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評者◆凪一木
その192 地下世界最後のインテリ。
No.3593 ・ 2023年06月03日




■2ちゃんねる開設のひろゆきなども輩出している北園高から早大(教育学部)卒業で、理系でもないのに電験三種も持っている、元不動産屋の地下世界唯一のインテリが、同じ会社にいた。退職した。六九歳。退屈だったという。
 「唯一」というのは、我が社の計一〇〇〇人の社員中に、学歴で早大卒なんて人物はいない。ビル管まで転じてくる高学歴がいないからだ。いや、もちろん、東大、京大のビル管がいることは知っている。それは、ビル管ピラミッドの中の上位を占めるマネジメント会社にいる。ビルマネと呼ばれ、下位のビル管会社を指導し、そのビル管会社は、たいていが系列で一人だけ見張りのように責任者がいて、その下に我が社のような下請け・孫請け会社があり、そこに仕事を丸投げする。本物のビル管ではない。遊びでビル管(建築物環境衛生管理技術者)試験を受ける者もいるが、何年か掛けて取得し威張っていたりするから、暇な時間の有効利用といったところだ。
 ビル管理会社は、あらゆる業種の会社が、商社から、不動産、鉄道、銀行、百貨店、ゼネコン、保険、そしてエレベーターや計測、警備会社まで、その言葉通りに全業種が「持っている」と言える。そういった系列の横入りではなく、本業がビル管というプロパー(生え抜き)会社は、数は多いが、いずれも大手ではない。大手ほど、上の階級には優しく、その他大勢の下のクラスから搾り取るだけ搾り取る。
 財閥系の二四時間勤務で仮眠時間無しの会社は、同僚が二人(AとB)もその会社に在籍していた。もちろん労働基準法違反だ。私も面接にいった。「給料が安くても大丈夫か」「家はあるか」「親は生きているか」「介護の必要はあるか」などという圧迫面接を新宿の超高層ビルで男女二人から受けた。同僚Cが元居た競馬場での清掃管理は、アジア系外国人、下品なおばさんが主力で、欠員の対応もしない。賃金もまともに払わないブラックで、二代目社長は稲盛和夫塾の会員で部屋に稲盛和夫の本が並んでいたという。
 その手の大手には、一流大出身がいるのである。もちろん本社からの天下りだ。元同僚のDがいた船舶系列では、前職が新聞配達員だった彼に、いきなりボーナス一〇〇万円が出た。株主総会で不正がバレて、乗っ取られた。その上司は東大だったという。今いる同僚Eの元いた某電力会社系列のビル管には、天下りで、本社から出向のパワハラ男がいた。NHK朝ドラも大河も書いた有名脚本家を愛人に持つという話の真偽は怪しいが、残業していないEに対して、毎月一〇万円の残業代を付けていた。不正である。文書偽造はその他でも行っていたらしいがここには書けない。日本刀を社内で振り回し、ボーガンで部下を撃って遊び、テレビ画面に矢を当て壊したという。
 そういった一流大出身がいることはいるのだが、皆、ビルマネの、本社から天下りでやってきた「地上勤務の」元エリートたちである。もちろん、一方のプロパーは、脆弱な分だけ、社長が殺されたK管財など、物騒な会社もある。だが、系列の方が非人情で、エリートの駒としての奴隷ぶりは、システム化された暴力企業という印象が強い。
 さて、銀行員やカメラマン、教師(もちろん皆「元」)もいる中で、一人しかいない早大卒の元不動産業の彼を、仮にワセダさんと呼ぶ。ワセダさんは、大学卒業後に不動産屋に就職し独立。結婚し、生まれた長男がぜんそくのため、静岡に転居する。約二〇年の生活ののち、長男が独立したのを機に離婚。あくまで性格の不一致だという。次男を妻が引き取り、ワセダさんは会社を畳み、ビルメンに転じ東京に戻る。ビル管資格は簡単に取るも、電験三種を五年かけて六〇歳で取得。母がまだ存命で二人暮らし。
 静岡時代に五〇歳過ぎてからスキューバダイビングやバイクの免許を取り、様々な遊びを始める。穿った見方になるが、試験勉強に長けた人間の在り来りな成れの果てという印象だ。
 自営でも、不動産の営業を三〇年もやったら、ほとほと疲れ、二度とやりたくないと言って就いたのが設備管理だ。だが、仕事人間ゆえか、適度な骨休めにはならなかったようだ。話の(早大卒レベルの)合う人間と以外は交わりたがらない。
 ワセダさんの物の見方は、出版社や芸能関係と違って、市民の知恵はあっても、グロテスクな現実を知らず、基本的に浅かった。奥さんの話にしても一面的で、離婚について整理が付いていないようだった。追求し省みるだけの力がない。彼の山仲間に、某中堅の出版社を興した女社長がいると自慢気に語っていた。その話が通用するような場所で生きていたいのであろう。しかしビル管世界では皆、ポカ~ンという話である。一年前からこの設備管理が嫌で嫌で、キツネ部長に退職を打診していた。
 私にはグチが言いやすかったのかもしれない。T工業での日々も、消化しきれず、不発に終わり、多少のインテリの自覚があったのか、本音で話す相手がいなかった。
 土日も出て、代休を取り、その日に、(セカンドワークの)不動産の仕事をこなしていた。手を抜けない、会社の期待を裏切れない仕事人間だったのだろう。現場では、「ビル管理は三分の一おかしいのがいる」と言われて、この世界に入ったが、もっといた、と。
 私は彼を、理系型の人間と思っていた。だから趣味やサブカルに深みがないように見えても、それはそれと解釈していた。少し探っては無反応な態度を見るにつけ、情や義理などに関する話は諦めていた。ところが、教育学部だった。ワセダさんの淡白さは理系のそれだと思っていたのに、そうではなかった。
 趣味に励み、人生を謳歌している、楽しんでいるんだ、という言葉(力説)を聞けば聞くほどに、言い訳めいていて、演技的で、空白を満たそうとしている風を感じた。
 たとえば文系独特のヲタクであるなら、狭量だが深みがある。拘りがある。厄介だが面白い。しかし、薄く浅く広げようという興味対象との付き合い方は、私のようなヲタク型の人間にあっては、空しく見える。
 結局、ビル管は、少々のエリートでも退屈で苦痛なのだろうか。
 こうして、業種自体が、人間を排除していくのであろう。設備の近藤や設備のマタギに塗れて、競馬中継の蔓延る世界へとなっていくのであろうか。職場が痩せていく。
 だけど、立派な同僚がいなくても、感性が摩耗するような相手でも、痛い目に遭っても、私は、もう少し一緒にいてほしかった。
 さらば、ワセダさん。
(建築物管理)







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