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評者◆小野沢稔彦
木下惠介の『陸軍』と『この天の虹』――昭和史を貫流する「家」という制度
No.3608 ・ 2023年09月23日




■陸軍――天皇制国家の支柱

 この『陸軍』においては、天皇制国家と帝国陸軍とその軍人との三位一体の合成体はその全体系自体、絶対的に不可侵の天皇直属の皇軍として、その存在性は疑うべからざる神聖な「国体」としてあり、幻想の共同体たる国民国家の上にその幻想の現実態としてある。
 この幻想実態は国家に属する国民を全面的に拘束すると同時に、その国民一人一人はその幻想性を自らのものとし、その実態性を支えるのである。すなわち、国民は天皇帝国の臣民として帝国に全的に帰属従属しながら、同時に天皇制国家を主体的に支え参加するように、陸軍という絶対的不可侵体にも従属し、一方でその軍事体制を主体的に担うのである。
 この映画『陸軍』が、戦前・戦後を問わず他の軍隊ものに比して今日においても――今日においてこそ――、問題にせざるをえない課題としてあるのは、この映画における陸軍の構成構造において、国民の主体的位相を的確に捉えていることによってなのである。同時にその主体性を確立し強固にする、彼らを生み育てた家族の問題をも見すえているのである。
 このことは戦後においての良心的日本軍批判映画の多くが、国民はただ国家の制度的強制によって軍隊へと動員されたのである、としか陸軍と国民の関係性を捉え得なかったのに比し、木下はこの『陸軍』において明確に、国民一人一人の主体的意志によって陸軍は形成されてあることを表象している。この従属し、一方でその支配体系を主体的に担う輻輳した両義的実像構造にこそ、天皇帝国と臣民との現実はあるのだ。
 このことをもう少し丹念に見てみよう。共に国家権力の中枢組織である「警察」権力と陸軍を比べてみればこのことは明らかだろう。警察は国民国家の大衆とはまったく遮断されており、選ばれた特権的人物によって担われ、その実体は権力構造の闇の奥に閉ざされたままに、その実体を隠してしまうことによって、国民大衆に畏怖を与え、「脅」権力としてある権威権力であるのに対し、陸軍は建前上――あくまで建前上としても――国民大衆に向かって開かれてあるのである。階級的、地域的、学歴的差異もなく、国民大衆に全的に開かれた国家組織としてある。
 陸軍は、どんな国民にとっても親しい存在であり、等しく男らしさを付与してくれる組織であり、国民が自らの存在理由のなかで必ず通過せねばならない聖なる時空なのである。陸軍は全国民にとっての「我ら」の陸軍なのである。
 だから、警察権力にとっての国民映画は存在しないが、国民軍たる陸軍についての映画は紛れもなく「国民映画」としてあるのだ――戦後においても国民映画たる陸軍の物語は作り続けられる(勿論、国民映画の名称は付けられることはないが)。
 国民軍=陸軍にあっては、国民は皆、同一の国民なのであり、天皇から下降された同一の装備品と軍装によってそれぞれの身体を鎧い、同一の軍紀の下に一糸乱れぬパフォーマンスを行うことで、直接に天皇の統率する国民軍となって国民国家を表象する。
 そしてなにより、陸軍という現実のあり様は国家間「戦争」を担うものとしてある。天皇帝国の陸軍はその絶対的存在理由として天皇の戦争への意志を内在しており、その意志の表象として現実の戦争を戦うのだ。この『陸軍』でも一貫して描かれるのは天皇の意志に表象された国民の戦争の現実であり、陸軍とは天皇帝国の暴力装置としてあるところの臣民の侵略戦争への集団的熱狂の集約された「力」の現実なのだ。
 映画は一貫して謳い上げる――日本陸軍は強く、勝利し続ける。陸軍は戦争という極限の美を演出し演じ続ける。陸軍は美しく、男らしく強い。帝国陸軍こそが日本国家の精神そのものである。この讃歌の歴史表象こそ、『陸軍』という映画の謂いである。映画という近代文明が産んだ表現様式はその生成の最初から戦争を描いている。映画は、一貫して「戦争」と同伴している。
 そしてなにより軍隊という現実性の顕現が紛れもなく「戦争」という極限の政治発動だということをおさえておきたい。すなわち陸軍=軍隊というものは国民国家大衆の総意に支えられ国家意志を戦争という形で表象する国家の暴力装置としてあり、その「暴力性」だけが軍隊を表象する絶対性としてあるということである。特に日本の陸軍は天皇に直属し、他の権限機関の機能を超越し「国体」を守護するためにだけある軍事装置であるのだ。
 陸軍=軍隊は日清・日露戦争に始まる侵略戦争において、その第一線で帝国主義戦争を領導するものとしてあるだろう。このとき、陸軍の行動は、あらゆる面で絶対であり、疑うべきものではありえず、すべてが許容されるだろう。そして戦争局面にあっての陸軍の存在理由は天皇制国家の「敵」を全面的に粉砕・勝利することだけが求められる。
