書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆睡蓮みどり
映画のなかの不機嫌そうな顔――トマーシュ・ヴァインレプ&ペトル・カズダ監督『私、オルガ・ヘプナロヴァー』、センゲドルジ・ジャンチブドルジ監督『セールス・ガールの考現学』
No.3590 ・ 2023年05月06日




■不機嫌でいることを誰にも否定されたくないし、そういう時間を奪われたくない。35年間の人生で、すぐに謝ったり愛想笑いを浮かべたりすることが染み付いていると自覚しているし、そんな自分自身に嫌気が差している。肝心なときに、怒った表情や、軽蔑の眼差し、不機嫌さの主張がなかなかできない。とても残念なことだけれど、そういうちょっとした態度を変えることが本当に難しい。逆に、ちゃんとできたときは自分で自分を褒めてあげたいような気持ちになる。そんなことで、と思われるかもしれないけれど、そんなこと、が簡単にはいかないのだ。
 怒りや悲しみは、あまり自分自身の件では強い感情が湧いてこなくて、他者のことの方が感じ入ることが多い。映画を見ていても、多分すごく感情移入しがちなほうなのだが、他者の出来事のほうが他人事と思えないように感じることが多い。
 少し前に、某評論家と自称リベラル市民の小説家とそのお友達に出くわしたときも「最近MeTooやってるらしいね?」などとニヤニヤと小バカにしてくるわけだ。私が本連載でもやたらと自称リベラル界隈の人にたちに対して信用ないと書いているのはそういうところなのだ(やりたくてやってるんじゃないんだよ、こっちだって。だいたいなんだ「MeTooやる」って!)。彼らにしたら“ブームに便乗して”目立とうとしている小生意気な元学生にしか見えないのだろうけど。言い返したら、とたんに「ヒステリックで面倒なフェミニスト」という扱いをされたように感じた。ふっかけてきた相手に言い返して、なぜ私が宥められるのだろう? この体験についてわざわざ書くつもりはなかったのだが、いま思い出しても腹立たしい出来事で、久しぶりに自分自身のことで強い感情が湧いてきたのだった。
 それから少しして、早稲田大学の元教授から受けたハラスメントの件で、裁判を終えたばかりの詩人の深沢レナさんに対して、詩人の先輩である伊藤比呂美氏が「助太刀いたす」などという言葉を使って、深沢さんがTwitter上に名前を挙げた大学関連の人たちを擁護した、という出来事があった。挙がった名前はいわば、公になる以前から彼女の訴えを知りながら助けてくれなかった人たちのリストなわけだ(現在は削除済み)。実名でSNSに書くという行為がいかにリスクを伴うことであるのかを、彼女が知らないはずがない。弁護士からも、周囲の支援者からだって再三言われているだろう。表面上は深沢さんのサイドの勝訴ではあるものの、実に加害者に甘い、納得のいかない判決であった。法は万全ではないということを痛いほど感じさせられる。彼女がああしなければならなかったことや、どれだけ苦渋の選択だったかに思いを馳せるべきじゃないだろうか。
 中退前に、早稲田大学の文学・言語系専修に所属していた私は、彼女が名前を挙げたなかの人物の教え子でもある。大学で学んだはずのことは自分にとっての基礎とも言える。その基盤が崩れていくような気がした。守るべきは学生であるはずなのに、教員同士で自分たちを守り合う。どんな“事情”があるにせよ、保身に走ったという事実は忘れない。いまからでも遅くない。教員の名の下に学生たちの上に立っているすべての人たちに、自身の持つ権力性について改めて自問してもらいたい。
***
 自分がうまくできないからだろうか、映画のなかの不機嫌そうな顔を見ると少し安心する。ちゃんと不機嫌でいられる場所がその映画のなかにあるということに安心する。あらゆる映画はフィクションだ。ドキュメンタリーであっても、実話が元になっていても、そのままということはあり得ず、編集し、意図を持ってつくられたものである。『私、オルガ・ヘプナロヴァー』は75年にチェコスロヴァキアで23歳にして最後の女性死刑囚となった実在の人物をモデルにした映画である。
 始終、不機嫌そうな一人の若い女性がいる。オルガ・ヘプナロヴァー(ミハリナ・オルシャニスカ)は映画の最初から終わりまで、無愛想な表情を浮かべている。モノクロームの世界のなかで、タバコの煙、息遣い、排気、などのモヤがよく見える。そして彼女の絶望も。
