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評者◆粥川準二
クリストファー・ノーラン新作『オッペンハイマー』への期待と不安――議論を喚起するためにもいますぐ公開すべきだ
No.3604 ・ 2023年08月19日
■まだ観ていない映画について書くのは躊躇する。しかし日本に、また広島に住んでいる以上、現時点で何か述べておくことにも意味があるだろう。いうまでもない。数々の傑作・問題作を世に出してきた鬼才クリストファー・ノーランが監督した『オッペンハイマー』のことである。筆者はこの映画が公開予定であるというニュースを読んだ時点から、不安と期待を抱いてきた。不安というのは、これまでハリウッド映画は原爆を含む核兵器をまともに描いてこなかったからだ。
近年でいえば、たとえばジェームズ・マンゴールド監督『ウルヴァリン‥SAMURAI』(二〇一三年)では、ローガン(ウルヴァリン)が長崎で原爆の爆発から日本人の将校を体を張って助けるシーンがある。原爆の破壊力を過小評価しているようにしか見えなかった。 ギャレス・エドワーズ監督『GODZILLA ゴジラ』(二〇一四年)では、ビキニ環礁での核実験はゴジラを殺すためのものであったと設定された。つまりこの映画では核兵器も放射線も武器であって、恐怖の対象ではなかった。 当のクリストファー・ノーランが監督した『ダークナイト・ライジング』(二〇一二年)では、バットマンが「ザ・バット」を操縦して核爆弾を沖に運んで爆発させる。放射性物質は風でゴッサムシティにも届くはずだが、それへの言及はなかった。 映画に限らず、アメリカでは原爆投下を悲惨なこととして描くことはタブーになっているらしい。たとえば一九九五年、スミソニアン航空宇宙博物館は、広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」を、広島や長崎の被曝を伝える資料とともに展示することを企画した。しかし退役軍人協会などから強く反対され、計画は中止された。 しかし筆者は『オッペンハイマー』に期待も抱いている。アメリカでも世代交代が進み、「原爆投下は戦争を止めるために必要であった」というような発想は後退しているかもしれない(実はそれを示唆する情報もある)。また、同作はアメコミ映画でも怪獣映画でもなくシリアスな伝記映画だ。ノーランなら何かやってくれるかもしれない、と。 だがSNSやウェブニュースで漏れ伝わってくるところでは、どうやら『オッペンハイマー』には、原爆を投下された広島や長崎の描写はないらしい。それに不満を持つ日本人もいるかもしれないが、筆者はそれならそれでいいと思う。原爆を描くとき、つねに『はだしのゲン』のように描かなればならないわけではないだろう。ノーランがノーランなりの方法で原爆を描くことによって、過去や現在、未来の核兵器をめぐる議論が一歩でも進めばいい。 あるライターは期待をこう伝えている。「日本の観客としては、「この映画が原爆賛成で終わると本気で思っている人がいるなんて信じられない」という言葉が聞こえてきたのも安心できるポイントだろう」(稲垣貴俊「『オッペンハイマー』海外最速レビュー、「ノーラン最高傑作」「完璧」との声多数――キリアン・マーフィー、ロバート・ダウニー・Jr.にも絶賛」、『THE RIVER』、七月一二日) 一方、あるジャーナリストはアメリカで同作を鑑賞したうえで厳しくこう述べている。「現在のアメリカでは、広島の悲惨な映像を公開すること、あるいは首脳が見ることは一種のタブーになっています。それは、そうした行動自体が「アメリカにとっての謝罪行為」であり、国家への反逆だという言い方で批判される危険があるからです。バイデンはそれゆえに、資料館の一部しか見なかったし、この『オッペンハイマー』も同じ理由から惨状の描写を控えたと考えられます。この点に関しては、被爆国である日本として、改めて真剣な問題提起をするべきです」(冷泉彰彦「クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を日本で今すぐ公開するべき理由」、『ニューズウィーク日本版』、七月二六日) G7広島サミットを踏まえれば、同感せざるをえない。 一方、核兵器をめぐる議論を後退させかねない出来事があった。 アメリカでは同時公開された『バービー』(グレタ・ガーウィグ監督)と『オッペンハイマー』の画像を合成し、原爆を軽視しているとしか思えないファンアート(ネットミーム)がSNS(主にX=旧ツイッター)上で広まったのだ。たとえば、オッペンハイマーがバービーを肩で持ち上げていて、『バーベンハイマー』という映画のポスターのような画像である。 それに対して七月三一日、『バービー』の公式アカウントが「思い出に残る夏になりそうだ(It's going to be a summer to remember)」とハートマーク付きでコメントした。当然ながら、元のファンアートにもこの公式アカウントにも、日本人を中心とする多くのネットユーザーからの批判が殺到した。『バービー』の配給会社は謝罪し、当該の投稿は削除された。 アメリカ人は変わっていないのだろうか。 そうとも言い切れないようだ。 前述したスミソニアン博物館は「原爆投下後の広島と長崎の街を写した写真を新たに展示する」ことを計画しているという。「従来は国内世論への配慮から、原爆の被害をめぐる展示はしていなかった。2025年に展示を刷新するのを機に、爆撃を受けた側の視点の紹介に踏み込む予定という」(清宮涼「広島・長崎の原爆投下後の写真を展示計画 米国立スミソニアン博物館」、『朝日新聞』、八月一日) 前述のようにアメリカの世論が変化しているという兆しはある。八月二日現在、『オッペンハイマー』の公開日は未定だが、議論を喚起するためにもいますぐ公開すべきだ。 (叡啓大学准教授・社会学・生命倫理) |
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