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評者◆凪一木
その195 カンムリ鷲の悲観
No.3596 ・ 2023年06月24日




■人の幸福が観たい。だけど私から見ると、どうしようもなく不幸な道筋の者もいる。馬鹿につける薬はないが、薬はいつだって毒にもなる。あいつはいい仕事をしたのか。他のあいつはどうか。あいつは。ラブレターを書くように書けばいいというが、そんなこと簡単にできない。書けない。ビル管(ビルメン)の野郎どもが愛おしい。
 何を訊いても頓珍漢な答えしか返ってこないクマ。だが、つい相手をするときがある。
 「圧力計って金額はどのぐらいか知ってる?」「安いやつは安いし、高いのは高いよ」(当たり前だろ)、「僕、経済産業省に勤務していたことあるのよ」「何の仕事で?」「知らない」(どういう話だよ)、「韓国って今、アメリカみたいだよね」「何が?」「いや、何がって、何でもさ」(何だ?)、「最近の泥棒はネクタイしてるらしいよ。不審者と思われないためにだって。結構やるね」(やらねえよ)。
 そしてクマが、遂に問題を起こす。毛布と枕を紛失させた。いや、どこかに隠した。ところが別の部署では、部屋が新設されたのをイイことに、私の入る一年前に、折り畳みベッドが無くなっているという。誰も問い詰めず、弁護士と仲の良い、しょっちゅう労働基準監督署に駆け込んでいる、サイコパスとは別のウソ付き男がいて、どうやらこの男が隠しているようだ。広いので、どこにあるのか分からない。といってもベッドだよ、ベッド。
 新しいベッドを買ったので、申し出る機会を失ったゆえか、そのままである。ビルの建替工事で解体でも行われることになれば、未来のタイムカプセルとして登場するのかもしれない。この男は、布団乾燥機と自分の枕や毛布を毎度毎度持ってきては持って帰る。布団乾燥機は「中古で三〇〇〇円と安かった」と自慢しているから、「ならば、自宅にもう一つ買って、会社に置いておけば良いのに」と皆から言われている。だが、三日ごとに頑なに大量の荷物を往き帰りごとに持ち運びしている。この男は労基署オタクである。
 さてクマの隠蔽事件はその日、蛍光灯を割ったことが発端だ。クマは責任者のカンムリ鷲に報告しない。それでカンムリ鷲に私が報告すると、本人から聞いてないから別によいと「無かった」かのように振る舞う。以前に、本社への報告云々のときも、私が不要ではないかと口を挟むが早いか「ヨシ」と大声を出して「この件は聞かなかったことにする。本社に電話もしない」と切り上げた。事なかれ主義もこれほどの人間は見たことがない。何しろ、一七時二五分を過ぎると、着替え体制に入って、時間が体内に仕込まれた如く官庁の人間以上にAI化している。電車も同じ時間、座る席も同じ。お昼に食べるそばも席も同じ。通る道も道順も同じ。通う床屋も行く頻度も同じ。
 かつてカンムリ鷲は、半年入院したのだが、この経緯もいずれ書こうと思う。私の前に消えた男が原因だ。杖を付き、足は引きずったままである。労基署オタクは、前の工事現場で足を怪我して、労災保険が下りるのを申請もせずに退職。私を怒鳴ったパワハラ爺は、ガンの余命二年と言われて五年が過ぎ、なお出社し続けている。パソコンオタクの三〇年選手は、人工関節だ。電験二種を持っている元地域冷暖房の長だった男は、太り過ぎて脚立に上れない。七四歳の所属長は、高齢で耳が遠くなり補聴器を付けている。
 その中で一番幸せそうで、何の問題もなさそうなカンムリ鷲がこう漏らす。
 「長生きしても面白くないよ。毎日毎週同じことの繰り返し。朝起きて、電車乗って、仕事して、帰って、発泡酒二缶飲んで寝るだけ。病院と会社とアパートの三カ所をぐるりぐるりと回ってそれで終わり。趣味もないし、楽しいことなんて何もないよ」
 昔、「すぐに死ねる毒薬が手に入るんだったら、一〇〇万円あげるから何とかならないか」と、或る映画監督から持ちかけられたことがある。生きていても何も面白くない。払い終えたマンションに一人暮らし。息子は大学教授で、生活の心配も特にない。テレビを毎日見ているだけで、話し相手もなく、何一つ面白くない。電話が掛かってくると詐欺か勧誘だが、退屈が紛れるので話をする。相手の方が飽きてしまい電話を切られる。それがほぼ日常だ。
 年に一度参加していたかつての映画の組合の会が、唯一の楽しみだった。私もそこで知り合った。参加者が皆高齢のため、或る者は亡くなり、或る者は身体が弱り、結局は閉会となった。楽しみなどないのだ。朝昼晩と宅配の食事が届く。多少のバリエーションはあるが、一人で食べるゆえか退屈なルーティンだ。息子は寄り付かず、その嫁がたまに様子を見にくるだけで、話が合うわけでもない。
 「生きていても面白くない」と語るカンムリ鷲を見ていると、彼を思い出すが、しかし幸せに見える。
 潜入ノンフィクションというジャンルがある。季節工として入り込んでの『自動車絶望工場』(鎌田慧/講談社文庫)や期せずして入った刑務所での『塀の中の懲りない面々』(安部譲二/文藝春秋)もそうであり、私の入院闘病記『三文がん患者』(太田出版)もそうだ。
 『カッコーの巣の上で』は、ケン・キージーが、薬物実験のボランティアとしてLSDを体験、精神科病棟の夜勤で得た経験をもとに書きあげた。
 死を間際にした一瞬でしか発しない、そこでのみふと漏らす断片の言葉。それは、二四時間一緒にいるからこそ聞くことができる。かつて『三文がん患者』を書いたとき、死にゆく者の痛切な最期の言葉をいくつも聞いた。自転車で三〇分掛けてやってきて、我儘な夫に一日中付き添う仲の良いお婆さんの様子を知るのも、ずっと生活を共にするからだ。彼女が看取った後の悲しみを共有することがわずかでも出来たのは、家族のように同じ部屋で空気を吸っていた、同じような病で時を過ごす人たちであった。
 そこでしか見せない顔やそこでしか語らない内容の話。死んでいくときに本当には何を考えているのか。取材では得られない。病院に入院していて、最も最期のビビッドを目撃しているのは、昼夜ともに過ごす同室の患者たちである。彼らが、その死者の葬儀に参加することはない。間近に目撃していた者こそ、遺し人、伝え人、保存人に潜入捜査した人間であり、引き継ぐ者でもある。
 現場を生きるという行為は、その他の表現でもそうだが、その人間の品や雑味や卑しさ、後ろ暗さが出る。取材ではなく、自らが登場人物で、渦中にあり、オリジナルで紡ぐ言葉は、まさにドキュメントで、そのぶつかり合いを含んでいる。クマがいて、マタギがいて、カンムリ鷲がいる。いずれが正しいかは、書く私の態度も含め読者に見られている。
 幸福が観たい。
(建築物管理)







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