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評者◆高橋宏幸
母たち、そして母なるものの肖像――ピーピング・トム公演『マザー』(@世田谷パブリックシアター、2月6日~8日、ほか)
No.3584 ・ 2023年03月25日




■ベルギーのダンスシアター・カンパニー、ピーピング・トムの家族をめぐる三部作のひとつ、『マザー』が上演された。すでに一作目の『ファーザー』は、二〇一七年に招へいされている。この『マザー』も、コロナによる延期がなければ、もっとはやくに上演される予定だった。今回は満を持して、東京を皮切りにいくつかの都市をツアーした。
 ピーピング・トムというカンパニーは、主にコンテンポラリーダンスの文脈で語られる。しかし、ダンスとして踊るシーンのみで構成されるわけではない。また、せりふを話す場面はあっても、いくつかのシーンに限られ演劇とまではいえない。この作品を含めて、そのスタイル自体がオリジナリティあふれる表現となっている。
 今作も同様に、その舞台に明確な物語や筋はない。あるコンセプトやイメージを、ダンスやせりふを含めて、舞台美術をはじめとした印象的な空間をもって観ているものの視覚にのこす。ただし、タイトルの『マザー』という言葉どおり、そこにはさまざまな母なるもののイメージがある。そのイメージも、るつぼのように集積することもあれば、拡散とでもいうべき断片化もある。混在するような母たちと、母からさらに派生した細切れのようなイメージによって綴られる。
 たとえば、後ろのガラス張りの部屋は、冒頭に棺が出てくることでは霊安室のようであり、出産や乳幼児の泣き声では分娩室になる。また、乳幼児の集中治療室でもあれば、赤い血がときおり見えることでは手術室でもある。そうかと思
えば、ラジオブースのような録音スタジオとなり、マイクを使った叫び声が響く。その生から死まで、たしかに母なるもののイメージと連関していく。
 ただし、これはあくまで断片をつなげたものだ。それぞれのシーンは、ときにまったく関係ないかのように接木されたり、ばらばらになったり、脈絡のないようなシーンも挿入される。まるで夢のようなものだ。むしろ、夢と言ってしまった方が理解にははやいぐらいだ。実際、夢遊病者のダンスのようなシーンもあれば、自分の力ではなく、なにかに突き動かされるかのような動きで踊るシーンもある。
 また、病院の部屋の隣は、ロビーからつながる展示室のように、数々の絵画が飾られている。集められた日本のエキストラである入場者の一群が、ぞろぞろと展示を眺めることでは美術館だろうか。そこには、たくましいダンサーが裸体の彫刻のように飾られている。ある女性は、股間を眺め回し、その彫刻のダンサーは開館時間が終われば動き出して帰る。さらには、とりとめもなく続くなかでは、暴力的ともいえるような鮮烈な血が流れるシーンもあれば、エロティックな動きをして立ちすくむ母もいる。欲望もあれば、畏れや苦しみなど、プリミティブな感情を強く抱かせる。だから、母たちは美化されるだけではない。
 また、今作のひとつのモチーフのようにあるのは、母だけではなく壁に掲げられたいくつもの絵画だ。母はそこにいる存在として主観的なものであり、主題でもあるが、同時に描かれた母のようでもある。いわば、母の存在は、まわりの目によって見られた母であって、まるでポートレイトだ。それらのまなざしによって描かれた母には、老いや認知症などを抱える母もいるのだろうか。美術館という場所は、邸宅の一部であり、介護施設のように母を看とる場所にも見えてくる。
 そして、死を意味するようなシーンでは、母なるものがいなくなったあとの空虚ともいえる不在の母の姿も映す。それは老いたる母の面影がのこる記憶の場所にも、なだらかに転化する。強烈な印象を与える母と数々のシーンではあるが、逆説的にいくつもの鮮烈なシーンは、めくるめくイメージのつらなりとなり、見ているものの脳裏に深く刻まれるというよりも、映っては流れて消えていくようだ。
 実際、日本に限っても、かつての社会における母と母なるもの、もしくは母性という神話がまだ生きていたころの母など、そのイメージはいまや一枚岩ではない。ヘーゲルは、『法の哲学』で家族とは愛を基礎に成り立つ最小の共同体と述べた。いつしか、その紐帯の中心に置かれたのも母だ。もちろん、日本は家父長制社会といわれるが、80年代のフェミニズムがしばしば言及したように、母権型の家父長制社会として、母は甘えと愛の象徴だった。
 しかし、そのような旧来の母が解き放たれつつあるいま、母はより多義的で複雑性を帯びている。ピーピング・トムのような世界中をツアーするカンパニーならば、なおさらだ。『マザー』における母なるもののイメージは、それこそ世界中の地域、時代や空間の差異も同時に示しているのではないだろうか。







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