 軍隊は、敵を殺しつくし、焼きつくし、犯しつくすことが目指され現実行動となる。昨今、多くの識者がこの『陸軍』を評価するに際し、映画のクライマックスである、ラストシーンの侵略戦争への出征を目指すこと――敵を全面的に打ち破ること――に、あえて触れようとしない傾向があるが、このことは陸軍=軍隊の本質を見ないことである、と強調しておく。
 この映画の『陸軍』もまた――そして、その軍事装置たることを自明のこととし、翼賛する国民大衆もまた――、軍隊が天皇制国家の暴力装置として「敵」を殲滅するためにあることを全面的に表象していることを確認しておきたい。
 さてこの『陸軍』という映画の内実をもう少し詳しく見てみよう。この映画の特に前半部分(今次の戦争を物語る以前の)の陸軍の成長形成期――すなわち勝利し続ける海外侵略戦争時代――は、この強く不敗の帝国陸軍の公認の歴史をストレートに表象し、戦争機械としての陸軍のあり様を自明の現実として観る者を納得させる。この戦争表象は、実録風アクション活劇としてあり、この実録アクション劇は特撮も効果的に使って勝利の合戦絵巻として、国民の信じている神話のままに「日本」の戦争が描かれる。
 しかし、この強大な陸軍の物語としての成長形成史は、一点の曇りなき自明の歴史としてしか描かれないので、いささか教科書的な物語とならざるをえない――この時代の国民映画の物語はすべて、そうならざるをえない。特にこの戦争勝利史観を語り合う男たちの言説はほとんど滑稽な程に願望物語である。そして、木下はあえてこの男たちの滑稽な言動をいささかコミックに演出する。
 この映画の中心人物たる笠智衆が演ずる父親は、紛れもなくこの時代を人格的に象徴する人物である。かつて彼は、陸軍士官学校に入り、日露戦争に従軍しながら、病弱のため陸軍病院に入れられ、前線に出ぬまま除隊を余儀なくされた過去を持つ故に、その鬱屈によってか、ほとんど狂的にまでファナティックな皇国史観と陸軍絶対主義を体現する者である。このことは、この新しい昭和の戦争の時代にある面――列強の支配下にあるアジア解放戦争という大義と天皇の敵を撃てという叫び――、時代と齟齬をきたさざるをえない。
 だからこの父親はその言動故に、周囲との間にほとんどマンガ的行き違いを生じ、そのことを強く打ち出す映画表象において、一種のドン・キホーテ的人物として喜劇的情景さえ成立させる――映画はこのマンガ的情景を前面に打ち出すことによって逆に観客をあきさせることなく、紛れもなく「大衆映画」として成立する。しかし、小難しいイデオロギー的言説ではなく、「敵を撃て」という「叫び」こそが大衆を揺さぶるのだ。ドン・キホーテは人気者なのだ。一方、この父親像に対し、田中絹代の母親は、父親のあり様に半ばあきれながらも、父親の「純な」男らしさに共感を示し続け、この父親に従うのだ。このマンガ的父権主義の父親とそれを支える健気な母の劇パターンは戦後のホームドラマのパターンでもある(この家族の父親のファナティックな軍国主義的側面だけを切り取れば、即戦後のホームドラマに変容する)。
 同時に、現実の戦争の進行と共にこのマンガチックな程の陸軍至上主義の男たちのあり様は、時代の精神となって、激化する戦争の時代を主導し、昭和の戦争を領導するだろう。
 このあたりはほとんどマンガ的な男たち――この時代から、そうとしか描かれない時代的傾向の下にあるステレオタイプ的母親像と共に――の表象は、多分、凡庸な監督の手に拠っては、きわめて教育映画風なものになってしまうだろう。しかし、『陸軍』は、日本のどんな家族ドラマをも構成しているような父親像・母親像のキャラクターによっても、やはり木下ならではのものとしてある。きわめてステレオタイプ的な人物の動向をあえてマンガチックに描くことで一種のスラップスティックドラマに仕立て上げる。この家庭劇と時代風潮との交流と更には、過去の陸軍形成史の実録風アクションを縦横にモンタージュしながら観る者をあきさせない。そして天皇帝国の威光と共に生きる陸軍は称揚される――優れた監督こそ、優れた宣伝映画を作る。

 そして、この陸軍形成史の冴えた演出力は、戦後の『この天の虹』の「国家」企業とその構成員――この国の市民も含めて――との関係性において、もっとソフィスティケートされ、もっと繊細に、もっと根底的に徹底されて『この天の虹』の上にも覆い被さり続ける――断定的に言ってしまうなら木下惠介(そして多くの戦後派民主主義監督)は、「映画」そのものを疑ってはいないのだ。
 だから今、私たちが問わねばならない根底的な問いは、この天皇制陸軍の物語も、戦後民主主義下の青春群像の物語をも作り出している「映画」という物語であり、「映画」という表現の構造なのではなかろうか。
(プロデューサー)
――つづく







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