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評者◆睡蓮みどり
監督からの挑戦状――ジョージ・ミラー監督『アラビアンナイト 三千年の願い』、リューベン・オストルンド監督『逆転のトライアングル』
No.3580 ・ 2023年02月25日




■《賠償金を払わないのは合法です。10年経つと払わなくて良いと民法に書いてありますよ。それが嫌なら法律改正すべきです》などと元2ちゃんねるの管理人がSNSに書いて一時話題になった。合法なら何をしてもいいというこの発想がどれほど危険なことか。「それが嫌なら」って……性犯罪でも刑法改正に向けて声が上がり続け、同性婚についてもこれだけ議論されていても、頑なに変わろうとしない人たちが力を持つ現状があるなかで、何が見えて何が聞こえているのだろう。他者を怒らせる目的がある人間に腹が立つというのは意味のないことのような気がするし、できれば触れずに済ませるべきだということはわかっていても許し難い。
 1月末に、千葉美裸さんの訃報が「週刊文春」の記事に出た。彼女は映画界の性暴力を実名で告発していたひとりでもある。私が、彼女が亡くなったということを知ったのは昨年12月中旬頃だった。彼女の近しい人から、彼女の身に起きていたことについて伺ったのだ。いまでも彼女の名前が、この一連の件とあまりに強く結びついて人々に記憶されてしまっていることに戸惑いを覚えつつも、多くの人の胸に彼女の存在が残って欲しいとも思う。そして心から安らかに眠って欲しいと願っている。千葉さんは俳優、シンガーソングライターとして活動していたが、引退後はリユースデザイナーとして活動していた。彼女発案のあるプロジェクトにもお声がけしてもらっていたのだが、残念ながら叶うことは永遠になくなってしまった。直接やりとりをしていて、真っ直ぐさと、強い正義感を持っているのを感じていた。
 一方で、いまも罰せられることなく活動している加害者たちに対する強い怒りを感じている。刑法の壁がたちはだかり、加害者を法で裁けないことが被害者への誹謗中傷にもつながる。彼女に対する酷い二次加害や誹謗中傷があった事実も記しておく。

 いつものようにおすすめ映画の話です。今回、本連載で紹介する2本は、どう捉えるかによって全く趣の違うものになる映画だ。まず、史上3人目となる2回目のカンヌ国際映画祭の最高賞、パルムドールを受賞したリューベン・オストルンド監督の『逆転のトライアングル』。『ザ・スクエア 思いやりの聖域』以来の受賞だ。いけすかないセレブたちを乗せた豪華客船には優雅なひとときが流れるが、やがて船は沈没しかけパニックムービーへと変わる。さらに生き残り、無人島に流れ着いた者たちによる、サバイバル競争が繰り広げられる。そう書いてしまうといかにも単純な物語に聞こえるかもしれないが、本作は実にニュアンス豊かな映画だ。もちろん、セレブたちの立場とトイレ清掃員の女性の立場が逆転する痛快な物語、あるいは白人と有色人の逆転として捉えることもできる。しかし本作の主人公ともいえるモデルのカール(ハリス・ディキンソン)の立ち位置を軸に物語を見てみると面白い。
 賃金が女性モデルの1/3だという過酷な男性モデルの世界にカールは生きている。おもちゃにされているかのように、ファストファッションの顔=スマイルと、高級ブランドの顔=シリアスな顔を素早く切り替えるようフォトグラファーに強要され、それに応えるシーンが冒頭にある。またカールは落ち目になりつつあるモデルで、恋人のヤヤは人気があるインフルエンサーのモデルでもある。ディナーの後、当然のように支払いは男性がするもの(しかし「私の方が稼いでいる」し、他の友達の前では気前がいいのだという)としてカールに支払わせ、しばし長めの口論が始まる。「俺の方が稼いでるのだから黙って言うことを聞けといばる」「家では何もしないくせに後輩の前では急に気前がよく金遣いが荒い」という態度は、いかにも家父長制的な世界観で、繰り返し見聞きしてきたものだ。カールはケチな男としてではなく、ヤヤにそういった男女の役割のなかだけで違和感なく生きてしまうことへの疑問を話そうとし、ヤヤに面倒臭そうな顔をされる。豪華客船でのクルーズが始まり、やがて本作の見せ場ともいえる地獄のディナータイムを経て、無事(!?)、カールとヤヤと富豪たちとクルーは無人島へたどり着く。無人島でのサバイバル競争において、トイレ清掃員のアビゲイル(ドリー・デ・レオン)がキャプテンとなる。彼女に従わなければ生きてはいけない(と、皆思い込んでいる)。一夜にして力を得たアビゲイルは、カールの若さと美しさを利己的な目的に利用するようになる。
 本作のなかで、美しさや主導権を持った女性たち、そしてお金を持った男性たちは権力側として、翻弄されていくことになる。男性優位社会のなかで女性を被害者や弱者として描けば反発されることも多いなかで、ある種の弱者的な立ち位置を「男性」に演じさせる。萩尾望都の「メッシュ」でも若く美しいメッシュはしばし、愛玩道具のように、男たちからも女たちからも性的な対象として扱われ、それに対しメッシュは不機嫌な鋭い眼差しをしている。カールにその鋭さはないものの、彼がそういう世界に疑問を持つと同時に柔軟でもあること(ゆえに生き延びていくこと)が本作の見どころだと私は感じている。カールだけがこの映画全編を通して少し浮いた存在なのである。本作をどう観るのか、監督からの挑戦状だと受け取った。ヤヤを演じたチャールビ・ディーンは昨年、病気のために32歳の若さで亡くなった。さらなる活躍をスクリーンで見たかっただけに残念でならない。

