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評者◆稲賀繁美
公共世俗建築天井画公費発注を前にした藝術家たち(上)――ドレフュス事件勃発前後の美術と政治との淫靡な癒着について
No.3583 ・ 2023年03月18日




■フランス印象派の「兄貴分」とされるエドゥアール・マネは、その早すぎた晩年、公式壁画の受注を希望しながら果たせなかったことが知られる。1870年のパリ・コミューンで焼け落ちた市庁舎の壁画制作をめぐる一件だった。結局、中央階段の重要な箇所を宛てがわれたのはピュヴィス・ド・シャヴァンヌ。彼はマネの弟子、ベルト・モリゾとの親密な関係でも知られる。公式発注成就の過程からは、行政と美術との紆余曲折が明るみに出される。
 第三共和制を迎えたフランスでは、公共建築に壁画を残す事業が、画家たちの栄達の指標として再認識される。従来から定番の神話画や寓意画に代わって、共和主義に相応しい市民生活や、普仏戦争敗北の屈辱からの奮起を祈念する愛国的主題、さらには発達する鉄道網を反映して、風光明媚な名所風景画など、公共空間の目的に応じて、画題も広がりを見せる。下記の学会例会で、まず三谷理華氏は、ラファエル・コランがパリ・オデオン座の上階小フォワイエに実現した天井画群に、つづく森万由子氏はモーリス・ドニがリュクサンブール宮殿に実現した天井画《正義と平和》に着目した。これに触発され、以下、私見を述べる。
 コランの壁画(1900設置)は2006年の劇場改修により復活再登場した。発注当初の構想は、井戸から真実の女神が松明を手に出現する図柄だったが、それは審査員会で問題にされた。構図が天井画に不適切、とするのが表向きの理由。そこに、事後になって、国論を二分したドレフュス事件が交錯し、癒着する。周知の通り、1894年夏にドレフュス大尉は対独スパイ容疑で逮捕され終身刑を宣告され、95年にはギアナ沖の地獄島に収監されていた。
 本作品の報告書を起草(1891‐2)した調査官、アンリ・アヴァールは、装飾事典の編者だが、もともと壁画にはフランスの「国民的精神」たる「明晰判明」な描写が不可欠との持論をもつ保守的な美術評論家。偶々行政のトップにいたギュスターヴ・ラルメもまた、カイユボット遺贈の印象派作品の国家買い上げには反対の立場。どちらもマネ一統の美学には、憎悪を公言して憚らぬ人物だった。
 そのマネを1866年以来擁護していたゾラが、「我弾劾す」でドレフュス弁護の先頭に立つ(1898)。事件は文字通り国論を二分したが、ゾラに共鳴したデバ=ポンサンの油彩《井戸から出現する真実》(1898)は、社会的醜聞まで惹起する。
 もともとコランが託したのは、演劇という虚構が真実を開示する、との寓意であり、ドレフュス事件とは無関係。だが天井画に井戸を配するという構図に、美術調査官の任にあったアヴァールは画家への書簡で「冗談」「欺瞞」にもほどがある、と激烈な反論を加える(1892年8月)。
 この段階ですでに完成していた作品は、サロン評など(1892年5月以降)でも、「装飾画として不適切」「最良の出来とは言い難い」などの不評を買った。そしてアヴァールの見解は、今日の保守的な壁画研究の権威、ピエール・ヴェッスにまで引き継がれる。
 社会学者ピエール・ブルデューは、『芸術の規則』から没後出版の『マネ』にいたる著書で、19世紀後半の仏藝術界を観察し、ドレフュス事件におけるゾラの「真実は歩む」宣言を特筆大書する。作家のこの「無私」な「真実への愛」は、32年前の出来事、醜聞に晒されたマネを弁護した若きゾラを想起させる――。ブルデューはこの遡及的修辞法に便乗し、そこに「藝術の自律」の成立を寿ぐ。
 他方、博士論文『第三共和制と画家たち』(未邦訳:1995)の著者ピエール・ヴェッスは、元よりマネによる「象徴革命」など容認も認知もしない立場だが、アヴァールら保守派の美的判断を流用し、歴史家としての自らの中立性へと偽装する。対立する両Pierreだが、「二石」共々、藝術が「政治からの自律」を装う仕草そのものに秘められた政治性には、頑なに眼を瞑る。
 両者の確執は、19世紀末の政治闘争を歴史記述/認識のうえで一世紀後に屋上屋よろしく反復している――。この実相を見落としてはなるまい。――つづく
*本稿は日仏美術学会例会、2022年12月10日「19‐20世紀の天井画」に基づく。言及した一次資料や批評等は、各発表者が調査成果として例会で公表したものに依拠する。藤原貞朗『共和国の美術』(名古屋大学出版会、2023年)も参照されたい。







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