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評者◆稲賀繁美
二項対立の「弁証法」か、三つ巴の循環論法か?
ヒトと電子回路上の「幽霊」との関係を「書評者の亀鑑」から「お知恵拝借」して考える低徊的妄言――鹿島茂著『思考の技術論――自分の頭で「正しく考える」』(本体三四〇〇円・平凡社)を読む
No.3603 ・ 2023年08月12日




■ヘーゲル弁証法を全否定するカール・ポパーの舌鋒に、『思考の技術論』の著者は「困ったことになりました」と白状する(p.359)。だが、冷戦期のスターリン論争や論理実証主義論争などに深入りせずとも、毛沢東「矛盾論」と形式論理学の「矛盾律」とは、元より「共約」ではあるまい。
 そもそもcontradictionを「矛盾」と訳すこと自体に誤謬が胚胎したはずだ。中国語の「矛盾」は、記号論理学とは異なり、「盾」と「矛」とを直接対峙させない限り両者共存・包括を許す。さらに、記号論理学の「同一律」「排中律」の両者から排除されるgray zone「どっちつかず」(p.521)が日本美学の得意技。これとは好対照で、朝鮮戦争を経た休戦分断を生きる韓半島では黒白の分別は絶対であり、譲歩を許さない。斎藤真理子『韓国文学がおしえてくれること』は、その苛烈な現場に透徹した理解を示している。
 その三者の循環構造を卓抜に描写し、二元論的弁証法からの脱却を提唱したのが李御寧『ジャンケン文明論』だった。だが一方で、ヒトの判断が経験からの帰納に頼る他ないのに、三つ巴三元論は帰納法には不向き(p.217)。他方で記号論理学は、その前提からして、時間性を排除する論理(p.370)、即ち同時性と移動禁止の固定視点に立脚して構成される虚構である。
 ここに「正しく思考」することの限界が顔を見せる。「“わたし”とは、体という場に蓄積した時間」とは村瀬孝生『シンクロと自由』に見られる観察だ。人間存在は、時間軸上の重ね書きに「自己同一性」を「帰納法的」な幻想として納得する。その限りで、時間軸を排除する「人工知能」の形式論理学的演算(p.481)とは「矛盾」背馳する。たしかに、元々形式論理学の枠内で設計された「人工知能」AIにも擬人的帰納法学習を埋め込む試みが昨今なされてはいる(p.483)。だがそこで「同一性」の「重ね書き」をいかに処理するか(p.371)は、『思考の技術論』の楽観とは異なり、厄介な原理的アポリアに逢着し、技術的解決とは撞着するはずである。
 人間の判断は、あくまで有限な経験の漸進的変形と記憶喪失との相互均衡に揺曳する。他方、無限膨張・累積保存の集積たるAI原簿から、有限な数値情報の有効解を導くのは、悪質な欺瞞だろう。根拠データとそれを検出する演算規則とが競合し、特定の検索座標上で期待値が相乗して増殖する暴走を事前に除却することは不可能なのだから。
 一個人(⇒人類)の記憶総体が電子機器により自由自在に保存活用できるなら、知性の水準でヒトは「障碍を超えた自由」(p.138)を享受し、もはや「死すべき存在」ではなくなる。だがその時、不死はいかなる人相を帯びるのか?
 鹿島茂氏は幼少のおり、自分に危害を加える「悪い人」に共通の顔貌特性を「類似」として感知するに至った、という(p.111)。他方、優生学の祖Francis Goltonは、多数の犯罪者の顔写真を重ねて焼付けて、人相類型学の達成を目指した。だが前者とは裏腹に、後者の目論見は見事な失敗に終わる。重ね描きの末に現れたのは、「悪人面」を互いに検閲して個性を喪失した「平凡」な顔貌だった。
 ここに出現した「名なし」「のっぺらぼう」Eggこそ、『攻殻機動隊』Ghost in the Shellが夙に描いてみせた「幽霊」ghostの正体ではなかったか? 思うに「正しく考える」のは、生命体の試行錯誤であり、そこに究極の静止画像は出現しない。さらに「ワレ惟ウ」には思考手段として言語が必要だが、言語は「ワレ」に先行する(末木文美士『絶望でなく希望を』p.159)。
 だが、デカルトの出鼻を挫くこの循環、ヒトの操る二重分節言語の宿命的限界、そしてそこに不可避な「論証の無理や穴」(p.498)に「自由」への開口部も開けてくる。「正しく考える」とは、その「風穴」を覗き見する営みだろうか。「ものを考える」醍醐味を「熟読玩味」することから、「考える教育」の除幕に期待したい。







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