到達するということではない。終了時にどれだけ感動するか。悔しがれるか。どうやってお金を稼いだか。
 好きにならなければ失恋もない。贔屓の球団を持たなければ、その勝ち負けに一喜一憂しない。深入りするからこそ感動も悔しさもある。人生は平等だ。浅い者は傷付くこともないが幸せも薄い。しっかりと生きなければ、しっかりと返って来ない。
 〈子供が大人になるということは、実は、他人というものは、自分とメンタルに全く異なった存在で、ものの見方、考え方、感じ方がすべてちがうのだということを知ることなのである。この世は異質な世界認識をしている他人たちで充満しているということを知ることなのである。それを知るためには他者と本格的に出会わなければならない。異質な人間と出会い、その相手と自分の異質さがわかるところまで、相手に接近してみることが必要である。〉(『二十歳のころI』「はじめに」立花隆/新潮文庫)
 人生とは、その異質な相手と出会い、接し、関係し、別れ、突然の訃報に、同質を錯覚した苦みを思い知る。その繰り返しである。そして、自らが、異質な人間として、関係した他人の前に、やはり同質を錯覚した苦みを思い知らせるが如くに、訃報として登場する。
 映画監督小平裕から生前に激励された。〈貴兄の連載は素材も内容も無限の奥行きと可能性を孕み答えのない無間地獄も有り得ます。〉
 無間地獄、彼の死には間に合わなかった。
 これまでの連載を、読んでくれた方ありがとう。
(建築物管理)
――了







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