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評者◆聞き手:ペドロ・エルバー/ジャスティン・ジェスティ/宮田徹也 他
第三回 針生一郎氏インタビュー(2006年10月)
No.3609 ・ 2023年10月07日




■日本軍はアジアの文化に負けた

宮田 いきなり講義になっちゃった。
針生 だけど、彼の中では途中で切ることができない、ひと連なりのものとしてそれが続いているんだっていうことだけは、聴者にもわかる。それは感動的である部分もあって。
 それからね、もう一つ、ポーランドのアンジェイ・ワイダとやはり横浜で公開対談したときに、ぼくが、ワイダさんはポーランドの歴史を扱った映画、全部は見てないけども、かなりつくっているけど、どうしてなんだと言ったら、いやポーランド人である限り、誰でもそれは感じていることだと。つまり一八世紀までポーランドはヨーロッパ中央の大国だった。それが一八世紀後半にロシアとオーストリアとドイツ(プロイセン)かな、三国に分割されてしまって、地上にポーランドという国がなくなった。それでやっと独立を回復したと思ったのが第一次世界大戦で、それから結局ソビエト軍に援助され守られて、それで社会主義国、ソビエトの衛星国になった。スターリン主義の影響をもろにかぶった。誰でも、どうしてこんなことになったんだって、歴史を振り返らざるを得ないんだというふうにワイダが言っていて、なるほどなぁ、ここでも歴史はひと連なりのものとして意識されていると思ってね。
 それに比べると、本当に日本人は、第二次世界大戦なんて遠いわけだよ。もう六〇年安保も全共闘もみんな遠いんだから。消費社会の新しい商品が出てくる、新型商品だけを見て、それを学ばなきゃ、身につけなきゃと思うだけで、過去を振り返らない。だから自民党の政権がもっている。
宮田 美術の話で言えば、先ほどの、戦後すぐに日本の現代美術の伝統をつくろうとしていないという指摘が当てはまっているということになっちゃうんですかね。針生さんとしては、伝統をつくっていこうという意識はあったんですよね?
針生 もちろん。
宮田 それはたくさんの人たちが持っていたと僕も思うんです。しかしそれがやはり大阪万博あたりで断絶しちゃ
ったんですかね。そういうふうに考えてもいいんじゃないか。なんでそういうふうになっちゃったのか。
針生 僕だけじゃなくて日本人全体の考えの浅さの問題だね。敗戦というものは、竹槍で戦うみたいな日本の精神主義が、アメリカの物量に負けたというふうにだけ、まず受け止められた。だけど、アジア諸国を日本軍が占領したけど、それらの国々の文化に日本の武力だけでは対抗できなかった。アジアの文化に負けたとも言える。僕はそっちの方を重く受け止めなければならんなと思うんだけど。ベトナム戦争を通してそういう反省が起こったけども、まず大半の日本人が持っていない感覚でしょう。
 だけど、反面、去年、福岡のアジア美術館で、アジア展っていうのがあって、僕はたまたまこのアジア展を全部見ているんだけど、今度のアジア展はあんまりアジアらしくないっていう記事が新聞に載っていたの。あそこは、一回目は各国政府や美術家協会みたいなものに頼んで、向こうの推薦する作家を並べていた。僕は元九州派の連中と一緒になって金を払って、美術館に入って、なんだこんな各国の年功序列による大家ばかり集めて、つまんない展覧会だなんて言って、「アジア美術展粉砕!」なんて叫んで会場の中をデモしたことがある。
宮田 誰とですか?
針生 元九州派の大部分。桜井孝身も菊畑茂久馬もオチオサムも。
 ところがその二回目からか、これはいかんと思ったらしくて、大体一つの国に二回は行くと。最初は向こうが提供する情報を貰ってきて、その中から選んで、こちらにとって興味のある作家というふうに絞って、やっとそのアトリエをまわって、こちらで判断すると。一回ごとに一〇日とか半月とか滞在して、かなり綿密に調べるから、第二回から面白くなったんです。それでね、去年行ってみてね、なるほどアジアらしくないんだ。横浜トリエンナーレと似ていて、全部ビデオだのアニメーション、それからロボットのようなハイテクノロジーを使えないところではただの人形を並べているっていうふうなね。この三、四年の間にグローバリゼーションがアジア諸国に浸透して、この急速な浸透ぶりがまたアジアなんだよ。
ジャスティン その点で、今年の光州ビエンナーレはどう思われましたか?
針生 焦点がはっきりしないというかね、それこそアジアの伝統の再評価みたいなので、リ・ウーファンが久しぶりにっていうか、光州ビエンナーレでは初めてかな、登場している。それでぼくはリ・ウーファンは非常に機を見るに敏だから、もしかしたら金策じゃなくて、あの大きな立体作品を出しているかなと思ったんだけど、そうじゃなくて大画面の真ん中に四角いタッチを置いた、それだけのもの。しかも、それが千住博と並んでいるんだ。そうすると、アジアの伝統といっても非常に保守的な感じがする。
