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評者◆小野沢稔彦
木下惠介の『陸軍』と『この天の虹』――昭和史を貫流する「家」という制度
No.3610 ・ 2023年10月14日




■天皇制のパノプティコン――映画の構造

 ではその家族の物語を表象する映像はいかなる構造を持つのであろうか。
 この物語を支える家構造は――日本の「家」をめぐる映画に共通する――、街と,街に向かって開かれる戦後の六〇年代まであった、日本のどこにでもある商家に特長的な家屋内構造(この映画では、季節が夏に設定されているため、特に日本家屋に典型的な室内の障子・襖などの移動可能な付帯設備が取り払われ、家の内部構造が露わである)とそのなかで展開されるドラマとが、カメラによって一点透視のようにトータルに捉えられる。実にこのカメラの視線こそは「天皇の眼差し」でもある。ここで展開されるドラマは天皇制の下に操作されたドラマであるのだ。
 日本の商家の家構造は、なによりも店頭を中心としてその店頭を街路に向けて開放しており、その店頭に接続するように家庭生活の場(主に男たちの居場所)が設定され、その奥に台所などくらしの場がある。すなわち街路からは店頭が見通せるように設えてあると同時に、台所からは街路までが見通せるようにも設えられ、一家を切り盛りする主婦の眼差しが、くらしそのものから家業まで、更には街路を通る人々の様子までをも見通せるように出来ている。
 このいわば一点透視される商家の構造の全景を仕切っているのが、母の背後に見えぬように貫徹されている天皇の眼差しである。この映画が圧倒的に、そして見事に表象したのが、天皇帝国の国家構造を、商家の家構造を映像化することによって開示したことなのである。気丈な母は、台所をしっかりと死守し、その台所を媒介して、家と家という制度を成立させ、家を国家へと接続する。日本のこの家の構造こそが天皇制国民ドラマを成立させる。
 天皇制国家のパノプティコン。
 つまりこの家族のドラマのまるごとは、家屋のなかにすべての家族関係が一体にものとして家構造の裡に捉えられ、その内部で展開される家族関係のドラマが、木下に特有な流麗な移動ショットや的確なパンニングなどの映像手法の駆使によって映像化され、この家族の天皇制ドラマを表象する。
 この映画は、戦闘のドラマではなく、家族の物語であり、そのことによって『陸軍』の物語となる。そしてこの天皇制のパノプティコンの見事な展開・開示こそが国民を戦争へと熱狂させるだろう。
 更に、奥深いタテ構図のフルショットと家族ドラマを主に背負う母のアップショットのカッティングの絶妙な編集によって、映画表象はまったく抜き差しならない天皇制国家内の戦争へと向かう民衆の物語そのものとなる。
 画面の手前で、なんとも凡庸な、きわめてステレオタイプ化した、軍国日本の流布される観念を官製の言葉のままに男たちが話し合うその遠景の奥の台所と――女の仕事場――子どもを訓育する女の役割を演じる母の光景とが同時的に――手前・奥――重層的に捉えられるとき、紛れもなくここには天皇制軍事国家日本の「家」と国家のあり様が見事に表象されてある。
 このことは、一家の父親が軍事工場で帝国陸軍の軍事方針を社員に語り聞かせるシーンにおいても、父親のその高揚したアジテーションの手前で、平然と日常的作業をこなしていく女性社員の戦争を日常の場で、日常性として引き受ける姿勢との対称的情況とをトータルに捉えたショットにも言えることだろう。
 つまり木下の映画的手法は、実に的確で多彩なのだ。ほとんど教科書的で平板なこの映画のプロローグ部分の陸軍形成史過程を語る部分。そして映画の中心から最大のクライマックス部分。ここには逆に、国民が期待する戦争翼賛映画に特有な――この映画の二、三年以前には多かった戦争の実録風映像――戦闘スペクタクルシーンはほとんどないにもかかわらず、この陸軍省お墨付きのステレオタイプ化された家庭ドラマである『陸軍』の中核シーンにおいてこそ、大衆映画として充分に観ることが出来るのは木下の映画的力量である。
 特に一点透視的画面のなかで重層的に展開する家族のドラマ部分は、天皇制軍事国家を形成する、どこにもいる国民大衆の人間的あり様=ホームドラマとして、実に巧みな映画世界の構築になっており、『陸軍』の物語を表象しているのだ。
 そして、あの10分におよぶラストシーンの複雑な人間関係の表象に結びつくのである。

