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評者◆凪一木
その194 「設備の近藤」改め「北海のクマ」
No.3595 ・ 2023年06月17日




■「設備といえば、前職で失敗したオヤジと相場が決まってる。二七歳で感じの良い奴なんて何か裏があるんじゃないの」。
 実は、飛んで火にいる夏の虫というか。ワセダさんが辞めた翌月、新たに二七歳の新人が入ってきた。ワセダさんのいたB省の前に建つ我がA省である。それがなんと早稲田大学文学部出身というのである。驚いた、最初で最後のワセダさんのはずが、いきなり二人目の登場であった。ワセダさん二号とでも呼ぼうか。
 刑事ドラマ「太陽にほえろ!」の新米刑事マカロニに続くジーパンの如き、「マタギ」に続く新人ビルメン「設備の近藤」登場については、既に書いた。漫画『キャプテン』に出て来る近藤に似た男だ。SHOW‐YAというバンドには、キーボードの中村美紀の他にギターの五十嵐美貴(三号)がいて、ドラムスの角田美喜は、ミキ二号と呼ばれた。設備の近藤は、「マタギ二号」である。
 同僚たちに『キャプテン』の話をしたら、皆が皆、「近藤の方がよほどに良い男だ」と憤慨された。勿体ないということで、以下は「設備の近藤」改め「北海のクマ」とする。クマは、「水戸黄門」を見に会社に来るだけの男と言っても過言ではない。ある日の朝は、朝礼の前に、大声で、「マークシートを持っている人はいませんか?」と叫んでいる。どうしたのかと思ったら、競馬で賭けるための枚数が足りないのだという。だがそこでシートを持っている男が数人いるのも悲しい現場だ。
 そのクマが、私に向かって(同じ札幌の)親近感があるのか、こう言ってきた。
 「最近捕まったルフィって、あれ北海道の人だってよ。なんか嫌だね」
 一緒にするな。長谷川雅紀(錦鯉)もクマと同じ札幌市白石区だ。かつて『北物語』(太田出版)という北海道の人国記を書いたことがある。確かに同種の匂いがあることだけは確かだ。『出身県でわかる人の性格』(岩中祥史/草思社)にも、北海道の人間について書いてある。〈細かいことにこだわらないから大舞台に強い〉とか、物怖じせずズボラで、ずけずけと物を言うなど。
 山口市生まれで甲子園には無縁もプロ入りし盗塁王など活躍した高木豊には、二学年下の同郷(山口県南陽町)で「炎のストッパー」と言われた投手津田恒実がいた。三〇歳で最後の登板となり三二歳で亡くなる。高木豊は、津田の話になると、死後四〇年以上経過した今なお、人目もはばからず涙を流す。同郷の同世代とは、それぐらいの感覚はある。
 職業の基礎や仲間意識は、学生運動なら、ゲバルト文字が書けたり、アジ演説が出来たり、野球選手のキャッチボール、ボクサーの縄跳び、スパーリング。力士の蹲踞、四股、股割といった動作や所作。ビル管で言えば、メガやテスターを普通に使いこなせるか。脚立作業がスムーズか。電気配線図や配管系統図の図面を読めるかなど、いくつかのサインはある。そこで経験や知識の嘘がバレる。だが、北海のクマは偽物だ。札幌のヨーク松坂屋も知らなければ、浅草のウインズも知らない。その上、ビル管理のイロハについて、実は何も知らない。この男に、説教しても始まらない。アン・ルイスに向ってロックじゃないと腹を立てるようなものだ。ああ無情。実は素人のクマ。
 だがクマから、とんでもない逸話が出てきた。「最高裁まで争った」という。
 何やら凄いが、実は最高裁判所の建物には入っていない。「あなたの訴状内容は、書類審査となりました」という通知が来て、その後二枚に内容が書かれた計三枚の紙の入ったA4封筒が届いただけだ。その内容は、「申し立て(上告)を却下する」というものだ。
 最高裁の門の中までは入ることが出来た。弁護人を立てずに一人で闘った。といっても書類手続きをしただけだ。最高裁判所の入口の前まで行くも、中に入れてくれない。受け付けてくれないのだ。法律で「被告人は中に入れない」と言われる。そこで押し問答となる。「では用紙はどう届けるのだ」。
 笑い話のようだが、裁判所の職員が、建物の奥から玄関前に簡易机を運んできた。そして、建物に入ることなく、クマはその場で、寒い外風が吹く玄関先のその机の上で、書類に字を書いたという。受付終了。二年半にわたって、地裁が四回(のちに六回と言い出す)、高裁、最高裁が書類審査だった。本を一五冊(そのうちに二五冊と言い出した。どっちでもいい)買って勉強したという。詳しく聞くと、緻密な裁判戦術についてではなく、書類の書き方を入門書で学んだ程度である。始める前の前段階で一五冊も費やすわけだから、ご苦労様だ。
 地裁では毎回裁判長が違う。「被告人は何か言いたいことはありますか?」と聞かれ、「全部不服です」と答える。しかし、それ以上の不服内容について答えるわけではない。これでは反論にならない。自分の裁判は毎回三〇分で終わるが、その前に早く着いて前の裁判を傍聴するのが楽しみだったという。たいていは殺人事件など、大きな事件だった。クマの方は、あまりに小さな案件だ。クマが警察や東京都を訴えたわけではなく、罰金を払わずに不服申し立てをしていただけだ。裁判では、警察官の誰一人として現れていない。ただ不服と駄々をこねた男の、国家機関と空間の無駄使いである。
 まず地裁で判決が下り、その場で控訴するにはどうしたらいいか聞くと、「四階に書類がありますよ」と言われ、その日のうちに控訴する。
 しばらくして、家に、目黒警察から電話があったという。「早く納得しろという話ですよ。判決が確定するまで、あなたのせいで交通違反の取締ができないじゃないかと愚痴をこぼしてましたよ」。いったい争った内容は何だったのか。警察のやり方はズルいの一点張りで、争点を聞き出すのに、かなりの時間と技術を要した。聞いてもクマの話は分かりづらい上に、それほど面白い話でもない。
 二五キロオーバーのスピード違反である。一つは、警察の測定器は正しく動作していたのか。その数値は正確ではないのではないか。二つ目は、ネズミ捕りの公示が新聞に出ていなかった。そして、警察側の言い分は、こうだ。
 「スピード違反の測定器は、年に一度の検査をやっていなかった。だが、測定器自体に誤りがあっても、概ねスピードが出ていたことは間違いない。公示を出していなくても、測定を違法とは言えない」
 その話の通りなら、警察の方の分が悪いように聞こえる。もちろんその通りではない。
 笑い話がいくらでも登場するクマである。
(建築物管理)







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