書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆凪一木
その206 残念な者に気を付けろ。あと二、三日待て。
No.3607 ・ 2023年09月16日




■いよいよ、この連載もあと五回だ。
 人間というものは、思う通りにいかない。五年勤務し突如退職した樵さんも、あと二、三日いたなら展開が変わっていた。局面は変わる。それがいつなのかは、かなりの見る目をもってしても見当がつかない。居続けたほうが当人にとって「良い」会社なのかは分からない。私自身がそうだ。何度見誤ったことか。その結果が今であり、この先も不安だ。樵さんは、一緒にいて欲しい人であった。あと少しやり過ごせば何とかなった。樵さん以外にも多数辞めていった。私の中でそれなりの人心地が壊れた。
 この連載時にも師や友人が亡くなる。身近な人の死は、自身のこれまでと、残りの人生の意味とを我が身に問うてくる。二〇二二年に自殺した小・中・高校生の数は五一四人で過去最多だ。人は一人でも生きられるというが、そんなことはあり得ないことも事実だ。知り合って、それなりに友となっても、一人ひとりこの世を去っていく。友が多いのも問題だが、少ないことの詰まらなさについては、論を待たない。なぜなら、友もなく生きているのは、友ではない誰か知らない人間からの恩恵にただ乗りしているようなものである。そのことを、あまり理解せずに生きているから「友など要らない」という発言になる。友を意識することで、その分のお返しや貢献を、仕事でもってしたい。友や家族や誰かに返すことを覚え、学び、実践して死んでいきたい。時間の無駄を口にする人は、何か世の中に貢献できる能力があると過信している。そんなに貢献などできない。多くの人間は自分が払っている以上のサービスを周囲や公共から提供されている。
 吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』という物語が、タイトルだけなのか宮崎駿により映画化され公開されている。その三日後にNHKで始まった新番組「哲学的街頭インタビュー」の最初の回が、「何のために生きていますか?」である。その一週後に性被害を告発していた女優の水井真希が亡くなる。映画公開日の二日前には、ryuchellという二七歳のタレントも自殺する。
 たとえどんなことであれ、少しでも注目され、脚光を浴びると、それだけ称賛もされるが、羨ましがられ、妬まれ、さらには一部の残念な者により、余計な被害も受けかねない。
 この「残念な者」というものも、注目されず、脚光も浴びない、という多くの人間に当てはまる者の中から、突然変異的に炙り出された者であり、誰を取り締まったところで、また特定したところで、常にどこからか湧き出るように生まれる。
 どんな小さな間違いさえ、残念な者にとっては格好の獲物だ。大スターほど、幸せとともに不幸を体感したであろうし、最悪の場合は、ジョン・レノンやJFKのように暗殺されたりもする。自ら死を選ぶような道筋に至る場合もある。
 悪事でさえも、ある数の人にとってヒーローとなれば、これも妬み、攻撃の対象となる。無名でなければ、無能でなければ、存在するかぎりは、常にこの危険は付きまとう。受験でも、恋愛でも、商売でも、スポーツでも、常に順位付けがなされ、勝敗があり、好き嫌いが決定に加味し、差別化が行われる。全く被害を受けないということはなく、また全く加害を行わないでいられるかというと、これも難しいと言わざるを得ない。自分で分からずに行うものであり、逆に被害を受ける側もその程度であることをまずは認識すべきであるとも言える。
 他人を見るとき、評価するとき、どんな目で見ているか。聴いているか。年齢、国籍、顔や肢体の美醜、身長の高低、周囲の関係者、性格、生育環境、声、匂い、仕事の優秀さなどなど。一対一の場合は、加害を意識できるが、多数の側に自分が入った場合は、優秀な者を排除したり、容易いことに同調したり、水が低きに流れるがごとく、その加害性に気付かない。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、他人を殺す能力を持っている。自らが「残念な者」であることに気づくことも出来ない。その怖さを甘く見ないよう、少々余計なことかもしれぬが、残念な者にも伝わって(バレて)しまうかもしれぬが、お前が残念だと言われようが、残念な者に殺されないようにしなければならない。このことは必要以上に説いていきたい。
 また、この残念な者の攻撃性は、国や共同体への信頼がないことにも起因する。残念な者に気を付けるだけではなく、残念な者を増やす元を少しでも何とかするよう、時間は掛かるが、行動を割くべきである。最も冷たい人間は、この残念な者を利用して、自らのみが過ごしやすい世界を作っていこうとしている。残念な者のうちの一部は、サイバー攻撃やテロとなって、個人から、国や共同体に向かうだろう。もちろん望ましいことではなく、本来の解決に近づく行為ではない。死ななきゃ治らない残念な者が存在する以上は、そして、それを使用する冷たい人間がいる以上は、殺されないようにすべきである。
 連載終了の最大の原因は、最古透や八時半の男といった残念な者たちのストレスが一時的に消えて、モチベーションが下がったことだ。切羽詰まっていない表現など、私も読みたくない。心を打たない。
 創作は、追い詰められた人間のほうが強い。楽になると、読者に見透かされる。表現は過酷さが武器である。それが現実にどれだけ負けていても、どんなに困難な状況であれ、伝達の方法はあり、受け手のアンテナは存在する。造反有理。
 逆に、怠惰の羽根は簡単に折られる。自ら折ってしまう。絶望の果てに見える一筋の光明が、俗物の呟きでは、読者の身にも、摘まされようがない。老兵は表現など出来ない。沈黙するのみである。忘れられる程度が丁度いい。物言えば唇寒く、書くほどに悪人が隠れていく。
 気付いている読者もいると思うが、私は読んでもらいたい人にだけ向けて書いている。たとえ何があっても生きていてほしいという人がいる。その一方で、死んでくれとは言わないまでも、生きていてほしい人間の邪魔をするような人がいる。そこに向けてこの文は存在しない。世の中のベストセラーとは、そういった人の数も含めた総体だ。だからこそ、読むべき人に届けと思ってワーストセラーであれ「外れたもの」を私は書いている。
 ポール・サイモンよりも先にボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。より特定の者に向けた作品の作者は、大衆から支持される立ち位置にはならない。ポール・サイモンの『サウンド・オブ・サイレンス』は、JFKの死に触発され作られた。より少ない者に向かう創作を成立させることのほうが難しくかつ、その受け取る者にとっては価値ある宝物と成りうる。それでも大ヒット曲だ。だが届かない静寂について歌っている。
 何の賞も要らない。届く人にだけ届けば良い。言葉はギリギリだ。会社を辞めようが、人生をやり直そうが、生きていてほしい人がいる。
 少し待てば局面が変わることもある。
(建築物管理)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約