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評者◆志村有弘
中田重顕の北山一揆を描いた作品(「文宴」)、笠置英昭の秋月党の乱を記す作品(「宇佐文学」)など、歴史小説に力作・労作。――祖父江次郎の人の世の別れと寂寥を綴る秀作(「季刊作家」)
No.3576 ・ 2023年01月28日




■歴史小説から紹介したい。中田重顕の力作「北山啾々――私説北山一揆物語」(文宴第138号)は、北山(奥熊野)農民一揆の顛末を綴る。過酷な税に農民たちは不満を募らせた。北山郷平谷村の庄屋・福本三介は、五鬼津久から入鹿西山荘の人たちの大将になって欲しいと要請され、次第に一揆の徒の中に入りこんでゆく。遂には討伐されるのだが、代官たちに毅然とした姿を示す三介の妻、果敢な行動を示す筏師光太郎の言動も生彩を放つ。
 笠置英昭の労作「士族の憂国」(宇佐文学第71号)は、秋月を舞台に反新政府思想で決起した人たちの姿を描く。結局、挙兵派の今村百八郎は斬首、主人公の宮崎車之助ら七士は切腹。秋月党の最期を前に「第二の維新といえば聞こえはいいが、犠牲者だけを出して終わってしまった」という車之助の思いが、悲しく響く。
 井池みのるの『友人信長』(長良文学第32号)は、幼友達の吉法師(織田信長)と北斗丸(宏斎)を主役に信長が武、宏斎が雅びの世界に生きる姿を記す。宏斎は足利将軍のそばで信長との橋渡し役をしていたが、武術が出来ないため危機を感じ、信長のそばを離れる。作品は宏斎が妻と共に安土の城を見に行くところで終わるのだが、作中に示される宏斎・信長の会話の場も面白い。
 堺谷光孝の労作「「やまとうた」の夜明け――大伴家持の祈り」(文芸復興第45号)は、家持を主役に古代の政争、人々の出世願望の様子を記し、家持念願の『万葉集』の夢が「復活」するまでを綴る。
 現代小説では、祖父江次郎の「枯野」(季刊作家第100号)が秀作。南条武雄は妻の一周忌が済んでまもなく、家の前で鳴いていた猫を飼い、妻の名前の淳子と六月のJUNEから「ジュン」と名付けた。そうして偶然、中学時代に親しかった小堺三次と再会する。小堺の父は市会議員で毛織物会社を経営しており、裕福であったが、家業は三十年前に廃業し、小堺自身は「どん底」生活で、一度結婚したものの、半年くらいで離婚していた。ともあれ、武雄は小堺といるとき、寂しさに襲われなくなった。しかし、ジュンがアライグマに殺され、小堺がK川の河川敷で車の中から死体(自殺らしい)で発見されるという事態に遭遇する。再び武雄に訪れる孤独・寂寥。作品の末尾部分に「武雄の脳裡にK川の河川敷に広がる枯れた芒の群生が浮かんだ」と記される。まさに〈枯野〉である。「生きることは辛さを重ねてゆくことだ」という心に重く響く文章も見える。作品展開の見事さ、優れた筆力は圧巻。
 随筆では、右記「季刊作家」同号掲載の西村啓の「……と……と。(十七)」が興味深かった。誤えん性肺炎を防ぐには一日5回、口を大きく十秒間開けたらよい、また、コンビニで奥の商品から取ると手前の商品が売れ残るので「手前から取りましょう」という「てまえどり」の表示が出されたのは二〇二一年六月からという文章も見える。冒頭で、西村は「言葉ほど豊かで奥深く不思議で難しく、そしておもしろく興のわくものはない」と書いており、この文章も心に残った。
 詩では、金子秀俊の「我が子羽ぐくめ 天の鶴群」(九州文學第580号)が、遣唐使として出立する一人息子に、母親が「ま幸くありこそ」と詠んだ歌(『萬葉集』)を踏まえた作品。金子は作品の末尾を「この一人子が 無事に帰国したかどうかは知る由もない」と、悲しく結ぶ。また、大掛史子の連作「伊勢物語逍遥(その二十四)」の「塩竈」(詩霊第17号)は、源融の歌を踏まえて詠歌した業平の心情を詩にしている。金子も大掛も古典を踏まえて、新たな作品を作り上げている。本歌取りという和歌の技法もあるが、近代小説では、芥川龍之介が説話文学に取材して名作を残し、室生犀星も『大和物語』等を踏まえて独自の文学を作り上げていた。こうした手法は、日本文学の一つの伝統であろう。関口隆雄の「戦争で死ななかったお父さん」(詩誌「ここから」第15号)は多くの人に読ませたい作品。息子が父に「戦争で人を殺したことがあるの?」と聞いた。そのとき、七十歳を過ぎた父は答えなかったけれど、「激しく動揺していた」。息子は父を傷つけたかと思い、二度と聞くことはなかったけれど、父の死後、箱の中から「自分史」の原稿が出てきて、一九四四年十二月三十一日の項に、T一等兵と共に第七方面軍指令部の前で、衛兵から「おまえらどこの敗残兵だ」・「よく生きているな」と言われたことや父は当時の体重が「三十キロ」で、「骨が靴をはいていた」と記していた。後に八十九歳の父が「戦争で誰も殺さなかった」と「つぶやいた」顔は「穏やかで晴れ晴れとしていた」という。父は一年余りのちに他界したのだが、息子が父に「戦争で人を殺したか」と尋ねたときも、父が「誰も殺さなかった」とつぶやいたときも「お茶を飲んでいたとき」という設定が優しい旋律を奏でる。神原良の「救済」(プリズム第2次第6号)の中の「彼」は「救済」を信じず、「遠くまで飛翔する雁を見るのが/その涯てに 凋落する秋を見るのが/唯一の」「希望」で、その「希望」だけを信じて「自死」したという「彼」の姿を優しいまなざしで綴る。
 短歌では、中西洋子の「戦術核、戦略核の違ひなど知りて何せむ。戦ひ止まず」(相聞第78号)に、平和を願う作者の悲憤の情がひしひしと。
 俳句では、今宿節也の「山眠る」と題し、「昔鬼死骸なる地に住めり三句」の詞書を付け、古い歴史と規模雄大な印象を受ける「蝦夷らは遠つ祖にぞ山眠る」(コールサック第112号)の句。「山」といえば、中園倫の「うつし世の艶をまとふて山粧ふ」(九州文學第580号)という〈儚と艶〉を詠み込む中園一流の句。
 「小説家」が150号で終刊となった。優れた書き手が揃っていただけに残念な気がする。「風の道」第18号が青木邦夫(牧之島純)、「黄色い潜水艦」第75号が広岡一、「こみゅにてぃ」第115号が魚住陽子、「季刊イリプスⅢrd」第1号(通巻第57号)が岸田裕史、「大衆文芸」第78巻第1号が伊東昌輝、「潮流詩派」第271号が森崎和江、「別冊關學文藝」第65号が黒田宏・名村峻・松本道弘・和田浩明の追悼号(含訃報・追慕号)。ご冥福をお祈りしたい。(敬称略)
 (相模女子大学名誉教授)







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