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評者◆稲賀繁美
「霊界・日本」との異婚譚は国際的相互理解にいかに貢献するか?(下)――小泉八雲ことラフカディオ・ハーンへの「共感」を英語圏に向けて発信する使命感 Sukehiro Hirakawa, Ghostly Japan as Seen by Lafcadio Hearn(本体一二〇〇〇円・勉誠出版)
No.3577 ・ 2023年02月04日
■(承前)本書はまず「民俗学者」、文化人類学者、ついで「文筆藝術家」としてのハーンを描き、そこから「日本解釈者」、最後に「神道解釈者」ハーンへと展開する。コロナ禍を奇貨として自宅書斎に蟄居のうえ、著者長年の海外での英語講演を徹底的に再編集し、全体通読にも耐える体裁に整えた大著といってよい。
不平等条約下で日本に帰化した文人・八雲は、アジア太平洋戦争期以来、英語圏の学界で酷評の対象となりながら、脱植民地主義の時代に世界文学の地図が塗り替えられるに伴い、思わぬ復権を果たした。本書著者は半世紀にわたりその渦中で自らも毀誉褒貶に晒されたが、その帰趨もまた、文献学的社会学といってよい手法により自己解剖に及んでいる。 各部の導入も簡明秀逸。とりわけ著者はクリスティナ・ロセッティの詩句の「風」を頼りに、ギリシアの を神霊に託すハーンの直観を解明する。この着眼には、戦中派比較文学者の遍歴に、海外での教場経験が相乗する。足立節子による巻末解説「禁忌を抱きしめて」は、『敗北を抱きしめて』に代表される主流の「左翼系」北米日本学者への違和感をも隠さぬ著者のhartnackigな姿を近傍から捉えて、余すところがない。 「神道」に対する憎悪や嘲笑が学術を動機づけ、蔑視が称賛され酷評が歓迎される時代や社会環境に、ハーン評価は久しく翻弄されてきた。それに異を唱え、detoxify the tabooを標榜する著者。その鋭い舌鋒や辛辣な皮肉、「日本人らしい」慎みとは無縁の、歯に物着せぬ直言、さらには時に悪戯の過ぎた毒舌、自在の揶揄や冗談が「国際的」物議を醸す折節もあった。「反体制」ならぬ「反大勢」を標榜して憚らぬ著者の「反=大勢順応」の信条=心情は、異端児ハーンに寄り添う参与理解を旨とし、「復讐」に代えるに「和解」を志向する。 ハーンが再話した「持田の浦」の水子供養の怪異譚は、漱石「夢十夜」第三夜に「転生」した。今や通説となったこの連鎖に、著者はハーンが東京大学で講じたスコットランドのバラッドを添わせる。「嬰児殺し」の記憶連鎖と罪障感の強迫は祖霊信仰の普遍的原型性を示唆する。異界婚や幽霊譚は死靈との交情を紡ぎ出す。だが霊界への回帰が狭量な国粋主義に変性し、東西の価値観に融和不可能な対立を招くなら、それはハーンが英語圏読者に伝えようとした「日本発見」を裏切る。「言霊の幸はふ国」への夢幻的陶酔とはハーンは無縁、と著者は見る。 672頁に及ぶ刺激に満ちたこの大著がこの先いかに受容されるか。そこに「世界文学」の将来を吟味するうえでの試金石を認めたい。本巻英語外文編は、十九巻に及ぶ著作集の掉尾を飾る。日本人による外国語著述は、国内の文藝批評界ではともすれば冷遇され、政治的配慮から黙殺すらされる。とかく打たれがちな「出る杭」、その「脱腸」の意義に敢えて拘泥した所以である。 (了) |
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