書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆凪一木
その193 来たれ、ビル管理。籠城するならビルの地下。
No.3594 ・ 2023年06月10日




■前号で、もう少し一緒にいてほしかったワセダさんというエリートの話を書いた。ビル管理業界は本来理系世界だから、文系はまともに太刀打ちできないゆえに、文系的な分野(電気ではなく機械)で、翻弄されるのをごまかしながらやり過ごすしかない。ところがこのワセダさんは、まともに闘ってきた。だけど、もう、力尽きた。
 生きることは、私はそんなに真面目でなくていいと思う。もっと言えば、馬鹿でいいと思う。馬鹿だから魅力があるという人を私はたくさん知っている。このビル管世界でこそ見てきた。あれもロック、これもロック。ああ無情。ワセダさんは辞めずに済んだのだ。
 ビル管となる前の物書き稼業というかフリー職業仲間の知り合いで、現状、まるで仕事がなく、かといってほかの職を求め或いは志向するも、コロナ禍も相まって、生活困窮者がいる。著書はないが、ムック本やウェブサイトには署名原稿を書いているライターなど火の車だ。
 お節介だとは思うが、職業訓練校、もしくはビル管理の会社に直接の入社を勧めた。時代はビル管理だと思うからだ。NHK‐BSドラマ「ガラパゴス」で、織田裕二が、こう語る。
 「普通に仕事ができて、普通に飯が食えて。そんな当たり前のことができない世の中なんて、どこか狂ってないか」
 年功序列で定年までだったはずの当てが外れて途中リタイアという人もいる。私のお勧めしたいのは、フリーの文化、芸術、スポーツ、芸能といった才能ありきの世界からある年齢になっても芽の出ない零れた人たちである。早い話が私のような者と言える。
 彼らこそ、サラリーマンのスキルがないゆえに、使い物にならない。下手に学問をして、理屈や権利の主張だけは強いから、生意気で却って使いづらい面もあり、それこそ生活保護まっしぐらのはずなのだ。背広を着るのも、作業着を着るのも嫌でフリーを貫こうとしても、ある時期以降は才能でもなければ無理だ。そこで、ビル管は、その中間の中途半端職種である。体力も要らなければ頭もいらない。コミュニケーション能力が最低でも務まる仕事である。
 では何が必要かといえば、それはやる気である。電気、建築、配水、ボイラー、薬品、その他の機械など一見難しそうだが、現場に居続けると、体感として慣れ、覚えることは覚えてしまう。要はやる気。そして少々の図太さだ。
 業界に入って、うわ~と思うかもしれない。だが、そんなものは一瞬だ。その「うわ~」は、どこに行ったって付き物で、実はビル管ほど大したことのない「うわ~」はない。お前(凪)がたまたまその業界の水に合っているだけではないか、と言うかもしれないが、そんなことはない。合わない。全然合っていない。それは、この連載の初めから読んでもらえるとわかる。それでも務まるのだ。
 やけに堅気な話をするが、お金がないというのはよくない。貧すれば鈍する。部屋の中に亀のように籠城してチャンスを待っていても、何もやってこない。昔、安達祐実主演ドラマで「同情するなら金をくれ」というセリフが一世を風靡したが、今なら「籠城するならビルの地下」である。
 夢は叶うという言葉は耳障りがいい。愛は勝つ。明けない夜はない。だが、夢が叶うのは、確率的には単なる異常者だ。お為ごかしであり、金儲け目的の魔法の言葉だ。子供を惑わせ、その後は、結果として中年以降の大人の道を迷わせる。
 詐欺は発覚しなければ「成立」であり、だまされた方も偽物であれ、「幸福」を掴んだまま死んでいくことになる。一部の支配者層を除くと、食いつなぐことを少しでも充実させていかなければ、体力も知力も人間関係も落ちていく老後の世界で、社会的な保障もない。自衛をどうするか。
 若くしてビル管となったビルメン生活四五年の生き字引がいる。彼の生活は慎ましく、アパート部屋にはエアコンもなく、自動車も自転車も手放し、ご飯を炊く釜もない。父は早く亡くなり、自分の生命保険は、母の死んだときに受取人がいなくなったので解約した。
 この協働作業でわかったのは、私はもう曲がりなりにもサラリーマンであり、社会人であり、やくざではないな、という思いである。生き字引は、職場での諍いをうまく回避する。かつてのフリーの人間と組んで仕事しようとする。だがうまく行かない。私の側からの意見であるが、歩み寄れるだけのものはこちらの方が持っている。それは、サラリーマン世界で学習し、自然と身に付いたものであろう。
 ビル管理業界は、人材派遣会社と何ら変わらない失業者や高齢者の受け皿でしかない。ときどき大規模に新築ビルの現場募集のとき、全く無資格の未経験者さえ、人数集めで雇う。そして、明らかに仕事ができないので、採用期間終了とともに首を斬る。都合のいい便利な調整弁としての役割を果たすことになる。
 ただし、会社側の言い訳は存在する。その未経験新人社員のやる気があれば、実は務まるからだ。最初の関門「危険物」の試験は毎月行われており、一ヶ月勉強すれば合格できる。「ボイラー」もうまく行けば採用期間中に合格できる。そうするとクビにならず、むしろ本社採用の道も起こり得る。ただし、そんな例を私は見たことがない。しかも、現場は下請けで、実際のところ資格や知識が役に立たないどころか、発揮のしようもなく、我が社のように資格手当ゼロの会社すら多い。フロントは派遣会社の幹部や営業と同じで、基本的に派遣先であるビルの管理業務について、資格もなければ知識もない。適当な人事をして、本社から人を寄越さず、上前だけをピンハネしているのが実態だ。
 それでもだ。私が見たことがないだけで、未経験でも「会社に、業界に」居続けることは、可能は可能なのだ。「地下世界の懲りない彼奴ら」も、元は似たような出来損ないの集まりである。社会に必要とされているようでいて、実体は、フリーの才能で生きる人間以上にお粗末だ。
 フリーの元作家やカメラマンは、趣味を超えて、人に向けて創作することの、本来の不要性をわかってやってきた。わからない者が「元の世界」に残っているとも言える。一般の人間に向けて、対価を払うだけの価値を示すまでには長い歴史がある。芸術家は、元々が怠け者の道楽程度にしか思われていない。スポーツだって、見るものがいなければ、ただの体力の浪費と言われるだろう。余程のもの以外は大きなお世話である。
 文章を書くことでいうと、それ自体で食べていける保障のされ方は本来されていない。無駄飯食いだ。なのに、それで食べていけることを自明と思うなら間違っている。創作は、空腹も寒さも満たさない。消えていく職業も多い。人に向けて文章を書くことの醜さにどれだけ自覚的で、かつ断念できるか。
 来たれ、ビル管。本気で書いている。
(建築物管理)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約