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評者◆稲賀繁美
近代日本の中国学、その光と影――東北大学大学院国際文化研究科主催の国際シンポジウム
No.3573 ・ 2023年01月01日




■「支那」の名称が蔑称として忌避され、日本政府が使用規制に及んだのは、占領下の1946年。背景には連合国を構成していた中華民国政府からの通告があった。今で言う忖度だが、戦勝国側の主張に敗戦国が唯々諾々と従ったのは、時世の致すところ。被害者からの糾弾は問答無用の正義となる。反証を挙げ、事実誤認を訴える声も行政の前では無力だった。およそ近代日本の中国認識から抹消できない躓きの石だろう。
 「支那学」を「シナ学Sinology」と「中立化」したのは津田左右吉。日本における「中国学」は本場の中国に「かぶれる」までの本尊崇拝のあまり、「本邦」の漢学に付き物の「和臭」を嫌ったが、「日本近代文学」はこれとは反対に漢文執筆の著作を、つい近年まで「日本文学史」からは組織的に放逐してきた。漢文訓読は、体言と用言との区別が不分明な中文原文をいかに文法的に解剖したかの読解の記録として捨て難い価値を持つ。だがその「鵺」的な中間生産物は、権威をなす学者たちから忌避されもした。――件の権威筋ご自身が密かに和刻本に頼っていたにも拘わらず。
 こうした偏僻な純血主義や拝顔志向は、シナ学に限らず、東アジアの辺境・列島文化圏の文化移入の特徴をなす。だが日本列島の文化史は「近代」においていち早く制度的「西欧化」を表面的に達成したかのごとくに振る舞った。中国からも有力な革命家や知的亡命
者が日本に滞在し、「近代」に目覚めた。近代シナ学はこの屈曲を含蓄するが、その学史的省察は、大日本帝国時代以降、当事者世代の存命中には、容易に手をつけることが叶わなかった。
 美術の範疇では、京都における晩年の富岡鐵斎もその渦中にある。この最後の南画家は、年齢としては印象派の父・マネより4歳年下、脱印象派を称されるセザンヌよりは3歳年上の同世代。ドイツの学究C.グラーザーが訪問するが、通訳は木下杢太郎。医学博士の太田正雄だが、彼は奉天時代の最後に木村荘八と雲崗石窟を調査し、東北帝国大学では美術史家の児島喜久雄らとも同僚となる。グラーザーが鐵斎に接近した裏には、東洋の墨絵とマネやセザンヌとの比較が念頭にあった。表現主義と南画の流行とが大正時代の「支那趣味」とも連動する。
 辛亥革命に続く時期、京都には羅振玉や王国維が滞在し、上海では呉昌碩と長尾雨山らが親交をもつ。ここに犬養木堂や内藤湖南らが交わる。南画家・橋本関雪は鉄斎と呉昌碩の優劣を論じ、石濤再評価に先鞭をつけた青木正児や富岡謙蔵らを言外に揶揄してみせる。
 東京に目を移すと『國華』編集主幹の瀧精一がパリの国際美術史学会で中国絵画論を弁ずる一方、岩波書店の『思想』には和辻哲郎や児島喜久雄、矢代幸雄などが集まる。その背後には中国美術をも収集した原三溪がおり、その庇護を得た小林古径や前田青邨はロンドンで女史箴図を複写し、福井利吉郎の居る東北帝国大学に所蔵される。さらに在野の学究・金原省吾は帝国美術大学で「東洋美学」を唱え、彼に師事した留学生には傅抱石が知られる。傅は高島北海の地学知識に立脚した東洋画論に触発され、中華人民共和国成立後の社会主義写実主義へと接続する。――これら、わずか数例に過ぎないが、日中学術交流の一斑をなす。
 時代を遡れば、田岡嶺雲は、上海で王国維ら相手に教鞭を取った中国通の先駆のひとりだが、神智学にも関心を示し、東西世界の知的交流、汎アジア主義にも先鞭をつける。鐵斎研究者の小高根太郎は第二次大戦中、大アジア主義にも関与する。大川周明のイスラームへの関心とこの時期の竹内好や若き日の井筒俊彦らの動向も、広義の「支那学」の展開と無縁ではない。
 『ジャンケン文明論』で日中韓の三つ巴の相互依存関係を提唱した李御寧も論じたようにIntelligenceは諜報にして叡智。そこに「中国学」の「光と影」の振幅も定位される。

*表題の主旨で開催された会合の討論者として、簡略な報告を残しておきたい。基調は山室信一、発表は池澤一郎、李建華、戦暁梅、塚本麿充の各氏。討論者は苅部直氏と筆者、発題者各位のご発言に逐一言及できない非礼をお詫びし、本稿公表につきご配慮頂いた主催者の朱琳・准教授にも謝意を表する。







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