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評者◆凪一木
その197 小石先生との最後
No.3598 ・ 2023年07月08日




■ビル管に入る前の年、最後であろう映画本を私は出していた。
 ところが、ビル管となり、七年目の浮気、いや七年目の瓢箪から駒、いよいよ本が出ることになった。それを知って、同僚たちの態度が、それぞれに変わる。概ね良くない反応だ。
 口先ばかりの、苦い顔での「おめでとう」。嫉妬かヤッカミなのか無視をする。「評論家なんてのは、あれはダメだ。理屈ばかりで社会に何の役にも立たない」。聞えよがしに語る者など様々だ。そんな中、一人だけ意外な人物が意外な反応を示してきた。
 「俺もう、あんたと付き合えないよ」「どうしてさ」「俺なんかの付き合える人じゃないよ」「そんなことないよ」「俺と一緒にいたって何も面白くないだろう」「面白いよ」「無理しなくていいよ」「劇団四季にも行くようになったし、ピンサロやチョンの間、ストリップのいい話も聞けたし」「そういうことじゃなくてさ」「どういうこと?」「こっちのほうが気を使っちゃうんだよ。もう会わないようにしようよ」「そんな寂しいこと言うなよ」「悪いけど、もういいよ」。それっきり電話しても出ない。
 あの警備の小石先生だ。ラインもSNSもやっていない。ショートメールは使えない。住所も知らない。勤務場所は知っている。銀座の商業ビルの一階にいる。
 あれは、九〇年代の頃だ。私はビデオ屋をやっていた。そこでのお客さんが好きだった。小石先生がたくさんいた。レンタル店の客の有り様は、中上健次の「路地」の物語であり、今、関係が生まれている場所である。情報の消費・流通とは別にある、人間の根元的なつながりがそこにあり、入っていかなければ、味わえないし、感じられない。小石先生の良さは分からない。ありうべき「Ⅴシネマの場所」は、ありうべき「ビル管の場所」である。歳を食った人間たちの生き死にが重なり合い、ウソと真が絡み合う。
 ゴダールだ、ハスミだ、ストパラだ、アオヤマだと、あの頃の映画ファンは、シネフィルだのミニシアターだのと、妙な市民権を振りかざしていた。それまでの下駄履きの観客、農林水産民を蹴り散らかす時代であった。
 「これこそが映画だ。理解できない者は黙っていろ」
 そこに現れたのがVシネマであった。
 早川義夫『たましいの場所』(ちくま文庫)に、こんな文章がある。
 〈書評に限ったことではないが、面白くないのは、自分が何者なのかを語らず、自分の心を見せず、ただ、上からものを言う文章だ。感動がなきゃ、作品は生まれず。愛がなきゃ、評論は生まれて来ない。〉
 シネフィルが、「何者なのか」私にはわからない。偏狭な知識とマイノリティー意識で映画を理解する窮屈な連中。一方のVシネマの呑気で自由な空気。
 私に向けて、小石先生の巻き起こす一陣の風は、あの時のそれに近い。あれも映画、これも映画、Vシネマもまた映画。小石先生もまた人なり。
 それもまた、終わりを告げた。それがまた、Vシネマの最後の本が出ることによって、到来した。私はシネフィルではない。
 随分と小石先生に助けられた。
 若い頃は、面倒くさい人とも付き合ってきた。それなりのダメージを受けても、のちの人生で活かし、また大いに為になることもあった。その逆であっても、時間が傷を癒やし、また忘れさせ、別の知恵をもたらすこともある。
 人間は多面だ。いわゆる善人もいなければ、いわゆる悪人もいない。だが、若い頃は時間が無限に感じられ、一面にいくらでも費やすことができる。善人も悪人も存在するように見える。専門家は頭でっかちに成りがちだが、優れた専門家がそうではないのは「一面」で終わらないからだ。一面とは何か。
 一流のプロ野球選手でも、大相撲で十両の力士に勝てない。素人が弁護士相手に、法廷闘争を挑むようなものだ。それでも、殺される危険でもなければ、人が近寄らないような面倒くさい奴とも付き合ってきた。つまりはそいつの得意とする一面と「ねんごろ」になった。しかし、ある程度の年齢を重ねると、もう先は長くない。付き合いきれない。そんな奴を相手にしていると、面倒くさいままに、この人生が終わってしまう。こちらが正しくとも、有罪にされてしまう。人生には、この人生もあの人生もない。この人生しかない。この人生を、一面で塗り潰してはいけない。
 バイキングの食べ放題に参加する。制限時間間際に、まだ前菜に引っ掛かっていて、メインディッシュはもちろん、最後のデザートにもありつけない。面倒くさい前菜は、さっさと諦めて、メインディッシュなり、デザートに手を出すのが人情だろう。たとえばメインディッシュが面倒くさい場合は、もうデザートでいいや、とプリンか何かで満たして、私はそれで十分だと思えるようになった。六〇歳を過ぎてからだ。
 遅いと言われるかもしれない。周囲の人間を見ていると、とっくにそんな付き合いなど皆やめている。SNSをやっているのも私一人だ。当然、彼らは、そういう面倒臭い目には遭わない。でも、私の心の拠り所は、彼ら「知らない」「やらない」友だちがいることである。私は少々の痛い目に遭って、そして、彼らSNSを知らない友に、教えることができる。危険を早めに察知して、事前に彼らに説明する。それは自分の為にもなる。教えることで、教えられる。
 何を教えられるかというと、私自身も彼らにとって、十分に面倒臭い存在だということを。こういう作用は、年齢ゆえのサービス装置かもしれない。たとえば私に子供がいたりしたら、面倒臭がられながらも、近いうちの「死」がセットになって、余韻を残すのではないか。若い頃には考えもつかなかった。とはいえ、今いる友だちは、皆「元」若者ばかりではある。
 頼りになった小石先生。そして遂に、別れの季節だ。面倒臭い奴だと思われてしまった。本を書くなんて、所詮はそんな奴だ。君恋し、いや、きみ小石。
 どんなに頑張っても、どんなにやりたくて努力しても、とてもやらせては貰えず、誰もやりたくないような仕事を、誰もが就きたくないような職場で、そこで働くしかない者が少なからずいる。警備員といっても、工事現場前で車を誘導する「交通誘導」もかなり占める。熱射の続く太陽の下、棒を振る。着替える場所も満足になく、木陰やバイクの陰で着替えている。見た目以上にきつい仕事だ。
 日本には、社長だから、首相だからという差別はないことになっている。明日から、天皇をやるか、交通誘導の棒振りをやるかと言われたら、今の私は天皇をやる。日本で生きている人のたいていは、ボスニア、アフガニスタン、ルワンダ、コンゴ、チェチェン等の事情も知っている。ミャンマーの難民船だって知っている。それでも、対岸の火事とし、見ないようにして生きている。自分は自分、天皇は天皇。
 さようなら、小石先生。
(建築物管理)







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