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評者◆稲賀繁美
「霊界・日本」との異婚譚は国際的相互理解にいかに貢献するか?(上) 小泉八雲ことラフカディオ・ハーンへの「共感」を英語圏に向けて発信する使命感――Sukehiro Hirakawa, Ghostly Japan as Seen by Lafcadio Hearn(本体一二〇〇〇円・勉誠出版)
No.3576 ・ 2023年01月28日




■冒頭から尾籠な話題で申し訳ないが、本書著者のカナダにおける盟友だったキンヤ・ツルタは「ヒラカワさんのHearnは、ありゃherniaだよ」と冗談を口にしたことがある。「尾籠な話」という表現を直接耳にしたのも、松江で開かれた国際八雲学会の席で偶々江藤淳に会った折。その前年、フィレンツェで開催のユネスコ主催Transcultura会議で、江藤が文学、評者が藝術を担当する予定だったところ、江藤が「尾籠な」話題にわたるほかない病ゆえに欠席したことの詫びだった。ちなみに評者は、出雲神道を奉ずる境港の出自、近所に水木しげるのご両親が住い、曽祖父はラフカディオ・ハーンの盟友だった西田千太郎に数年遅れで、同じ肺結核の治療のため松江病院に入院後、千太郎と同年齢で夭折している。私事にて恐縮だが、評者の祖霊や妖怪に関わる因縁話を枕に振って、本書書評の「尾籠」なる端緒とする。
 志賀直哉『暗夜行路』の「山場」といえば、伯耆大山に登攀した時任健作が、日の出とともに独立峰の山影が弓ヶ浜の方向へと伸びてゆく光景を目にする場面だろう。主人公と大自然との融和に世界との和解が託される情景だが、著者はここに志賀のハーン読書の痕跡と感化を推測する。
 「小説の神様」が白樺派の読書体験以前に英文科学生として接していた筈のハーンの英文著作には、『知られざる日本の面影』に収められた松江での夜明けの情景描写があり、『こころ』収録の「或る保守主義者」末尾には、ヨコハマへと向かう船上から仰ぎ見た富士山の威容が叙述されている。その両者が渾然一体となったところに志賀の「伯耆富士」体験が結実する――。
 付言するなら宍道湖の朝靄の情景にはshelvingという形容が「日本語の表現」として引かれる。それが「たたなづく」ならば「八重垣」の連語、「八雲立つ八雲八重垣」との連想から、ハーンの帰化名の由来となる。また「或る保守主義者」の富士の情景は、ハーンが自らの海上体験を、欧化主義者の祖国回帰と和解とを象徴する出来事へと置換したもの。いずれも本書の該当箇所に補われてしかるべき情報だったはずだ。
 ハーンの妻・節子との会話は「ヘルンさん言葉」として知られる。「へるん」は「遍留ん」、遍歴や流謫に通ずる。世界航路が開かれたこの時代、八雲の同世代にはロティ、スティヴンソン、ゴーガンほか、西欧文明からの脱出を計った西洋人が輩出する。著者の「ヘルニア」もその隔世遺伝あるいは最後の「脱腸」症状かも知れず、「ヒラカワさん言葉」も、同様のクレオール英語の精華と評すべく、理路鮮明で平易な表現にワサビや胡椒の効いた単語が差し挟まれる。
 現在の学界ではご法度の修辞や引用法にも構わぬ自在な話術、連想に身を委ねて仮説を「根拠なく」と明記しつつ開陳する「詩的放縦」poetic licenseもお手の物。注記には論拠のみならず、著者の私見がrefrainをなし、重複も厭わず輪廻する。
 巧みな種明かしに唸る一方、論証欠如の類推に憤慨する堅物読者もあろう。妙技の傍らに校正の見落としや書き損じもまま散見するが、そこからは却って現今の学術英語がいかに不自由な桎梏に縛られているかも判明する。幾多の卓見を盛る注など、欧米の編集者の手に掛かれば「脱線」として「検閲・削除」を免れまい。
 著者の通奏低音とも言える持論については、図星と喝采するか稚気と貶すか、読者の思想信条によって評価も分かれよう。評者にもまた個別に「意見」したい箇所は幾多とあるが、それには場所を改めるとして、今は控えよう。人は得てして他人の誤謬には容易に気づくが、己の落ち度は見落としがち、と自戒するに留めたい。
(つづく)







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