 光州ビエンナーレの良さは、ビッグネームに頼らず無名の新しい才能を発掘することだったんだけど、そういう部分がほとんどない。
ペドロ 僕も今度ブラジルに帰ったら、いまの研究のテーマの、日本の六〇、七〇年代の美術の展覧会をブラジルでオーガナイズする予定でした。
針生 そうですか。
ペドロ ぜひ針生さんにいろいろアドバイスを聞きたいんです。もし一緒にできれば本当に幸いです。それで、まず、作品を選ぶ前に、どこで切るのか、どこから始めるのか。僕は広い意味の六〇年代というアイディアが好きなんですが、五五年から七〇年ちょっとまでですけど、だから戦後というよりも狭く、六〇年代よりも広い。でもどこからそれを始めて、どこまでにするかは問題ですよね。本当に大きい、パノラミックな、歴史的な展覧会は、その点ですごく難しい。責任が大きい。それこそそういうディスクールをつくることになってしまいますからね。特にブラジルでは、日本美術の大きい展覧会はまだない。
針生 そうね、ないですね。
ペドロ アメリカではもうすでにアレクサンダー・モンローの展覧会があります。あれは先生はどう思われたんですか。あの切り方とか、紹介の仕方とか。
針生 いかにもアメリカ人が見た日本人という感じ。
ペドロ そうですよね。
ジャスティン その点で、私の目では、モンローさんの紹介した日本の戦後美術は、千葉成夫の戦後美術史のものです。
針生 そうなんですか。
ジャスティン ああ、いや、それに基づいたというよりも、結構共通点があるのではないかというふうに私は見ているんです。針生さんは千葉成夫さんの逸脱史(『現代美術逸脱史』晶文社、一九八六年)についてのお考えは?
針生 その本の出版記念会、出たんですよ。フジテレビの社長とか、どっかの美術館長とか、当たり障りのないつまんない話ばっかりだった。そこで僕はこういう話をしたんです。千葉くんは東京国立近代美術館にいて、なぜか知らないけど大変評判が悪い。だから今日の出版記念会にはあんまり人が来ないだろうと思っていたら、斎藤義重、堀内正和などの長老から若いところまでずいぶん来ていて、私は千葉くんを買っているので、大変嬉しい。しかしこの本で私も槍玉に挙げられていて、要するに具体が東京に来ても、国際的な前衛の観念にとらわれていた御三家などはそれはほとんど問題にせず書きもしなかったというふうな書き方で、それで具体ともの派が結局、外来のものを受け入れるんでなくて、自ら逸脱しながら日本の伝統の中に入っていったというふうに彼は見ているわけだね。千葉くんのメスには、ものすごく切れる鋭いところと、錆び付いて切れないところとがあって、どっちかっていうとぼくは錆びついたところで力任せにゴリゴリやられているような気がした。なぜかというと、例えば具体というのは吉原治良さんが、作家でありながら吉原製油の社長でもあり、美術雑誌もよく読んでいて、すごい評判がよくて、それが組織し演出した運動なんです。だから僕は初めて見たときに、ダダを踏まえるということはこういうことなんだなと思ったけども、別にどこからも注文がなかったから書かなかっただけです。国際的前衛を持ってきたという点では、むしろ吉原さんなんだと。だから具体の雑誌を世界中に送っていて、例えばジャクソン・ポロックが死ぬ前にポロックの机の上に「具体」という雑誌が乗っていたと伝えられるのも、そういうところから来ている。そこら辺がこの本の、僕にとってはあまり痛くないところだっていうふうな話をしたら、批評をやっていていまどうしているのかな、藤井君っていう若いのが、ずいぶんズケズケとおっしゃるもんですねってぼくに言うのね。ところが、多摩美の教え子であった堀浩哉というのが、「針生さんあれ褒めすぎだよ、千葉くんってもっと官僚そのものですよ」って言う。
 もう一つは、オーストラリアで教えているジョン・クラークっていう、中国語も日本語も読めるし話せるっていうすごい人なんだけど、中国美術について彼が書いたものでなるほどと思ったのはね、いまも海外に流出している中国作家がずいぶん多いと。それでもいつかは中国へ帰りたいと思っているのは、山水画、風景画、あるいは静物画とい
うジャンルを超えない、と。しかし一方で、いま住んでいるところ、あるいはこれから行くところで死んでもいい、別に中国へ帰らないでいいと思っている作家は、インスタレーションとか、もっと新しいところまで行くと。ただし、この「どこで死んでもいい」と思っている作家も、一人じゃだめなんだ。やっぱりそこの批評家なりキュレーターなりが、その反抗の意味をちゃんと捉えて、それを自国の中で明らかにしてくれないとだめだと。そういうサポーターが必要だと。その点、千葉くんは日本の批評家の中で中国のことをよく書いているから、サポーターになりうるかと思っていたら、西洋的な美術の考えが中国で発展したのは文化大革命が終わってからだというようなことを書いていて、これはとんでもないと思った。清朝末期には、あれは郎世寧といったか、すばらしい油絵画家がいたわけだし、そこらへんを千葉くんともあろう者が知らないのか、ということを書いていました。

