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評者◆稲賀繁美
論理的思考を鍛えてこなかった日本語の文化環境に、脱皮への処方箋はあるのか?――「正しく論理的に考える」方法伝授から逸脱して、考えたこと
No.3601 ・ 2023年07月29日




■日刊新聞書評欄で絶大な説得力を発揮している鹿島茂氏の思考回路が、『思考の技術論』には隠さず開陳される。出世作『馬車が買いたい』の舞台裏の自己分析(p.468)からは「馬車の記号学」によりパリ社会史解析に新機軸を打ち出した著者が、理論研究の陥穽に囚われていた同時代の風潮を尻目に勇躍した所以、「俗物と観察者が同居する人間(p.463)ならではの自己観察の離見の見、その学会市場における「転業」のビジネス戦略までもが透視される。
 社会学者ピエール・ブルデュー「卓越性」distinction議論を「doda記号」(p.460)と読み替える機智にも、著者の「どーだ、みたか」という自信のほどが窺われる。デカルトの「ワレ惟ウ、故ニワレ在リ」を哲学問答から救出する著者は、宇野弘蔵『資本論に学ぶ』(p.156)をエマニュエル・トッドの人口動態社会史に重ね合わせ、資本の「原始的蓄積」がイングランド社会に特有の「地域限定理論」でしかなかった、と喝破する。
 またヴァルター・ベンヤミンのパッサージュ論からは、鉄骨建築の初期、機能主義への脱皮のいわば胞衣(えな)として尾 骨よろしく残存した装飾の襞に、過渡期としての世紀末アール・ヌヴォーへの郷愁の在り処を探り当てる(p.169)。
 さらに中根千枝の「家族」定義の通説を却下する吉本隆明に弁証法的立論の模範を認知し、返す刀で『共同幻想論』読解の鍵を授ける。ここで長谷川町子『サザエさん』の磯野家の謎が、トッド理論と吉本理論とを交差させる靭帯の役割を果たす。
 その傍ら「自由とは何の障碍もないことか」(p.137)、「国家なき社会は可能か」(p.343)といったフランスの「バック」大学入学資格試験Baccalaureatの論説問題dissertation、日本の教育制度ではまったく対応不可能なこうした哲学的出題が、「発見学」の契機として、先行書籍を踏まえて検討され、本書遡上に上がる具体的案件と相乗効果を発揮してゆく。
 かくして理論解明と実践とが相互に励起され、さらに冒頭で触れた、一見常識的なコンディヤックの「明晰な言語使用」は巻末で「論理的明証性」に照らして徹底的に再検討される(p.476)。それは議論の水準が螺旋状に高まる、「稀有」な体験だ。
 既成概念を「疑う」姿勢を推奨する本書は、思考を触発する。以下、励起された私見をいささか点描したい。既存の枠組みを横断する座標軸の導入によって、現実は新たな相貌を描く。本書は、世界の切り分け方、「折り目」の付け方を丁寧に指南する。それは性急に「正しく考える方法」をhow to式に入手しようとする読者(p.110)に巧みに釘を刺す一方、ときには思考実験を過剰なまでに亢進させ、危険水域まで突入して見せる諧謔をも厭わない。
 「分類者はおのが採用する分類方法の如何によって自らが分類される」。本書は引かないが、「階級闘争」lutte des classesならぬ「分類闘争」lutte de classsementを唱えた(上記)Pierre Bourdieuお得意の地口である。そうした「論理的な言い換え」を徹底して訓練させるフランスの作文教育(p.496)だが、これはあくまで欧米語の語彙網の意味場champs semantiqueに支配されており、非西欧圏社会に無碍には当て嵌められない。実際、フランス語で議論していると、同一の概念が論者によって手前勝手に伸び縮みしており、その伸縮自在を逆用して相手を論理破綻の自滅へと誘うのが痛快になる。
 だがその反面、世界大の比較史や統計処理は、容易に無理を露呈する。「家族」といった一見常識的な枠組みも、例えば落合恵美子らの国際比較家族社会学が解明したように、非西欧圏では、およそ通用しない。インドネシア社会の離婚率や財産相続慣習などは、欧米語の家族概念では長らく分析不能な「アノミー」(p.283)と映じてきたのだから。分類枠と議論組み立てとの弁証法が、次の問題となる。







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