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評者◆関大聡
書くことに身を賭す――アニー・エルノー、文学によるアンガジュマン
No.3572 ・ 2022年12月24日




■「ヴィクトル・ユゴーやペギーのような課題指定された作家に取り組むこと、たぶん。うんざり。そこに私が置かれた状況に関係するものは何もない。一行たりとも、私がいま感じていることを説明してくれない。このうす汚れた時間を過ごす助けにもならない。」(『空の洋服ダンス』)
 文学部の学生ドゥニズ・ルジュールがぶつけるこの苛立ちは、特定の作家だけでなく、文学の全体にまで向かいうる。彼女が言う「うす汚れた時間」――中絶の必要――を、文学が無視してきたわけではない。だが、あくまで男性の視点から書かれてきた「それ」が、女性の目、女性の身体から記述されることは無いに等しかった。ましてフランスで人工妊娠中絶が合法化されたのは小説発表の翌一九七五年のことで、当時それを語るのは法的リスクさえ存在していた。そして法制化以降も、中絶を語ることへのタブー視が消えたわけではない。だが作者は二〇〇〇年、『事件』という著作を発表し、同じ中絶の経験を、今度はフィクションとしてでなく、作者である「私」の経験として語る。彼女の名前はアニー・エルノー。
 エルノーは一九四〇年、フランス北部ノルマンディー地方のリルボンヌに生まれ、五歳のときに小村イヴトに転居してから、十八歳になるまで同地で過ごす。ノルマンディー地方はフローベールやモーパッサンといったリアリズムの作家が生まれ育った地で、彼女もフローベールには「同郷の仲間意識」を感じると言う。余談だがフローベールの『紋切型辞典』には「イヴトを見てから死ね!」という名句が読める。もちろん皮肉で、彼はこの鄙びた小村を嫌悪していたのだが……。
 一九七四年のデビュー作『空の洋服ダンス』を含む初期作品は「小説」に分類されたが、ルノドー賞を受賞した『場所』(一九八三)で転機が訪れる。そこで彼女は、農村・労働者階級の出身で、カフェと食料品店の店主を務めた父親の人生を書くのに「小説」仕立ては相応しくないと明言する。「詩情をかもし出す回想も、愉快な嘲弄もいっさいなし。私はごく自然に、なんの変てつもない文体、かつて両親に近況をかいつまんで知らせるときに用いていたのと同じ文体で書く」(堀茂樹訳)。ここで「なんの変てつもない文体」と訳された「プラット(平板)な文体」は、彼女の文章を説明するのにもっとも引き合いに出されるものだ。
 以降、母親の人生を描いた『ある女』(一九八八)、恋に落ちた女性の心境を明哲に描いてベストセラーになった『シンプルな情熱』(一九九二)、上述の『事件』など、彼女の著作は語りの「私」と作者自身(アニー・エルノー)の同一性を引き受けた自伝的作品になる。他方で、彼女の文体の特徴として指摘されるのは、その「私」が特定の性別、特定の時代を生きる「私」でありながら、同時に誰にでも当てはまる普遍性の探求になっている点だ。「超人称的な「私」へ向けて」という小文で、彼女は次のように記す。「わたしが用いる私は、非人称的で、ほとんど性別もなく、ときに〈自己〉というより〈他者〉の言葉のようにさえ思える。つまり、超人称的な形式だ」(横田悠矢訳)。この方向で彼女の文学的企ての到達点を示す作品となった『歳月』(二〇〇八)では、「彼女」、「私たち」、「人」という複数の人称を代わる代わる駆使しながら、一九四〇年から二〇〇〇年代に至る自身の経験と世代の経験を交差的に記述してみせた。
 「時代の作品」(ドミニク・ヴィアール)と評される彼女の作品が、二〇二二年のノーベル文学賞を授与されたのも、やはり時代の動向と無関係でない。人工妊娠中絶の権利をめぐる議論がアメリカを発端に再燃し、フランスの国民議会では中絶の権利を憲法に明記する憲法改正法案が可決されたばかりだ。『事件』は去年オドレイ・ディワン監督により映画化され、日本でも『あのこと』として今年十二月から公開された。そして作家自身、中絶法採択に向けて世論が割れていた一九七〇年代前半、『空の洋服ダンス』を執筆するかたわら、「女性のための選択」という団体に所属し、ひとりのフェミニストとして活動していたことを明記しておこう。「私は書くことへのアンガジュマンと世界へのアンガジュマンを区別しません」と彼女は対談で述べている。

