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評者◆凪一木
その172 認知症の男
No.3573 ・ 2023年01月01日




■会社の同僚に認知症気味の男グレイがいることは前に書いた。
 平均年齢が六〇歳を超え五〇歳代では若手と呼ばれる、このビル管理世界ではよくあることだ。常に知ったかぶりをして、失敗やミスをすると、そのたびにトボケる。
 「Aで良かったんですよね」と訊いてくるから、「Bだよ。前にも言ったはずだけど」「やっぱりそうですよね。Bで良かったんですよね」「Aでやったんじゃないの」「(聞こえないふりして)やっぱりBだ。そうだ、そうだ。あー良かった」と言いながらBに直す(お前、Aでやってるじゃないか)。
 グレイはいつもこの調子で誤魔化し、また煙に巻く。不愉快極まりないが、明日は我が身と我慢してきた。ところが、今日の我が身かもしれない事態が私に起きた。
 自分の記憶を疑うべきか、機械やシステムの不備を疑うべきか。なんと病院で、前回分(きっかり三週間前)が未払いだと請求を受けたのだ。機械に記録がない、と。私には記憶があり、どの機械を使用したかも、そのときの「こんな小さな金額でも勿体ないなあ」と思った記憶も鮮明で濃い。
 「監視カメラの映像は無いのか。ハッキリ記憶にも残っている。そのときの様子も、電光掲示板の番号がヤケに早く表示されたなあと感じた記憶もあります」
 さらに、そのとき貰った領収書を、自宅の目立つ場所にしばらく置いていて、(昔みたいなトラブルももうないし)要らないだろうと、先週その紙を破って捨てた記憶さえある。だが病院は、前回(五年前)同様に、「記録がない」の一点張りだ。
 「無理を通せば道理が引っ込む」とか、「ウソも百遍つけば本当になる」という言葉がある。ウソを吐かれる方も、無理を通される方も、バカらしくなってきて、時間の無駄に飽き飽きしてきて、諦めてしまう。「諦めなければ最後は勝つ」とか「継続することが最低条件だ」「やり続けなければ道は開けない」などというお題目は、人生訓として有効だが、それよりも、霊感商法の営業や、詐欺行為のモチベーションにこそ力を発揮するのではないか。
 「止まない雨はない」「明けぬ夜はない」というのも、「雨が止むまで躍り続ける」から、「彼らが踊ると雨が止む」ことになるし、「雀鬼」桜井章一は寝ずに勝つまで打ち続けるから「無敗の男」となる。何のことはない。取調室でも、吐くまで調べ続ければ、冤罪成立だ。
 どんな博打でも倍々ゲームで相手が降参するまでやれば、借金しようが最後には勝つ。勝ったときが「止めどき」だ。スポーツであれ、ビジネスであれ、受験、賞レースその他の競争でも、この絡繰りを考えてしまうと世の中バカらしくなる。努力とか勤勉というが、本当は、力技で屈服させているだけではないか。早い話が不正でもまかり通る。
 この文章を読む人にとっても、私の主張は詭弁のようで、信用されないかもしれない。お前(凪)こそが認知症ではないかと思うだろう。どうにも自信がなくなってきた。以下は、五年前の日記だ。
 ……たった今、病院から帰ってきたところだ。交通事故に遭った回数も起こした方もかなり多いし、病気も大きなものをいくつか経験しているし、自宅や会社の火事、その他の災害もまたそこそこ痛い目に遭っているので、滅多なことでは驚かないし、冷静でもいられる方だと思う。確かにいくつか奇妙なことはあった。記憶違いであったり、経験値を超えることが。
 実は今日の帰りに、病院の会計から、こう言われた。「前回の分、今日の分に加算しておきますね」「どういうことですか?」「未払いでしたので」「普通に払ってます」「コンピュータ上では未入金となっています」「それなら、何で連絡くれないのですか? 払わないで帰ることなど有り得ませんし、過去五〇年以上生きて来て、一度もないですから。それに一〇〇%払っています」「一〇月三一日分未払いなので翌日の一一月一日に電話したら不在でしたので、こちらとしては連絡しています」「携帯電話に履歴はありません」「自宅に掛けました」「留守電の記録もありません」「留守電には吹き込んでいないと思います」。その押し問答のなかで、こういうことを言われた。
 「並んでいる前のお支払いの方の分を払われたのではないですか?」
 そんなことを突然言われても、とにかく記憶としては、払い終わった後で、金額が安いなと思って、領収書を捨てた記憶だけはあるのだ。
 「どういうことですか?」「以前にそういう事例があったわけで…」「その場合、どうなるんですか?」「領収書を持ってきていただければ証明になります」「いつも捨てています。前回も捨てた記憶ははっきりしています」「それでは何とも、こちらとしては払っていただくしかありません」「私のミスということになるんですか?」「領収書がなければ(捨てているのであるはずもないし、実際にない)次回にまた請求させていただきます」
 以上のような顛末である。この時代に、機械で精算して、確かに人間を介していないから、証拠だとか、記録だとかを盾に取られると、そっちの方が正確であるように見える。改ざんしたなら、そちらこそが最も有利な情報となる。情報弱者という者がいる、私のように、煩わしい領収書などはすぐに捨てるような不用心な者もそこに含まれはするだろう。だけど、目や耳の不自由な老人や、理解できない程度の認知症、障害者、そういった人間を相手に詐欺や詐欺まがい、パワハラ、自分の失敗の転嫁などは十分に起こりうることであろう。いつからか、このスピードについて行くのがずっと嫌で嫌でしょうがない。
 法やルールというが、奴隷制を強いるために、守る必要がほとんどない側の自由に作った都合のいい仕組みであることが多い。お金を払ったり、払われたり、価値が移動するに過ぎないのだけれど、その調節というか、匙加減というか、ますますもって、労働と結びつけて考えるに、理不尽で不公平な世の中だと感じる。たとえ、奴隷制を強いる側にいてさえ、不幸や不愉快になる仕組みが多すぎる。
 今カスッた車に腹を立てて、次の車にひかれる、と書いていたのはロッキングオンの岩谷宏だが、この時代はもう、ビュンビュンと猛スピードの車が次々にカスっていく。自分もそのスピードに乗って、誰かにカスってもいると思うと、本当に冷静でいられるものであろうか。少々の立派な人間が現れても、それを覆い尽くす大量の破壊的な人間で地球は成立している。払う気はない。
 ……以上は五年前の文章だ。だが払わされた。まるで成長がない。
 そして今回の場合は、認知症の疑いまでが向い風として立ちはだかる。
(建築物管理)







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