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評者◆凪一木
その174 決戦は仏滅の火曜日
No.3575 ・ 2023年01月21日




■昔からデモに参加しないかと言われる。そりゃあ、ホリエモンやその他の批判者のように、「デモに意味はない」「現実を動かす方法としては未熟だ」などとは思わない。だが、あの「型に嵌まる」感覚が嫌だ。参加する人たちを尊敬のまなざしで見たりはしない。それでも、立派とは言わずとも感心する。
 かつてオウム真理教をはじめとする新しい宗教やブームが起きたとき、そこに参加する高揚に酔う「美しくない徒党感」が漂うとき、一部だけに有利な、そしてそこに殉ずる選民意識の醸し出す、「参加しないお前たち」をついつい糾弾したくなる暴力性を「一部の人間」について、敏感に感じることも確かなのだ。全体としては、やはり感心する。甲子園を目指す高校球児を見るがごとくに。
 デモに行く。その日に「行った」「参加した」ことが歴史の証言者となることもある。
 雨の後楽園球場グランドファンク。一九九〇年の有馬記念オグリキャップ、そのとき中山競馬場にいたか。或いは、ドーハまでいかなくとも生でその映像を見ていたか。いろいろある。松田優作が死ぬ前に『ブラック・レイン』を劇場で観たか。金子正次の『竜二』は。
 そう言ってしまうと、舞台は初日と中日と楽日とを見なければいけないとか、外タレの来日コンサートを主要都市全部ストーカーツアーするとか、歌舞伎で、何代目の誰が良かったのは、あの何日目だ、あれを見ていないようでは彼の演技について語れない、と。
 それではしかし、デモ参加がそれ以外のこと以上に貴重なことになってしまう。だがそうとは限らない。図書館に籠って、ひたすら外に出ずに過ごす心のデモ(路上外からの迎撃)の希少さでもよいわけだ。
 デモには結構の数、参加している。或るデモでは、終わったあとの居酒屋会費は三〇〇〇円程度と言われる。白けた。公園で酒を買ってきてやるのかと思っていたから。
 敷居が高い。生前、脚本家の神波史男が、真っ先に心配するのはいつもお金であった。どうやって食っているか。映画を観る金はどうしているのか。飲み会に参加する金はあるのか。『小僧の神様』に出てくる鮨屋の話のようだが、そういう粋な男だった。
 金はない。だから体は売るさ。だけど心は売るな。趣味としてゴルフをするかしないかの話題が会社内で登場するのは、給料の多い会社である。もっと別の世界では、クルーザーや馬の話をしているだろう。デモに行くか行かないかの話題が出る会社もまた、単に「意識が高い」人たちが多いというよりは、それなりに余裕がある会社だ。ゴダールの死について一端の言葉を語れる人間たち。
 私は行く時間が惜しいと言っているのではない。どこか行きたくないのだ。三日に一回は国会議事堂の前を通っている。かつてはそのたびに、六本木方面から六本木通り最初の曲がり角で、職務質問を受ける。何度も答えているうちに、その角の機動隊員とは顔馴染みだ。顔パスだ。その先にいる隊員たちからは何も質問されない。夕方になると、デモの人たちが集まってくる。ひたすら、外に目を向けることもなく図書館に籠って、いる、いる、いる。身近すぎる。だけど行かない。
 何もしない。もし行ってしまったら、私なんぞは、来なかった人を責めたくもなるだろう。デモに行かなかったことが、「しなかったこと」が考え続ける動機となる。「実は特攻隊ではなかった」と判明した鶴田浩二こそが、しかし「最も特攻隊について考え続けた俳優だった」という逆説のような真実に近い言い方だが、「行ってしまったら終わりだ」と思っている。
 かつてボランティアに参加して、その日で行くのを止めたことがある。相手の障害者という存在に怖気づいたからではない。いや、怖気づいたことも確かだが、それに対するチームリーダーのような男の粗雑さにうんざりしたからだ。その男が「障害者というレッテルを気にするな」と言っていた。レッテルを張っているのはお前のほうじゃないか、と思った。むしろ「気にする」「恐れる」「びくびくする」「構える」ことの方が自然ではないか。すんなりと出来る奴の方がおかしいことのように思えた。
 チームリーダーから、こう言われる。
 「普通に接すればええんよ。自分らとは違うゆう特別な目エで見るから何もできへんのよ」「そんなことできるんですかね」「慣れれば平気や。障がい者を見たことがないから固まってしまうだけや」「そうなんですかね」「実際、障がいのある人って、街に出てもようけおるよ。いつも無視しとるから見えとらんのよ」「まあ、そうかもしれないけど」「いや、慣れるちゃ。偏見を取っ払いいいや~」「見たことはあるんですけどね」「せやったら、接したらええんよ。特別な目で見るからあかんのよ」「父親が障がい者で、私が生まれたときから、その父を見ているので、慣れているというか日常というか、そういう点ではそうなんですけどね」「へ~そうなんや」「たぶん子供の頃は、ジロジロ見られて、一緒にいるのが嫌だな、と思ったことはあるんだろうけど、そのうちに忘れてしまった」「そうなん?」「びっこ引いていたんだけど、うちに勤めていた一人だけの従業員ももっとひどいびっこで、その人の方が、痛そうで辛そうでした。自分はその人にも懐いていたから、平気といえば平気なんですけど」「……」
 そのうち、そいつは、機嫌が悪くなり、無言で睨み始めたので、話を止めたけど、いったい何なんだと思うよ。
 父は障害者だった。私はこの父を好きだった。父の弱さこそが好きだった。父は障害者手帳を持っていたが、その手帳を使うことは生涯なかった。強がっていたわけではなく、ただ単に、カッコ悪いから、というのが理由だった。しかし見た目にすぐに分かる障害なのに、隠しても隠せるわけでもないのに、なぜなのか。金額的なことやその他の福祉の対象として得をするのに「それ」は使わなかった。「それ」とは手帳のことではなく、方法であり手段だ。卑怯な場合もあるし、正当な場合もある。
 好きになるには時間が掛かる。家族でさえそうなのだから、もっと時間をくれよと思う。デモも、鋳型が決まっていて、行く居酒屋も決まっていて、民主的に選挙しているわけでもなく、会社の上司の親が亡くなって「香典を一律いくらで集める」というような場合に、その上司とのつきあいの質量によって差があるのではないか。もっと言えば、人間の質によって差があるのではないか。
 「連帯を求めて孤立を恐れず」というが、孤立を恐れての連帯にしかなっていない場合もある。宝くじも買わないが、私は今のところデモはしない。
 だが、二七日は行くのである。
(建築物管理)







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