 アンガジュマン。(社会や政治への)「参加」を意味するこの語は、フランス文学においてサルトル以来特別な意味合いをもってきた。ボーヴォワールによれば、この言葉が文学において意味するのは、「書く行為(エクリチュール)への作家の全面的な現前」である。つまり、政治的・イデオロギー的な事柄を書くことすなわちアンガジュマンなのではなく、何を書くにせよ、書くという営み自体が政治的な事柄なのだと意識し、責任を負うこと、表現に対する全人格の投入こそがアンガジュマンの第一義ということになる。この意味で、エルノーは極めてアンガジェした作家だ。彼女自身、「文学と政治」(一九八九)という小文のなかで「文学史に関して非政治主義は存在しない」と断言する。
 「エクリチュールの実践と世界の不平等のあいだの結びつきを、私はたえず感じてきた。私は、政治活動と違った仕方ではあるが同じように、文学は社会を変えることに貢献できると信じている」。
 あるいは、『ナイフとしてのエクリチュール』(二〇〇三)では、「書くとは私にとって政治活動そのものです。つまり、それは世界の開示または変化、あるいは逆に、既存の社会秩序や道徳秩序の強化に貢献しうるものです」とも述べる。書くという行為の政治性に対する意識に貫かれていない彼女のテクストは存在しないとすら言える。
 実際、文学とはそれ自体が、何を語り何を語らないか、何を記憶し何を記憶しないかを選別する政治的な制度である。中絶をめぐる冒頭の引用に見られるように、文学はある種の主題を「非文学的」「文学以下」として抑圧する。性やジェンダーだけでなく社会的・階級的にも、庶民や労働者の暮らしは忌避されるか、描いても過度に悲惨を強調するか逆に悲惨のなかの美を強調するかで、彼らの暮らしを多かれ少なかれ裏切る結果に陥る。エルノーが父母を語るとき、「私は、郷愁、哀感、嘲弄等のいずれにおいても、読者とこっそり示し合わせるようなことは拒否する」(『場所』)と言い、「私はある意味で、文学以下のレベルにとどまっていたいと思う」(『ある女』いずれも堀訳)と言うのは、そうした文学の政治性への挑戦である。
 『戸外の日記』(一九九三)のような著作が日常生活のさまざまな場面――電車や大型スーパーマーケットでの日々――を描くことも、日常の細かな挙措に適切な言葉を探る実験になる。比較的最近の著作『ほら、あの光を見て』(二〇一四)を参照しよう。大型スーパーというやはり「非文学的」な主題を扱う、エッセイとも日記とも分類しがたい本書で、彼女は自分が見かけた女性のことを「黒人女性」、「アフリカ系女性」、それともシンプルに「女性」と呼ぶべきか自問する。もし「女性」とだけ書けば、白人の読者はバイアスから白人女性と見なし、現実の黒人女性の可視性を奪うことになるかもしれない。「それは私がしたいこと、エクリチュールによるアンガジュマンとは真逆のことだ。私にとってエクリチュールによるアンガジュマンとは、この日記のなかで人びとに、彼らが大型スーパーの日々で占めているのと同じ存在感、同じ場所を与えることだ。それは民族の多様性に賛同するマニフェストを書くのとは違う。私がしたいのは、私と同じ空間を行き来する人たちに、彼らにふさわしい存在と可視性を与えることだ。だから私は自分が適切だと思ったときには「黒人女性」、「アジア人男性」、「アラブ人の若者」と書くだろう。」

