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評者◆凪一木
その185 人生の断捨離
No.3586 ・ 2023年04月08日




■そろそろこの連載も終了する。身仕舞い。隠れていた暗部と恥部が露になる。
 先般発売した本が死に満ちていて、三島由紀夫のように自決する予告ではないかと言われる。知り合いの脚本家からは「お前、もしかして体調悪いのか?」。某雑誌の編集長からは「身体を壊されてはいないでしょうね」。別の友人は「なぜ最期の、なのでしょうか」と、余命宣告でも受けたかのような反応だ。別の批評家からは、「命のやり取りをしているような本だ」と。十分やり切ったわけではないが、これが終わりでも、もういいかなと思う。
 これまで単発の寄稿を別とすると、『映画芸術』を皮切りに、『キネマ旬報』『sagitimes』、本紙、『トラック・キング』『ザ・アニキ』『アウトロー・ジャパン』などの週刊誌、月刊誌、季刊誌、広報誌の何かかにか連載を途切れなく書いてきた。また、原稿料などなくとも、『びでお・とぴっくす』『ぼくら新聞』『ENVIRONMENT』といった定期刊行物は、やはり締切があり、原稿を待っている人がいることで励みとなった。形になるのも楽しみだった。並行して「発行の決まった」単行本の執筆を抱えていた。途中で頓挫したり止めたものもあったが、「望まれている」「求められている」感覚に変わりはない。いつでも「戻ってこれる場所」というか、日常で嫌なことがあっても、原稿に向き合うことで、問題自体が整理できて、また必ずや心の中では解決され、解消されもする。いわゆる定点である。これが、今回遂に、単行本やムック本も何の発行予定もなく、そして連載も終了し、何一つ仕事のない状態となる。時間はそれぞれだが、常に締切に追われていた。編集者(依頼主)から、曲がりなりにも原稿を「宛て」にされてきた。これがまったく失くなる。サラリーマンで言えばクビだ。不要人物みたいだ。だが、楽しみでもある。
 今までそういう状態を考えたことはなかったが、拠り所を失ったような宙ぶらりんな感覚、持ち場がない寂しさ、帰る場所がない恐怖、ライフワークが消えた「誰でもない私」といった、所在のなさを味わうことになる。
 生きていく上での身仕度、行く末の態度の決め方を迫られたような切迫感がある。なので、加盟しているユニオンの会報など、原稿依頼が来ると、ついつい喜んで引き受ける。
 伊藤整のように、大学教授をやりながら作家稼業を営むという人は古くからいるが、本来は「食うや食わずのスタイルで作家をやっている」者が本望であり、それは映画監督にしても同様である。必要のない職種を作り出しているわけだから。学校で教えながらの本業では、たかが知れている。落語家は前座でも、協会でアルバイトを禁止している。しかし、今は、有名無実でアルバイトを認めているという。単独で食べていくのは無理なのだ。もはや、職業自体の成立が無理なのか。
 連載に要請されるかのように、サイコパスという寝た子を起こし、薮蛇をつつくような真似はしたくない。サイコパスの消えた今、ビルと爺イだけの連載では迫力不足だ。最後は、耳の痛い肝心なことを書き残さないよう、言いにくいタブーを書き忘れないよう、特に不正や悪を書き損じないよう、全力で書き尽くすつもりだ。
 Twitter社の人たちが四時間しか働いてないらしいよ、という話が出た途端「大量解雇は当然だ」「いい気味だ」となるのは随分と了見が狭いと思う。四時間の働き方を称賛こそすれ、恨むなんて、いったい何を目指して生きているのだ。
 本来ならば、「なんで私らも四時間勤務にならないのか」と、自社の上司や社長に文句を言い、職場を改良しなければいけない。社会の中でビクビクして、縮こまって、与えられたスペースと娯楽の中で生きていくのは、残り少ない人生において、もう止めよう。
 人の忠告や無意味な批判を気にするかしないか。他人の動向を気にするかしないか。他者の悲劇を気にするかしないか。時間の過ごし方、映画の見方、スマホの使い方、仕事のやり方、健康のための運動や通院、労働運動の取り組み方、見直しが必要だ。
 宮台真司が刺された。気に食わないから、目立っているから、ジョン・レノンを撃ったマーク・チャップマンの亜流か。批評行為も、相手にとっては生命を脅かされる暴力を感じることがある。その逆もしかり。戦争行為の素となるようなものが私の中に存在することを、その文章から見透かされているのかもしれない。相手を完膚なきまでに打ちのめしたいとか、殺したいとか。作家としてではなく、会社員生活の中で、労働組合運動の中で、これが有効に発動されるとなると、どういうスタイルなのか。私がこの年齢になって、まったく異端の職種に飛び込んで学んだのは、悪意によるものでなければ、無知や無能によるものであるなら、失敗も逃げも、許せなければ世の中は治まらないということだ。
 逃げとは、処世術であり、そのことを自らは無いかのように振る舞う評者に対して私は、嫌な気持ちを感じる。社会に適応するために、この処世術は必要であり、そのことに負荷や痛みを感じつつも、何とかやりくりする姿の一つが「逃げ」であり、失敗でもある。
 かつてビル管理の学校(高年齢者職業訓練校)に通っていたころに一人随分と立派な先生がいた。卒業後一年も経ってから、クラスメートに彼の話を聞く。まさか、先生がそんなことを言っていたなんて知らなかった。そんなことを言っていたとは。それは、こうだ。
 「耐えられなかったら逃げろ」と。
 とにかく逃げろ、と。なぜなら年なんだから。「年なんだから、もう耐える必要はない」と。
 そのためにどこにでも行けるように資格を取るんだよ。資格を取っていなくてもとにかく逃げろ。年なんだから耐える必要はない。年なんだから逃げろ。
 そんなことを言っていたなんて知らなかった。
 逃げて、逃げて、逃げ切ったなら、そこが居場所なのだ。
 党派性などどうでもよい。たかが、と書くとたいていかなりの反発を食らうが、映画やその他の趣味の評価が別れたとき、ムキになって反論し、否定してくる人が、プロの書き手(脚本家など)にも結構いる。政党や思想は、最近の私には、せいぜい「ひいきのプロ野球チーム」の違いと大して変わらない程度にしか見えない。多少の偏りやふぞろいについて、深くは触れず、見過ごし、許容し、間違いをあげつらうことなく、潔癖にもならず、たいして納得できなくとも、少々腑に落ちなくとも、適当なところで手を打ってやっていく。責めることに躍起になっても苦しくなっていくのは自分のほうだ。
 私がこの世界で捨てたのは、拘りである。
(建築物管理)







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