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評者◆聞き手:ペドロ・エルバー/ジャスティン・ジェスティ/宮田徹也 他
第五回 針生一郎氏インタビュー(2006年10月)
No.3611 ・ 2023年10月21日




■シュルレアリスムとドキュメンタリー

ジャスティン そうですね。ちょうどこの前の光州ビエンナーレの話なんですけれども、新しい無名の作家を発掘するという点で、針生さんの五〇年代、六〇年代にかけての批評家としての活動がすごく目立つというふうに私は思います。日本のいろんなところを回って、九州派に早い時期から注目なさっていた。無名の人を見つけて取り上げ、真剣に考えて理論化するという意図はどこから出てきたんですか。そのきっかけは何ですか。
針生 九州派とか土佐派とかいろんなグループが出てきた時期でもあり、僕が一番良く回っていたかもしれないね、確かに。東京にはないエネルギーを感じましたからね、その頃は。九州派は、あるとき谷口利夫っていうのが大牟田で美術教室みたいなのやっていたので、大牟田へ行って、温泉で一泊したんです。そうしたらたまたま僕の隣に座った平山というのが、大分出身かな、その頃文部省が各国の県展の受賞作家だけピックアップして、東京都美術館でその県展総合展みたいな展覧会をやったんですね。五〇年代の末ぐらいかな。平山はそこで賞をもらったのかな、何だか忘れたけど、それで自分の作品をどう思うかって言うからさ、県展ってのがそもそもその地元のヒエラルキーみたいなものをそのまま受け継いでいる、それを文部省がさらに全国から集めて賞を出すなんて、僕はもう最初からそれをやっつけるつもりで見に行ったんだから、そこで受賞したからって大したこととは思わないよと言ったら、地方の作家で東京都美術館に作品を並べる機会はめったにない、しかもあそこで賞をもらうなんてことはもうめったにな
い、それをそんなふうに簡単に切り捨てられて困るみたいなこと、地方の作家がいかにそういう機会に恵まれないかっていう話をしつこくするわけだ。始めは相手になっていたんだけど、僕はここに今日泊まり込みで来ているみんなと喋るために来たんで、君一人とだけ話して今晩終わるというのは、いかにも残念だ、帰れと言った。君一人が自分のことにこだわっているなら帰れって大きな声で言ったの。そうしたら荷物をまとめて立ち上がってね、それで他の連中が、なんだ、何があったんだ、いや針生さんが帰れって言うからもう帰ります、なんて。そうしたら、菊畑かな、針生一郎がついに怒ったと。博多から来た連中は、これから針生一郎を吊るし上げて徹夜の討論が始まるというふうに思うところが、針生一郎が怒ったから帰るっていうのはいかにも大牟田的、あるいは大分的だと。そんなことを言われて平山もしょうがなく、また座りなおした。九州派ってのは徹夜でしゃべって絶対途中で承認したりしないんだよ、そこが面白い、疲れるけどね。
宮田 ところで、針生さんは、新日本文学はずっと五〇年、四〇年とやってきたんですか。
針生 うん。五三年に入会したんだよね。
宮田 まさに五〇年近く。
針生 そうそう。
ジャスティン 人民文学とは関わりはなかったんですか?
針生 直接は関わりないんだけどね。五三年に新日本文学の会員になれと言ったのは、武井昭夫と、花田清輝が編集長で、どっちも知っていたから、二人が推薦するからということで。それを言い出したのは、どうもいまから考えるとルカーチのマルクス主義芸術論を出したせいだと思うんだ。ところが、同じ理由だと思うんだけども、安部公房、島尾敏雄、関根弘だのでやっていた「現在の会」ってのに
僕は出ていたから、その帰りに文学学校っていうのがあって、それが教務主任格の人間を探している、それを君やってくれんかと。それで週三日午後から出て、まあサラリーマン平均の半分ぐらいの給料を払うと。ただしこれは党がつくった学校なんで、君が共産党に入党してくれることが条件だというような妙な話。妙な話だけども、僕はちょうど研究室を辞めた月だったんで、フリーライターとしてやっていけるかなぁというのがそれでいっぺんに「改宗」したわけだ。サラリーマンの半分でも給料がもらえるから。党も、まぁ、入ってもいいかなと思っていた時期だから、入ったら、その文学学校の事務局が机一つだけ人民文学社に借りていて、そこへ通うことになったりしてさ。そうすると野間宏、安部公房が既にそうだったんだけども、新日本文学の会員でありながら、それと敵対する人民文学の方に所属しているという、ああ自分もそうなっちゃったのかというのが、そこで気づくうかつさで。
 僕を新日本文学会に推薦した武井昭夫が、六全協の直後、五七年かな、「美術批評」という雑誌で、六全協で花田清輝が新日本文学の編集長をやめるんだけど、中野重治に首を切られるっていうか、宮本顕治の意向って言ってもいいかな、宮本独裁のための無原則的統一に反対だ、というのが武井くんが言っていた立場で。だから「美術批評」に、それこそ政治のアヴァンギャルドと芸術のアヴァンギャルドみたいなテーマで、僕への批判を書いた。花田清輝の、もし芸術のアヴァンギャルドがいままで内部の世界に注いでいた目を外部の世界に注げば、たちどころに政治のアヴァンギャルドになるであろう、その逆もまた真であるというのを金科玉条みたいにして掲げて、針生を芸術のアヴァンギャルドとして買っていたけども、人民文学という、これは政治のアヴァンギャルドでも芸術のアヴァンギャルドでもない、俗流大衆路線に加担したために、もうどっちの
アヴァンギャルドでもなくなった、という立場からの批判をしたわけ。武井昭夫は一太刀で針生の首を取ったぞーと叫んでいるのに、針生の方は、いやー、まだかすっただけだって言って、それから一年半も反論を書いてっていう奇妙な論争であると。
 僕はこの「美術批評」の編集長から、その論争をドキュメンタリー、それこそシュルレアリスムを否定的媒介にしてドキュメンタリー芸術ということが隠れたテーマだよというふうに花田清輝が言っていたと聞いて、日本のシュルレアリストってのは元々駄目だと思っていたから、つまり外国のシュルレアリストがどうやってそのドキュメンタリーの方向へ変わったのか、内部の世界から外部の世界に目を転じずれば、たちどころにそうなったなんてのは誰一人いないわけだ。フランスのシュルレアリストたちは集団として共産党に入るけども、共産党でやらされることがつまらんというんで、やがて辞めていく。ルイ・アラゴン、ポール・エリュアールなども入って辞めて、また入ってというふうなジグザグの過程で。それを僕は最初の『芸術の前衛』(一九六一年)という本に、その論争の武井に対する
反論を大体収めたもんだから、佐々木基一が書評の中で、針生一郎がいまの目で見てシュルレアリスムからドキュメンタリーへという点で肯定できるのは、メキシコへ渡ったルイス・ブニュエル一人らしいというようなことを書いていたけれども、実際ブニュエルくらいしか見当たらないって。
ペドロ 松本俊夫がその流れを受け継いだような気がしますけども。
針生 松本くん、彼も美学の専攻で、僕が美学研究室にいる頃に、彼は非常に近いところにいた。彼にはその論争に触れた文章もある。
ペドロ ありますね。
(了)







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