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評者◆福島亮
万人のための、別の世界を――パトリック・シャモワゾーと邦のヴィジョン
No.3583 ・ 2023年03月18日




■声は他所からやってくる。その声にどう応えるか――。二年半にわたり本時評を続けるなかで、常に感じてきたのは、このような応答責任だった。前回、関大聡は「アンガジュマン」という語に新たな息吹を吹き込むことでそれを示してくれた。二〇一九年、当時私たちが住んでいた国際大学都市で、某国会議員の講演計画が持ち上がった際、関と議論したことがある。爾来、彼の「アンガジュマン」に敬意を抱いてきた。だから、二年半にわたり彼から渡される原稿をいち早く読むことができたことは幸福だった。ありがとう。
 最終回である。今回もまた、思わぬところから声は届いた。
 当初、私はこの連載を、今年一月九日に逝去したアドルフォ・カミンスキーという人物への追悼で締めくくる予定だった。カミンスキーは、一九二五年にアルゼンチンのロシア系ユダヤ人の家に生まれた。彼のことを、人は敬意を込めて「偽造者」と呼ぶ。第二次世界大戦中のフランスで、カミンスキーはユダヤ人を救うため、身分証明書の偽造に従事し、また戦後はアルジェリアやヴェトナムでも、偽造者として反植民地主義の闘士たちを支援したからである。彼の息子は著名なラッパーのロセ。二〇一八年にロセが監修したアルバム《地に呪われたる者たちより》には、闘争のなかで発せられた様々な声が収録されている。ジャン=マリ・チバウ(ニューカレドニア)、コレット・マニー(フランス)、フランシス・ベベイ(カメルーン)……これら、幾つもの闘争の声を、カミンスキーの追悼に交響させながら連載に終止符を打とうと計画していたのである。
 だが、ある一通のメールをきっかけに、この計画は変更された。二月一八日、某氏からPDFファイルが送られてきた。それは、マルティニックの作家、パトリック・シャモワゾーのテクストだった。シャモワゾーは現在、「海外領土」をめぐる政治エッセイを準備している。送られてきたのは、その未刊行のエッセイの抜粋とシャモワゾーの署名がなされた宣言文だった。
 エッセイには『責任礼賛』という不思議な題が付けられている。シャモワゾーの読者であれば、彼の『クレオール礼賛』をまずは想起するだろう。わかりにくいのは「責任」の部分である。「責任」と訳したが、原語は「レスポンサビリザシオン」であり、実直に訳せば、誰かが責任を負うようにすること、という意味である。じつはこの語に作家が込めているのは、「海外領土」が「周縁」という地位から脱し、自らの責任能力を行使できるようにしよう、というメッセージなのである。
 フランス共和国は、旧植民地に様々な行政的地位を与え、広大な排他的経済水域を維持している。裏を返せば、共和国は脱植民地化の火種を内包しているのである。本連載第一九回でマルティニックの歴史家アルマン・ニコラを追悼した際に述べたように、フランス語圏カリブ海でもこの火種は常に燻っている。
 二〇二一年五月一六日、「フォール=ド=フランス宣言」という文章が、「海外領土」の首長らによって発せられた。彼らが求めているのは次の三点である。第一に、共和国と海外領土との関係を立て直し、それぞれの領土の実態に即した公共政策を可能にすること。第二に、それぞれの海外領土の意思決定権を含む権利の平等。そして第三に、地政学的、環境的条件に立脚した新たな経済政策を創出すること。
 「共和国と海外領土との関係を立て直す」という主張は、共和国が憲法で「不可分」とされている以上、繊細な議論を要する主張である。では、なぜ立て直しが必要なのか。それは、本国と海外領土とのあいだに様々なレベルの不平等があるからである。例えば、本連載で何度も取り上げてきたクロルデコン(農薬)汚染問題ひとつをとっても、海外領土と共和国とのあいだに深い溝があることは明らかだろう。
 この溝を象徴するかのように、二〇二三年二月二日、「マルティニックの旗」が住民らの投票によって定められた。旗を彩る赤、緑、黒の三色は、マルティニックでは、フランス植民地支配への抵抗のシンボルと見做されている。実際、ガルサン・マルサがリーダーを務める「マルティニック主権のための民主主義者・エコロジスト運動」という独立派組織のシンボルは赤、緑、黒の三色旗である。
 マルティニックで何が起こっているのだろうか。シャモワゾーが準備している新著、および宣言文を読むと、それが(具体的には第五共和政憲法第七三条と七四条の改正による)共和国の立て直しにあることがわかる。現在「海外領土」と呼ばれている地域は、そこに生きる人々が自らの決定に責任を持つ「邦」にならなくてはいけない。これがシャモワゾーのヴィジョンである。作家は「邦」の創り手となるべき人々を、「国家」に回収されない民たちという意味で、「国‐民」と表現する。
 本連載は単にフランスの時事を紹介するのではなく、この共和国とその言語をめぐって鬩ぎあう、様々な状況、葛藤、希望を報告しようと試みてきた。オレリア・ミシェル『白人と黒人の世界史』(明石書店、二〇二一年)の原著を紹介することから始まったこの旅の終わりに、今、カリブ海から発せられようとしている未生の呼びかけを紙面いっぱいに響き渡らせてみた
い。
 以下に訳出するのは、シャモワゾーの宣言の全文である。原文はフランス語とクレオール語の二言語表記であるが、主に依拠したのはフランス語の方である。また、原文にある空行は省略した。私の突然の申し出に対して、翻訳掲載を快く許可してくれたパトリック・シャモワゾー氏に感謝したい。フランス語の宣言文は、本稿が掲載される頃には賛同者の署名と共に公表されているだろう。また、三月中にこの宣言を付した新著が刊行される予定である。
Je remercie M. Patrick Chamoiseau.