 『アラビアンナイト 三千年の願い』はティルダ・スウィントン演じる物語研究者のアリシアと、魔法のランプから飛び出した魔神との間に生まれるラブロマンス作品である。監督のジョージ・ミラーは『マッドマックス』シリーズの監督として有名であるが、子豚が大活躍する『ベイブ』の続編『ベイブ/都会へ行く』や、アニメーション作品の『ハッピー フィート』なども手がけてきた実に多彩な監督でもある。個人的には大人気シリーズ『マッドマックス』よりも本作に興奮した。
 会合先のイスタンブールでアリシアは美しい小瓶を買い求める。それを開けるとなんと巨大な魔神が現れる。3つの願い事を叶えることを達成すれば「ジンの楽園」で眠ることができるという魔神のジン(イドリス・エルバ)であるが、物語研究をするアリシアは、物語は万能ではなく、思いもよらない悲劇へと向かうことも知っている。それゆえに願い事をしようとせずに自ら物語を止めてしまおうとするのだが、ジンの過去の語りを聞くうちに、徐々にある願い=欲望が湧き上がってくる。ラブロマンスではありながら、二人のシーンよりもジンが語る三千年もの過去のシーンに多くの時間が割かれる。またラブロマンスにありがちな、過去に対する嫉妬の念に縛られるようなことは微塵もなく、むしろ過去を聞いたことによりジンに対しての信頼感を寄せていく。アリシアはうっとりとした表情でジンの過去の恋物語を聞いている。物語そのものへの畏怖、また物語というものに対する憧れの念が伺える。ジンが語る自分の願い事を叶えてきた女性たちの物語はとても魅力的で、美しく、そして悲しい。過去を物語ることはいつでも別れと、誰にも見つけられずに長い間瓶のなかにとどまっていた孤独とセットなのだ。
 ジンはアリシアの想像力によって生み出された架空の存在なのか、物語は徐々に不穏さを帯びていく。しかし、この物語のテーマは一人で生きることを選んだ女性の孤独だとは思わない。過去の女性たちへの圧倒的なエンパシー、そして愛し愛されるということが、あくまでも精神的な結びつきの話として描かれることに、本作への信頼を感じる。愛は所有ではなく、隣にいてその存在を慈しむこと、思わず微笑みがこぼれるような暖かいものだということをアリシアの表情は教えてくれる。イスタンブールからロンドンに戻ってからの彼女は眩しいくらいに光り輝いて見える。これも観客がどう観るか、試されているのだと思うが、私の解釈では妄想の世界に生きる孤独な中年女性の物語ではなく、愛について考える知性豊かな大人の女性の人生の楽しみ方なのだと思う。そしてこのラブロマンスはひとつの永遠の愛を想起させる。だからこの物語はきっと、ハッピーエンドなのだ。この幸せな結末に私はとても胸が熱くなった。(文筆家・俳優)







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