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評者◆睡蓮みどり
42年目の12月8日に――ロジャー・アプルトン監督『ジョン・レノン 音楽で世界を変えた男の真実』、ウィル・シャープ監督『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』
No.3570 ・ 2022年12月10日




■年々、見られない作品が増えてきている。映画について書く人間として、それでいいのかということはよく自問自答するのだが、知ってしまった以上見られない。見たくないし、見ないことで抗議しているつもりだ。作品を見ずに批判することは基本的にはしたくない。だが、ハラスメントをした人間が関わっていると知ってなお見ることは、精神的な苦痛を味わうというだけでなく、間接的にそのような人間たちの居場所をこちらがつくってしまうことになる。コンプライアンスの問題と表現の自由を結びつけて、現状を「窮屈になっている」と喚く人の多さにも辟易している。誰かが苦しかった代表としての自由って何なのだ、とも思うし、そのコンプライアンスとやらをやたら気にしているのはそういう当人たちじゃないか。そういう人たちもわからないが、もっとわからないのは、名前を変えてしれっと復帰しようとしている某映画監督だ。「事実ではない」などとシラを切っているが、声をあげられなくなってしまった人のことを思うと胸が痛くてたまらない。悪い前例というのはやはりつくるべきではない。最近、配信で「ウディ・アレンvs.ミア・ファロー」を見ている。これを日本でできたらなぁ。製作陣の気概に驚かされる。そして私はウディ・アレンを軽蔑する。

 告発というわけではない。だが想像していたテイストを見事に裏切ってみせたのが『ジョン・レノン 音楽で世界を変えた男の真実』という映画だ。お宝映像的なテイストで、ちょっとしたお祭り気分で見始めてしまった。ストロベリー・フィールズでジョンが見たであろう景色、当時のリヴァプールを垣間見ながら、幼少期の両親との複雑な関係、自由奔放な母ジュリア、教育熱心な叔母ミミとの関係をはじめ、ザ・ビートルズになる前のポール・マッカートニーとの出会いなど、ジョン・レノンの半生が、記憶力のいい友人たちの言葉でつむがれる。
 友達には好かれるか嫌われるかの二択で、邪悪なカリスマ性があって、変わり者で、ひとことでいえば「嫌な奴」。平和主義者で、ラブ&ピースのあのジョン・レノンはどこへ行ったのか。そうはいっても、世界中がよく知っているあのジョン・レノンの像が嘘だと思えてくるということもない。決して、彼を悪く、こき下ろすような描き方をしているのではない。とはいえ、最初の妻シンシア・パウエルに対する嫉妬心や、女性への態度の酷さについては恐ろしい一面も窺える。イメージはがらがらと崩れていく。もしかしたら盲目的なファンにとっては見たくない部分かもしれないが、これだけ世界的なミュージシャンがどのような人物だったのか、知りたいと好奇心を掻き立てられる。
 この先の人生で、ビートル
ズを聴くことのない世界はおそらくないだろう。自ら聴こうとしなくても、街中で、お店で、どこからともなくビートルズが聴こえてくる。私の最初のビートルズ体験は、おそらくイトーヨーカドーだった。いつでもヨーカドーにはビートルズのBGMが流れていたのだ。そんなふうに、いつの間にか馴染んできてしまったわけだ。家でひとりでコーヒーを飲んでいても、ふと頭の中にビートルズのサウンドが流れてくる。それがビートルズなのだ。そろそろこの時期になるとあちこちで「ハッピー・クリスマス」が聴こえてくるだろう。
 私はこのドキュメンタリーは信頼できると思う。見てよかった。そしてこうも思うのだ。見なければよかった。ジョン・レノン側からの視点が当然ながらこの映画にはない。彼はもう反論することもできない。思いがけずビートルズの曲を聴いたとき、私は何を感じるのだろう。少なくとも、いままでとは違うはずだ。

 知られざる、という意味では、こちら『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』もそうだ。ルイス・ウェインの描く猫は見たことがあっても、彼の人生がどのようなものであったかを知らなかった。彼の功績がなかったらいま、我が家にも猫がいなかったかもしれない。かつて、猫の存在意義はネズミ退治のためであり、今日のように家族として迎え入れるわけではなかった。ルイス・ウェインの描く、楽しげで愛らしい猫たちのイラストは、人々の猫に対する意識を変え、猫の地位を向上させたのだ。一方、イラストの楽しげな雰囲気とは裏腹に、彼の人生は深い孤独に彩られていた。ブルジョワの出身ではあるが、金勘定などもうまくなく、妹たちの生活費を稼ぐためにもイラストを描き続けるも、版権を売ってしまったりと、ビジネス的な感覚は薄かったのだ。当時10歳年上で、妹たちの家庭教師だったエミリーと恋に落ち結婚するも、身分違いの結婚を祝福してくれる人は周りにいなかった。エミリーが末期の乳癌を患い、衰弱していく中、庭に迷い込んだ子猫との出会いが二人の生活の新たな光となる。ルイス・ウェインの画の多くのモデルとなったピーターである。
 電気に対する考察というか、執着というか、独自の研究を語るところなどからもルイスの風変わりさが読み取れる。ベネディクト・カンバーバッチが演じるルイスの像はとてもイノセントな感じがして、見ていて心配になるほどだ。その繊細さを妻のエミリーは誰よりも感じ取り、受け入れていたのだろう。クレア・フォイの演じるエミリーの強い眼差しからは、心配ではなく信頼がうかがえる。そんな愛する妻との早すぎる別れ、そして愛猫ピーターとの別れは彼をより孤独に陥らせ、一方でその苦しみがルイスの創作意欲に働きかけて、いまにも現実の世界に飛び出してきそうな、あの楽しげな猫たちが生まれる。
 彼の語る「電気」についての言説は、それを「愛」に置き換えればその瞬間に世界の色が変わって見える。色味が変わる、というのはこの映画の素晴らしさのひとつでもある。少しずつ鮮やかになる、まるで絵画のような映像の中でルイスは生きている。誰とも結婚しない妹たちとの暮らしは、決して彼を本当の意味では自由にさせてくれなかっただろう。晩年、統合失調症とも診断されたルイスは、自ら画の中に幸福な世界をつくり出し、その世界の住人になった。側から見ればあまりに孤独で胸が苦しくなる。だが彼を孤独の箱に押し込めてしまうことは、彼に対する侮辱になってしまうだろう。世界が美しいかどうかはわからない。だが世界にちりばめられた美しさを見つけることは、幸福なことに違いない。そう信じさせてくれる映画だ。
(俳優・文筆家)







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