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評者◆稲賀繁美
「正しく論理的に考える」とはどういうことなのかを考える――「思考の隅景」連載への方法論的・技術論的考察にむけて
No.3599 ・ 2023年07月15日




■四月一日の道路交通法改正により、自転車乗車にヘルメットの着用が努力義務となった。この報道を聞いて、ちょっと待ってよ、と咄嗟に感じた。(A)「ヘルメット無着用なら事故死の危険が高い」が統計的・演繹的に「真」であっても、(B)「ヘルメット着用すれば事故死の危険が減る」とは論理学的には主張できない。なにも着用義務付けを不適切と論駁したいわけではない。だがここには中学校で学んだはずの論理学の初歩に悖る錯誤・短絡が潜んではいまいか?
 復習するまでもなく、「逆や裏は必ずしも真ではない」。負傷事故でのヘルメット着用の有無の比率は死亡事故と比較してどうだったのか? またヘルメット着用が却って思わぬ副次的事故を誘発する危険についても、何ら言及されていない。
 ヘッドギヤ装着が注意散漫や視野狭窄を招き、歩行者を巻き込む繁華街無謀走行を助長しないとも限るまい。案の定、1歳未満の幼児に適した防具がないため、母子の自転車での外出は法律上不適切となった。
 そうした立法上の抜け穴が露呈した世相下で、鹿島茂『思考の技術論』が上梓された。雑誌連載中、病院の待合室だったかと思うが、偶然に「第十章「比例的思考法」をめぐって」が目に止まり、思わず舌を巻いていた。
 『科挙』ほかの画期的著作で著名な中国史家の宮崎市定が構造主義神話学の泰斗、クロード・レヴィ=ストロースと並べて論じられ、宮崎が『論語』の伝統的な儒学的読み下しに施した修正技法が高く評価されている。句点の区切り方への疑義から、散逸詩文の伏在が推測され、永年の誤植が孔子の対句作法からの類推で是正される。結果「学びて時にこれを習う。また悦しからずや」の読みが、ものの見事に一新される。その手捌きは、是非本書や宮崎『論語の新しい読み方』を手にとって吟味賞翫願いたい。
 話題はこの「内挿法」interpolationから「外挿法」extrapolationへと拡大され、読者を人口統計学入門へと誘ってゆく。複数の専門領域を安々と横断する才知は著者の独壇場だが、しかし本書はおよそ世に溢れるHow toものとは隔絶した志(と良心的偽悪と?)に貫かれている。なによりも五七〇頁を超える大著にもかかわらず、巧みな話術と議論展開に乗せられて、ふと気がつくと読了している。
 「どんな読者でも」途中で「ページを閉じさせること」は「やってはいけない」。この「物書き」根性(p.110)が全巻に貫徹され、自在の脱線や、引用元の原作をあっけなく凌駕する卓抜な我田引水、種切れに陥れば巧みな楽屋落ち、自画自賛や自己韜晦を装った戯作者顔負けの諧謔から仮想敵殲滅に及ぶ:「私の頭脳はこの構造主義というものを理解できるほどに精巧にはできていなかったのです」(p.415)。
 だが、そこには「正しく考える方法」について考える習慣を疎かにしてきた日本の教育風土(本欄前回に指摘)への疑念や、その背景分析(p.54‐57)の裏打ちがあり、「かつ」デカルト以来の理詰め思考法を懇切丁寧、ときには「しつこく論じ」る(p.562)具体的御指南も、およそ高飛車な押し付けがましいお説教には陥らない。
 大冊を目に躊躇するだろう読者に向けては、巧みな「あとがき」が準備され、シャンポリオンが日本人だったらロゼッタ・ストーンの解読ももっと容易だったのでは? という一見奇想天外な推測が、説得力ある論拠とともに示される。
 はたしてこの逆説、論理思考を鍛えてこなかった日本語文化環境と、いかに整合するのか? 「論理で絡め取られる」のは情緒に翻弄されるより危険、とは本書の結語だが(p.562)それと本稿冒頭の「ヘルメット」案件の「論理不整合」とはどう噛み合うのか? そうした疑問を抱かれた読者には、是非、(野矢茂樹に「お知恵拝借」の)本書最終章を紐解かれることを、お勧めしたい。
*鹿島茂『思考の技術論――自分の頭で「正しく考える」』(平凡社、2023年3月22日)







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