 こうした日常を書く実践を、「アンガジュマン」という前時代的で大仰な言葉で説明するのは適切だろうか。現代文学や社会学、フェミニズムの研究者たちはエルノー作品の重要な側面としての政治性に注目し、『アニー・エルノー‥アンガジェして世界を語る』(二〇一二)や『アニー・エルノー‥エクリチュールのアンガジュマン』(二〇一五)というシンポジウムを開催、書籍化している。だが彼らも「アンガジュマン」という語の意味合いをずらすか、時には別の語を提案する。たとえば研究者のブリュノ・ブランクマンによれば、ゾラやサルトルの名に結びつく文学のアンガジュマンは、現実遊離した作家がある種の貴族的義務のように社会に積極的に参加し、名声を利用してなんらかの大義(社会主義など)のためにメッセージを伝えるもので、今日の作家の社会や政治への関わり方とは縁遠いという。
 現代の作家は、郊外や大型スーパーの生活、移民や証言の問いなど、もっと身近で彼ら自身が巻き込まれている問いに、自分がその構造に加担し片棒を担いでいることを自覚しながら、テクストのなかで自分がとるべき態度、それを描くべき仕方を自問する。ブランクマンはこれを「アンガジュマン」という代わりに「アンプリカシオン」という語で説明する。なかば受け身で「巻き込まれた」というニュアンスをもつこの語を、「参加の文学」に対比して「関係の文学」と呼んでよいかもしれない。
 この議論は、差別化を図るためアンガジュマンの観念を単純化していると私は思うが、もちろん作家と社会の関わりが「参加の文学」などと言われていた時代から不変であるとも思わない。以前時評でもとりあげたが、八〇年代以降のフランス文学による言葉の「他動詞性」の再発見――もちろんエルノーはその主要なアクターだ――は、単なる「主体への回帰」を意味するものではなく、「文学の再政治化」(アレクサンドル・ジェファン)も既存の表象モデルへの批判的な問い直しを含んでいた。なかでも、社会科学の知見の取り込みはその特徴のひとつで、この点でブルデューからの影響を公言するエルノーは、(これも以前時評でとりあげた)ディディエ・エリボンやエドゥアール・ルイと盟友的な関係にある。
 それでも私はアンガジュマンという言葉を使うし、使い続けるだろうと思う。それにエリボンやルイにとってと同様、エルノーにとっても、ブルデューに並び、サルトルとボーヴォワールが大きな影響の源になっていて、それが彼女に「アンガジュマン」という語を使わせる理由になっているのだと思われる。「私とボーヴォワールを結ぶ糸」(二〇〇一)というエッセイで彼女は、高校生のときに『第二の性』を読んだショックを証言する。とはいえ、ボーヴォワールからの影響はアンガジェした作家としての生き方を通してであって、文体や語り口に関してではないとの留保も含むのだが。
 同じ留保は別の場面でも現れる。最初に少し触れたフローベールの話に戻ろう。彼の同時代にはジョルジュ・サンドがいた。ロマン主義的な作風でデビューし、後に社会主義への関心を深め、十九世紀のフェミニズムを代表する作家になったサンドと、思想的にも美学的にも遠い立場にいたフローベールのあいだには複雑な関係が存在し、後者はしばしば先輩作家サンドのアンガジュマンを非難していた。彼らのやりとりを読むとき、エルノーはいつもサンドの側に立つものの、同時に彼女の書き方は好きではないとも白状する。「ジョルジュ・サンドのように考え、フローベールのように書けたらよいのに!」
 先に引用した「私は書くことへのアンガジュマンと世界へのアンガジュマンを区別しません」という彼女の言葉が現われるのはここだ。この言葉を、彼女にとって世界へのアンガジュマンは、書くことへのアンガジュマンを欠いては語れない、という意味に理解しよう。サンドやボーヴォワールのような先人への深い敬愛を表明しながら、彼女が自分だけの道として切り拓こうとするのも、やはりこの書くという行為への卓越した注意によってだ。それを「アンガジュマン」と呼ぶとき、もしここでひとつの訳語を試みるなら、この語がもつ「賭け」のニュアンスを活かしながら、「身を賭す」と訳してみたいと思う。「書くことに身を賭す」――それがアニー・エルノーのアンガジュマンではないだろうか。
(フランス文学・思想)







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