■『陸軍』という物語の揺らぎ

 さて、この映画最大の問題点となる最後の10分ほどのシーンを見てみよう。このシーンはそれ以前のシーンが持つ、ある面図式的に語られる安定した陸軍のドラマ(なにせ陸軍省公認の映画である)から、このシーンだけが揺らぎ続け、公認の『陸軍』の世界からはほとんど異質な雰囲気を醸し出し、ここだけがまるで別な世界の物語であるようにさえ感じられる。では、このシーンとは。
 三代続いた天皇制国家の物語は、ついにこの両親と国家とが望んだように、立派に成長した笠智衆と田中絹代の長男はめでたく陸軍に入隊し、栄えある日本帝国軍人となって、海外侵略への出征の時を迎えるのである。
 出征の日、この日こそ父は彼にとって最大の喜びのなかに我が子を見送る。しかし、軍国の母として、それまで徹底的に軍国主義教育者であった母が、この祝うべき瞬間に突然に、彼女の内面に予兆のない変調を憶えるのだ。そして、映画もこれまで貫徹されてきた成長する陸軍の物語に、突然にある揺らぎを生じ、映画そのものも動揺し始める。父権と母権とがその「家」のなかで、見事に制度的役割分担を担う――この映画の最大の特長は母権の強制力であり、その表象にある――、天皇制国家の国民映画に似つかわしくない母の混乱が突出するのだ。
 しかし、だからといって今日の視点で、この映画に現出した、あるいは木下惠介が持っている(なにしろ戦後『二十四の瞳』を作っているのだから)反戦の想いが、ここに集約されているなどと安直に思うべきではない。
 ここで日本映画を代表する監督と今日的エリート出自を生きる若い映画監督の、このシーンへのきわめて今日的批評を引用しておく。『まだ見ぬ映画言語に向けて』(吉田喜重・舩橋淳、作品社)。

吉田「出征していく息子を駅頭まで見送る母親――田中絹代さんが演じているのですが――そのショットがあまりに長かったために、次第に観客は日の丸を振って見送る母と見送られる息子との、永遠の別離を意味することを強く印象づけられ、結果的にはいつしか厭戦的な思いを抱いてしまう。」
その発言に応えて舩橋は「見る者は一見意気揚々としたシーンかと思いきや、次第にその重たく暗い、得体の知れない何かが、母親の決して口にはしない悲痛の叫びとしてどす黒く沈んでいくのに震えるのです。個人のエモーションと時代状況との対照と批判を、映画においてこれほど見事に強烈に描き出したシーンもそう存在しない、と思わせるほどの強度を湛えたシーンでした。」

 このように、二人はいささか歯にもののはさまったような謂いで、なぜかこのシーンだけを映画全体から採り出して――その母の軍母としてある現実はまったく問わないままに――木下の「反戦」(二人は直接そう発言してはいないが)的心情を言いたいかのようだ。このある部分だけで映画を評価しようとするきわめて曖昧な、部分だけを一方的に評価し、その映画全体への批判的視点をあえて行わない今日的言説のなかで、しかし、「映画監督」木下惠介のこの映画を作ろうとする現実は問われないまま肯定されてしまう。更には、日本映画人の「戦争責任」を問うこともしない。勿論、きわめて慎重に言葉を選び、この二人は木下の映画のなかに安易に「反戦イデオロギー」を見ているわけではない。しかも、別のところで、当時の(今も続く)映画監督の映画的営為の内実、すなわち一方的な観念の強制への批判も行っていて、木下への見方もそれなりにシビアではあるのだが、私はやはり、このような今日的批評意識に同調するわけにはいかない。
 しかも今日の映画ジャーナリズムの風潮として、このような部分だけを採り出して評価し、その映画に「反」軍国イデオロギーが内在してあるなどと肯定的にその映画を評価する傾向があるが、この安直な視点には、映画の裡に公認の軍国イデオロギー的内実があることを認めたくないと主観的に思う、良心的映画批評者の願望によって生成された主観的反戦イメージが映画を越えて一人歩きしているだけなのであり、木下という良心派監督の平和主義的内面とその「映画」を救い出したいという願望があるだけなのだ。
 しかし、紛れもなく映画監督・木下惠介は自ら意図して、壮大な天皇制国家の陸軍の物語を撮ったのだ、ということを私たちは直視することから出発するしかない。彼がこの映画で積極的に、そして有効に使用したその方法は、戦後の彼の映画にもなんら自己批判されぬままに引き継がれる(多くの優れた映画人もまた)。
 しかし、このラスト10分程のシーンは、これまでの『陸軍』のシーンに比して、映画それ自体が動揺していることは確かだ。問題のシーンの内実については後でゆっくり考えるけれど、この誉れの若き陸軍軍人を育て上げたのはこの「母」であること、軍母の役割を意欲的に演じ続けたのはこの「母」であることを無視してはならない、ともう一度確認しておこう。そして、この母はある情況の裡で、自らをそう作り上げたことも。田中絹代は日本帝国主義の母の役割を見事に演じている。このことを改めて問い返した上で、このシーンをどう見るのか。(プロデューサー)
――つづく







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