■芸術運動によって制度をどこまで変えることができるのか

ジャスティン どこまで芸術運動によって制度を変えることができるのか、どこまで不毛になるのか。
針生 私は旧制高校に入ったばっかりで敗戦ですが、天皇絶対の右翼学生だった。その一五年にわたる戦争の内幕を戦後いろいろ読んで、こんなにひどい、敵の将兵だけじゃない、一般の女子供老人まで殺すような殺戮と侵略の戦争だったとわかった。こちらはそれを神話か叙事詩の中にいるみたいな感じで受け止めていた。一九歳で敗戦を迎えたんで、それ以前とはいえ、そんな目で戦争を見ていた自分が許せないと思ったのが、右翼的なものを脱却したきっかけです。だから、敗戦の翌年の一月に昭和天皇がマッカーサー司令部を訪問して、背の高いマッカーサーと背の低い昭和天皇が並んだ写真が新聞に大きく出て、そして天皇が現人神、生きていながら神だという、そういう神話や信仰に支えられての天皇なのではなくて、国民との信頼関係において天皇なんだっていう、いわゆる人間宣言という勅を出す。だけど人間なら、まず戦争の元凶として責任を取って、せめて自分から退位するぐらい、天皇の位置を退くぐらいが当然じゃないか。だからこれは、占領下でも天皇の地位だけは形だけにしろ守ろうとする計算からだから、インチキ人間宣言だと思った。戦後、日本政府は戦争責任、戦争犯罪の問題を忘れさせようとばっかりしていますから。それでこっちは必然的に急速に左翼化した。
 もともと右翼化したのも、いわゆる学徒出陣で文科生から徴兵猶予、兵役免除という特権が奪い取られた。同級生はほとんど内地に行って、みんな戦場に駆り立てられていた。そのときに僕は結核で、徴兵検査の甲乙丙の丙種で、実質的に軍隊は免除になった。その負い目があって、関連的にだけでも戦争に参加したいということから右翼的な方向に行っている。大浦信行という美術家であり映画もつくる男がいますね。昭和天皇とレオナルドの解剖図とかミケランジェロの天地創造とか仏像とか、そういうものをコラージュ、モンタージュでシルクスクリーン版画のシリーズをつくった男です。富山の出身だから、富山県立近代美術館で「富山の美術86」という一九八六年の展覧会で、大浦くんのこの「天皇シリーズ」が取り上げられた。そしてその何点かを美術館が買い上げ、他の何点かが作家の寄贈ということになった。つまり富山県立近代美術館は大浦作品を持っていたんだけども、会期の後に、あれは昭和天皇のプライバシーを、あるいは肖像権を侵害しているし、裸体だの解剖図だのと一緒に天皇を並べて非常に不愉快であったというふうな発言が出た。そうしたら全国の右翼が三〇〇人も富山に集まって、この作品を追放しろ、美術館長を罷免しろ、っていう集会を開いた。その後も右翼が美術館や図書館、その図録の置いてある図書館に入り込んではそれを破棄する、あるいは県庁の知事室に殴り込みをかけるというようなことが続くもんだから、県側が一方的に、この大浦作品を民間の匿名の個人に払い下げる、そして残っているカタログは全部破棄するということを発表したんですよ。
 それで、大浦くんと富山の芸術家や知識人、それから僕も原告に加わってこの美術館の措置を告訴した。一応、こういう財産になったものは、オークションを経ないと民間に売り渡せないという法律があるんですけど、それにも反しているということで。それでね、一審はそのことには触れなかった。この大浦作品を公開するか、ただ収蔵するけども公開しないか、というのは美術館の裁量次第だ。美術館の判断に委ねる。ただし、特別な許可を得て別室でこれを見たいということまで拒否する理由はない。その点で作家に公開の自由を侵したということで迷惑をかけているから、二十何万円だかを作家に払えという判決だった。僕はそれで十分だと思ったんだけど、弁護士がね、表現の自由と、今回の自由と、これらは相まって一番重要なことで、美術館にとって根本的なことじゃないかと、こんなものは呑めないと言って控訴しまして、高裁と最高裁まで行った。しかしそうしたらその二十何万円の賠償金を払うということも削られて、全面敗訴。美術館のやったことが全部正しいということになっちゃった。――つづく







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