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評者◆杉本真維子
家をおかす目
No.3567 ・ 2022年11月19日




■住まいを変えることになり、秋口から、他人の家のなかを丹念に見る、というたぶん人生においてまたとない経験をしている。新築や空き家物件の場合はそのようなことはないが、中古の居住中物件も含めて幅広く見ているので、さまざまなケースに遭遇する。そこで飲み、食べ、眠って、日々を営んでいるひとが、売り主となって不動産会社の営業担当者と一緒に家のなかを案内してまわる。当然、売り主は複雑な心に折り合いをつけ、内見に臨んでいる。
 ひとにはいろいろ事情がある、という当たり前のことを初めて実感する日々だ。外側からは米粒ほども見えない一家の事情。さわやかな笑顔の住人、美しく磨きこまれた室内、それなのに十年以上カーテンを開けたことがなく、内見の日はいつも雨、というミステリアスな家もあった。内見の立ち合いのために久々に顔を合わせたという元夫婦は仲睦まじい夫婦にしか見えなかったし、呼び出されたという子どもたちはかつて「いろいろあった」とは思えないほど素直な子どもたちだった。それが他人の家である限り、ミステリアスではない家など一軒もないだろう。
 居住空間を商品にすることの難しさも垣間見た。売り主はどうやっても無理をする立場に置かれている。本当は見せたくないから、恥ずかしそうにクローゼットの扉を開けて、すぐにぱたりと閉じる。寝室の扉を開けて、こうなっています、と積極的に案内するわりには一瞬で閉める。こんなの見てもいいのかな、と怖気づきながらも、さっとウォーキングクローゼットのなかの深い奥行へ視線をやる。まるで売り主の心のなかを覗くかのよう。あるいは他人の裸を見るような直視しがたさ。見せるほうの苦々しさと痛みが伝播し、罪を犯したようなおかしな気持ちになる。
 「見なくていいですって断ればよかったかな」。帰り道、同行者につぶやくと、「気にすることないよ、家を売るってそういうことだから」と、実にあっさりとした返答。たしかに、そうとしかいいようがないかもしれない。生きるとは厳しいことなのだ。
 厳しいといえば、川田絢音の詩「日曜」のなかに、他人の家について書かれたこういう詩行がある。
「よく磨かれた床、戸棚の上にきじの剥製が置いてあり、どこからもひびの入らない白い壁が室内をめぐっている。」
 およそ他人の家とは、こんなふうに強く閉じられ、ほかを拒絶しながら建っている。内見者はそこを押し開き、ずかずかと踏み込んで、自分の視線を室内に這わせて、内側から家をひっかきまわす。台所シンク、洗面化粧台、浴室、トイレなどの水回り、壁、天井、床、コンクリートの基礎の部分までしっかりと見て、視線を長いツノのようにぶんぶんと振りまわして、やりたい放題に荒らして帰る。来客が帰った後、室内の空気がゆっくりと修復されて、いつもの家に戻るように、見られることで壊されるものがたしかにあるのだ。
 見る者も見られる者も、どちらも必死なのだった。野生そのままの獰猛さで、ひとは今もねぐらを探す。







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