邦を創り出そう
(Faire‐Pays)

宣言

 私たち、
 グアドループ、ギュイヤンヌ、マルティニック、レユニオンの私たち、
遠方に、また世界各地にいる者たち、
国家に与せぬ団体や組織の担い手たち、
市民社会の一員、そして教育や、保健衛生、研究、報道、未来予測、国際援助を生業とする者たち、
社会福祉、芸術、文筆、デジタル、文化などの現場で働く者たち……。
 私たちは、次のように考える。
 今日の世界は、複数の文明、文化、個人が渾然一体となった錬金術だ。この世界のおおもとには、アフリカ人奴隷貿易や、新世界の奴隷制や、プランテーション・システムがあり、ヨーロッパ諸国の大戦やその結果があり、跳梁跋扈する植民地主義や、惑星規模で拡大する資本主義がある。
 この錬金術から生み出された「国‐民」は、脱植民地化の慧眼をまだ手にしていない。新しく生まれたこの民たちは、領土、アイデンティティ、歴史、文化にまつわるフィクションに巻き込まれたかに見えたが、それらを生み出したのは彼らではなかった。彼らは、彼らをいまだ牛耳っている者たちの意識の埒外にたえず放置され、時には自らの意識からさえ締め出されている。
 経済的自由主義のドグマのなかで、主権を握り、虎視眈々としのぎを削りあう国民国家にとって、脱植民地化の不徹底は願ってもないことだった。このドグマにおける自由とは、もっぱら商品や資本、利潤を追い求める法則にかかわる自由であり、人間や動植物、果ては惑星全体が犠牲になっている。
 そんな世界は、私たちの世界ではない。
 だが、そうは言っても、様々な交流はなされ、不意の接触は起こり、個の形成を通じて人々の協調と陶然たる倫理が結束することもあった。その結果、相互扶助の世界は、いまや私たちの情熱の手の届くところにあり、真の出会いによってそれは実現する。私たちの瑞々しい想像力のうちで、この世界に名を与え、それを欲し、そのために行動を起こそうではないか。
 この別の世界が、万人の共通善だ。
 以上のような視座から、私たちは次のように宣言する。
 私たちの土地には、国‐民が生活を営んでいる。
 私たちはこの国‐民を、地理、文化、生物学的諸条件、社会、アイデンティティ、象徴、創造……を単位とする存在と見做しているが、ここに列挙した諸々の存在に宿る想像力は、何ものにも代え難い。
 それらの存在は、誰にとっても貴いものであり、しかも、将来への余裕を一切脅かされることなしに、待ち望まれた〈共同〉へ向けてあらゆる潜在能力を発揮する権利を手にしている。
 彼らの恐るべき歴史を紐解くなかで、彼らを彼らとして認め、寄り添うことが必要なのだ。また、この国‐民が自身や私たちの時代に起因する困難に直面した時には、尊厳と創造性を持つ者なら誰もが有すべき責任の精神を、たとえ国家的な表現方法はとれないとしても、発揮できなくてはならない。
 私たちの民は、いかなる辺境にも置かれていない。むしろ、彼らはみな、十全たる立場を有している。つまり、世界に対する自身のヴィジョンの只中にすっくと立ち、このヴィジョンによって開かれる、未来へ向けた連帯、結束、活動のリゾームのなかにいるのである。であればこそ、「海外領土」、「本土」、「周辺領土・極限周辺領土」などという用語は、いまや私たちには受け入れ難い、不愉快な用語だ。
