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評者◆凪一木
その183 ビル管理というノマドランド
No.3584 ・ 2023年03月25日




■昔のプロ野球では、ON(王貞治、長嶋茂雄)にしても、ミスターと呼ばれるような掛布雅之(タイガース)や山本浩二(カープ)にしても、同一チームで選手生活を最後まで終えた。他チームや他リーグ、まして海の向こうなどは考えられなかった。だが、今や、五~六球団のチームを渡り歩く選手など珍しくもなくなった。
 特定の店に所属せず、自分の腕一本を武器に全国の料理店を流れて渡り歩く板前職人を「流れ板」という。『流れ板七人』など映画やドラマに登場する。腕一本で稼ぐバウンティハンターのようなものだ。映画の監督を始め、脚本家もカメラマンも美術も照明も皆、雇われ職人である以上は、流れ者だ。
 「ドクターX」シリーズの脚本家中園ミホが新たに放った、二〇二二年一〇月のドラマ「ザ・トラベルナース」は、看護師の流れ者が主演である。
 ビル管もまた、中間地点のようにして、いつでもいなくなりそうな、特に官庁は片足しか突っ込んでいない雰囲気を持った人間ばかりで、「泊り」もあるわけで、ノマドランドのような場所だ。
 中間管理職という言葉がある。管理職のうち、上位には取締役や役員がおり、一方で下位に係長やチーフ、主任と言った職が存在し、その間に存在する、具体的には課長や部長のことを言う。この言葉の真ん中にある「管理」を抜いた、中間職という言葉が、ビル管理のことではないかと思える。社会の中間にいて、あまり仕事をしていない。楽もしていないが、過酷でもない。高い給料をもらえはしないが、安い給料の部類の中でも、贅沢をしなければギリギリ生きてはいける。
 ビル管理が、職場としての最終地点であるにもかかわらず、中間地点のような働き方をする人間が多いのは、ビルメンテナンスという「専門性が低く」しかし「誰もが出来るというわけでもない」職業自体の特性である。「繋ぎ」のような腰の落ち着かなさがあり、仕事としては「どこにでも」ある売り手市場だ。
 今、隣の席にいる同僚は、小樽出身で、各地を自転車旅行している。同僚と言っても、一緒に仕事をすることはない、月に八回程度各五分ずつ顔を合わせる。私の出勤時に「明け」としているだけの男だ。この五分が彼との会話時間である。
 自転車男は、小さなテントを立てて野宿し、ときどきユースホステルに泊まる。沖縄まで行ったときは半年間かけて三〇万円ほどのノマド生活であったという。途中、四国の駅のホームに裸で寝ていたら警察に通報され、十数人の人だかりができた。前の同僚だった結婚相談所男は、一年以上かけて北海道から沖縄まで、軽自動車での日本一周を果たした。これは三〇〇万円ほどかかったという。その前の病院のビル管の同僚は、一〇回以上も北海道バイク一人ツアーを敢行している。別の同じビル管仲間は東京葛飾の出身で警官の息子であるが、二〇歳代の頃、坪井組という人夫貸しの会社に使われていた。本人曰く「やくざとほぼ変わらない」とのこと。いわゆる土方作業で、ゴミ拾いや草むしり、大工、ときには大型施設の工事手伝いなどをする。その兄貴分の一人に連れていかれて、山口県宇部の現場(宇部興産の足場組み)を皮切りに、博多、仙台、広島と東京にはとにかく戻らずに、歯を折られ、ふくらはぎを怪我させられながらも一〇年以上全国を渡り歩いた。東京に戻って仕事はないので、まずは帝警の交通誘導から始めて、その後は総警(アルソック)、そして設備管理へと身を転じた。フェラーリとは別に、元プロのカメラマンがもう一人わがT工業にはいて、彼は毎年インドを放浪する。前の現場で一緒だった七〇歳近い元不動産屋のバツイチは、やはり旅行好きで、行先は東南アジア専門で、毎年フラフラと骨を休めに行く。かつての不動産屋時代の仕事人間ぶりを「ビル管生活で全部取り戻す」と言っている。
 私のビルにいる同僚は、大容量のリュックを持ち歩き、どう見ても「住む」家がないと言われていて、官庁に着くなり、始業前に風呂に入る。現実に二年以上ホームレスをしていた元松下電気の正社員でビル管もいる。ビル管に辿り着くまでは、まったく一度も会ったことのない親戚を頼り、名義だけを借りて、職業訓練校と住むところを確保した。だが彼はビル管すら水に合わず、植木屋へと転職した。警備の内、会社によっては、飯場を渡り歩く建設職人の成れの果ての場合があり、タクシー運転手もそうだが、労働基準法に守られない分だけ、都合がいいという労働者もいる。おかしな理屈だが、ビル管は、不法な分だけ働きやすいという面は、根本的には変えていくことで消えるはずだ。
 全国のあちこちを渡り歩くという人間は、各地に支社を持つような大きな会社でもなければ、あまり経験できないし、なおかつ遊び人であることも考慮すると、仕事自体が、普通のサラリーマンでは、なかなかこういった経験をさせてもらえない。そうなると、ビル官にその手の「ノマドランド」人が多いだろうことは予想がつく。少々面白くないことがあると、直ぐに職場を変える。いつでもやめそうなのである。
 二〇二二年一二月から始まったネットフリックスで話題のドラマ『初恋』で、主人公のタクシー運転手が、飛び抜けた営業成績を示しながらも、四〇日の初めての有給休暇を取ろうとすると、上司にこう言われる。
 「そうなるとですね。いろいろペナルティ的なあれを覚悟してもらうことになるんです」
 だいたいがそんなものだ。
 私はもう、本を書くことはないだろうが、最後の一冊となるだろう一冊を数年前から共著で書いている。今はその途中だ。井上いちろうという漫画家とのコラボである。井上は、『離婚して車中泊になりました』(朝日新聞出版/井上いちろう)シリーズが現在進行形で刊行中だ。彼の車中泊生活は三年が過ぎた。私は、ついつい気になって質問してしまう。先日会ったときにも、こう尋ねた。
 「どこかに駐車場だけでも確保しておいて、そこに戻れば止めて寝るという安心感を買うというのはどうか?」
 「一ヶ月だけでも、どこかの駐車場を借りるくらいなら、アパート借りた方がまし。しかしそれでは価値観が逆戻り。全然その気に成れない」
 自由になれる場所を探して旅をしている、とも言う井上いちろう同様に、ビル管もまた、仕事上の自由を勝ち取るための元企業戦士や元落ちこぼれが、社会的ノマド生活を遂行しようと本音は隠しつつ、あれこれズルく老獪に立ち回っている姿かもしれない。サイコパスが紛れていても野放しになる世界だが、ビルメンは、会社ではなく、職種で生き抜いている。
 どのチームに行っても、代打であれ、生きていく。
(建築物管理)







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