 カメラはオルガの日々を映し出し、一見すると、彼女に何かにすごくフラストレーションがあるようには見えない。それはオルガの心情をありありと映し出すような手法を本作は拒否しているからであり、一方でカメラは自然にオルガに吸い込まれるように無愛想な表情をとても魅力的に捉える。梶芽衣子演じた女囚さそりこと松嶋ナミも無愛想で無口な、そして魅力的なヒロインだった。彼女は無口ではあったが復讐に燃え、その目には生命力が宿っていた。オルガの目には生命力どころか、絶望が色濃く宿っている。だから彼女に「復讐」は似合わない、かのように見える。そのわかりにくさがより一層彼女を孤立させてしまったのではないかとさえ思わせる。「自殺するか、殺すか」。これはどんなときにも彼女のなかに絶えずあって支配していた考えだ。とても日常的な繰り返しとして、オルガの頭にはこの考えがある。
 貧しい家庭ではないものの、自分に興味のない母親。気になる女性といい関係になるも去っていき、仕事に就いてもうまくはいかない。あらゆる人間関係をうまく構築していくことが難しい。彼女の憎しみは、特定の誰かではなく、社会、あらゆる人間たちに向かっていく。大量殺人の後、彼女は自ら死刑になることを望む。彼女のなかで張り詰めていた何かが、薄いガラスがパリンと割れるような小さな音で爆発する。ひりひりととても冷たく、乾燥した空気が頬を掠める。その秘めた凶悪さが垣間見えても、否定できない、と私は感じた。彼女へ感情移入させるように、あるいは残忍な悪者として描くことは本作ではしていない。事件当時22歳だった彼女。彼女は確かにこの世界に生きていた。忘れることを許さない、と言うかのように、最後の彼女の叫び声がずっと耳にこびりついている。凄まじい映画だ。
***
 『セールス・ガールの考現学』もまた、新しい映画体験だった。これまで見たことのあるモンゴル映画とは全く違うタイプの、ポップで、街を舞台にした本作。あどけなさが残り、成人しているようには見えない大学生のサロール(バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル)が、怪我をした知人の代理でアダルトショップのアルバイトをするところから物語は生まれていく。自分にも、世間にもあまり興味があるように見えないサロールは、あまり表情のない、どちらかといえば不機嫌そうな印象を与える。謎めいたショップオーナーのカティア(エンフトール・オィドブジャムツ)との出会いで少しずつ世界を見る目が変わってゆく。
 これまでヘッドフォンのなかの世界に閉じこもっていた彼女は、内気なだけじゃない、物事に動じない強さも元々備え持っている。そもそもアダルトグッズの店でアルバイトするというのは、カフェでアルバイトするのとは訳が違う。代理を頼んできた他の学生も「内緒にして」と言うし、サロールも両親に聞かれても「配達のバイト」だと内容をぼかす。東京ではアダルトグッズの店はそこまで珍しくないものの、民主主義に移行して約30年のモンゴルにおいては、まだまだ堂々と出入りするような場所ではないようだ。危険な客もおり、カティアに「もう辞める」とつげ、何度も衝突する。
 母娘ほど歳の離れた女性同士の交流は、同世代の友情ともまた少し違う。かといってカティアは第二の母になるわけでもない。ふたりは大人の女性同士として、少しずつ秘密を共有し合うのだ。その秘密というのは、何も隠さなければならないようなこと、ということではない。それは例えばかつての愛の話だったり、自分が本当に将来したい好きなことだったり、そういうことを少しずつ言葉にしたり、発見したりする。本作は「バナナの皮をふんですべる」というベタすぎて逆に映画でなかなかお目にかかれないコミカルな冒頭から始まる。そんなユーモアさをそもそも兼ね備えている本作のなかで、最初は無表情だったサロールの表情が豊かに変化していくのも印象に強く残る。
 サロールがヘッドフォンをするときだけ聴こえた音楽も、やがて世界に響き渡っていく。カメラがパンするとバンドのメンバーがいて歌っている、というPVさながらのおしゃれなこの手法を取り入れて、モンゴルで人気のシンガーソングライター「マグノリアン」が歌う。未来に少しだけ、希望を見出す。そのことがどんなにかけがえのないものか、本作は思い出させてくれる。
 ところで映画の途中でどこかに消えてしまうあの犬は、どこまで行ってしまったのだろう。きっと映画が終わった後で、家族を引き連れて帰ってくるのではないか、そんなことを想像してみた。
(俳優・文筆家)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約