 現代の民主主義や健全な共和国は、差異と多様性がもたらす予見しがたい将来を尊重する相互扶助の世界のうちに組み込まれなくてはならない。
 偶然の出会いや自らを正すことの尊さについて、民主主義や共和国には責任を感じてほしい。
 民主主義も共和国も、自らのうちに抱え込んだ明らかな文化の横断性に見合ってくれなければ困る。そして、歴史の産物たる関係から生まれた富に対して、それに相応しいものになる気概を持ってほしい。どんな民主主義や共和国ももはや、慎みがあるなら自らを「ひとつの」だとか「不可分の」だなどとは呼べないはずである。
 国家的な表現方法をいまだ持たない国‐民たちは、彼らの存在が世界に示す可能性を制限するいかなる規定も良しとしないだろう。そういった象徴的、文化的、社会的、経済的、また法的なありとあらゆる規定は、意思決定を司る権力と国‐民との関係の平等に向けて作り直されなくてはならない。このように、世界の知を打ち立てるこれら多様なる存在の力をあわせて邦を創り出すべく、国‐民は喫緊の使命を負っている。
 以上の視座から、私たちはさらに、次のように宣言しよう。
 私たちが分かち持つ歴史の闇と光から生まれた連帯は、健全かつ確固とした力を持つよう変わらなくてはならない。
 決定権を握る政治権力との関係を定めるあらゆる仕組において、私たちの日常や将来を左右する選択、決定、実行にかんする私たちの直接的責任を認めてほしい。
 そこで、私たちは私たちの邦の人々に次のように呼びかけたい。
 家族、街、市町村、地域、そして民族・国家を超えたありとあらゆる空間において、私たちの責任の負い方をめぐる意見交換と議論の空間を創出しよう。私たちの日常生活において革新的な力や、揺るがぬ可能性や、希望に満ちた活動が生まれうるような、真の「政治の場」を考え出し、突き動かし、駆動させよう。
 最後に、次のように促したい。
女性、男性、偶発的に生じる彼ら彼女らのありとあらゆるあり方に、
見識ある、ありとあらゆる組織に、
創作家、詩人、ダンサー、歌手、語り部、そして音楽家のみんなに、
文筆や哲学に携わる者たちに、
保健衛生、科学、技術にかかわる人々に、
行政の責任者、大学人、政治家に、
良心ある人々、ヒューマニズムの担い手たちに、
〈美〉に熱意を燃やす者たちに、
生きとし生けるものたちの水平的な横溢のなかで、より良い人間であろうとする慎ましき友たちに……
 私たちの邦で、今まさに進展している責任の引き受けを支持してほしい。
 共に生きる私たちの惑星が、過小評価や、民の忘却や、尊厳の欠乏を、一片たりとも見過ごすことのないように。
 この惑星が、こうして人々の参加や知恵に恵まれ、ありとあらゆる人々の発意、革新、歓び、そして情熱へ向けた能力が花開くように。
署名:パトリック・シャモワゾー(訳:福島亮)
(フランス語圏文学)







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