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評者◆凪一木
その199 変化の時代に
No.3600 ・ 2023年07月22日




■何が変化だ。いつの時代よ。昔ながらのスローガンなのか。だが、今こそ「変化」だ。デヴィッド・ボウイの『Change』である。
 〈変化だ、向きなおれ、奇妙なものに目を向けろ。もうすぐきみも年をとる。時はぼくを変えるだろう。だがぼくは、時に足跡を残せない〉(『オディティ』北沢杏里/シンコー・ミュージック)
 今の私にとって、最大の恐怖は「入札」である。一年前の私と比べると、随分と贅沢な悩みである。中央省庁とは現在、内閣府と一一省のほか各庁院(デジタル庁、復興庁、内閣法制局、内閣官房、会計検査院、人事院)、および各府省外局の一八庁八委員会を指す。各県の市役所、都内の区役所に勤務の元同僚もいる。訊くと、設備の状況は似ている。つまり楽な現場で、かつ「入札」がネックである。
 私の会社は、A省で実のところ前回の入札で落とされている。だが、入札決定業者が降りて、A省が泣きついてきた。我が社が最初に落とされた理由は、他の省庁での不祥事である。だから、次回は確実に、入札漏れする。つまり、来年の三月に入札から落とされる。当然皆、この現場を出ていかなければならない。そうなると私にとって、病院、ホテル、サイコパスに続く、またしても四たびの地獄の一丁目が始まるだろう。現在地は、束の間の幸福、一時だけ目覚めた今岡誠の打点王(レナードの朝)である。
 この程度で「幸せだ」などと言っている凪は何なのだ、と笑われそうだが、この程度の幸せが一番得難いものではないのか。やっと訪れた非管理状態。自由は始めから開放されていては感じないのではないか。健康も、病気をして初めてその有り難さを感じるように。あの奴隷状態から解かれ、サバイバルしたかのような「幸せ」の感覚。
 さて、入札から漏れてどうするか。平均的には、別の現場に異動して、また一年生として、この先も同じ会社でやっていく。裏技として、新たにA省入札を勝ち取った会社に横滑りして移って、同じ現場にそのまま居座るという方法がある。既に、他社から今の会社に移籍した人間がたくさんいる。彼らはそのつもりであろう。もちろんその会社に採用されなければならないが、A省内の設備の具合や勝手を知っているので、居残れる可能性は高い。ただし、給与その他の待遇は落ちることを覚悟する。有給休暇もまた、入社半年後まで待たねばならず、初年度一〇日からの始まりである。
 もう一つは、全く別の会社の採用試験(多くは面接)を受けて、新たな一歩を踏み出すという選択肢がある。もちろん現場も人間も新しい職場だ。これが、最も攻撃的、未知を開拓していく人生であり、若ければ未来が長いゆえに、少なくともこの道を選ぶであろう。だが、もうそれなりの年齢である。悩みどころだ。
 ある演劇人のブログを読む。〈朝近所のコンビニに行ったら老女が働いていた。年金貰えてないのかな。楽しくなさそうだな、可哀想に、と思っていたら、同じ年くらいのいかにも横柄そうな老人がレジで彼女に「ノロノロすんな早くしろクソババア」とお金をバッと投げ捨てた。そのクソジジイは数百万円するパテックフィリップの高級腕時計を身につけていた。ぶん殴れば良かったかな。でも老人殴ったら死んじゃうかもな。そう思っていたらおばあさんは「申し訳ございません」と謝った。昔のアメリカの奴隷と白人を見てるみたいで悲しくなった。〉
 私は読んで思う。カッコ良いことを書いているが、ただの傍観者ではないか。
 とはいえ、私の通勤時のことだ。最初の現場は、駅まで三〇分歩く。そこから三二駅、一時間一二分電車に揺られる。必ず遅延する。降りてさらに二〇分歩いて病院に到着。上番報告をして着替え、現場に到着がだいたい八時過ぎであったから、六時に家を出ていた。その最中に、席を譲りたくはない。それでも、あまりにも悲壮感を漂わせている老人がいたりすると、日本人的な譲り合い文化や電車内での世間体、忖度、恥の感覚がはたらく。
 老人同士が席の譲り合いをしていると、隣に座り、そして彼らよりも若い私は悪人であるかのような気持ちに襲われる。身体も気持ちもきつくとも、譲った経験が何度かあるが、後味が良いかといえば、そうでもない。心が晴れて、身体の疲れも吹っ飛べばよいのだが、そんなことはない。なので、「譲ってはどうか?」と言われても、嫌だと断ることにしている。そんなことになったことはないが、起きたらどうするか。びくびくしながら座っている。実は、A省に留まるということは、そういうことだ。同じ傍観者でしかない。
 いよいよ本題だ。この業界について、少々思いついたことがある。エアコンやテレビなどの電気製品でも、壊れると、かつてなら、電器屋さんがやってきて、解体して部品を交換したり、分解修理をした。しかし、今や機器の中の基盤を交換するだけである。それ以上のことはできない仕組みになっている。ビルの中の設備、機械類についても、簡単に壊れることはない。毎日たくさんの警報発報があるけれども、ほとんど全部が誤報(設定上の数値を満たす)であり、どのビルでも、「ああ、またか」と、現場確認をして、やれやれと、特に報告することもなくやり過ごす。パソコン上には記録されている。つまり、本当は当直はいらない。
 警備について、よく「立っているだけで抑止力になる」と言われる。犯罪を企んでいる者も、その姿を見て、企図を諦める場合もあるから、一定の効果を発揮している、と。それはしかし、設備には当てはまらない。機械は人を見ない。電気や水は、人間に忖度などしない。警備も、セコムのように、遠隔操作で、機械が異常を感知したら、近くの管理センターから出動すれば、各ビルの一つ一つに常駐させる必要はない。警備の常駐は、大きなビル以外は今、どんどんと遠隔監視が進んでいる。設備もこれは可能である。いや、設備こそ可能である。
 この流れから取り残されているのは、常駐必要のない設備の方なのである。取り残されているというよりも、お目こぼしされ、目に入らないのかもしれない。ただ、このシステムを導入してしまえば、システムに遅れる企業も、そこに雇われている設備員も、皆が失業し困ることになる。特に私の会社のようなゼネコン子会社の下請け専門で儲けているコバンザメ派遣会社などは吹っ飛ぶはずだ。おそらく、このシステムを行うとしたら、警備が主力の会社であるセコムであろう。設備業界でこれをやれる企業はない。気概も技術も、何より「変化する」という発想がない。
 私は動いてみようと思うのである。ビルメン業界をぶっ壊す。
 A省で老後をビクビク過ごすわけにはいかない。
(建築物管理)







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