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評者◆凪一木
その165 帰郷
No.3566 ・ 2022年11月12日




■帰郷した。地元に仕事のある者は、そこで職に就くのが地域にも親類縁者にも基本は喜ばれる。だが、田舎は職種も数も限られている。指定席のパイは、レギュラーは決まっている。私の故郷は、北海道の寒村だ。
 同級生で、とても美人がいた。だが街からは遠い農家であった。これが都会なら、その美貌で注目され、危険な目にも遭うだろうが、様々な可能性があっただろう。彼女は美容師となるも、病気の親を抱えていて地元に戻ってくる。村に二軒あるバーバー(パーマ屋さん)の一つに応募し、落とされる。札幌にも出られず、土地もない農家の一軒家で燻ぶっているという話をずいぶん昔に聞いた。だから、たいていは就職のために町に出る。
 東京という町は、地元の江戸っ子はほとんどおらず、そういった地方出身者で溢れている。これが帰郷するとなると、お金と時間がかかり、会社勤めならば、お土産代と有給休暇の他に余計な気も遣う。まるで江戸時代の参勤交代のように、地方出身者には重くのしかかる。国会議員への陳情も似たようなものだ。重い手土産と願い事を抱えながら大汗をかいて、東京の陳情部屋の前に並ぶ。高校野球選手権も、甲子園球場への道のりや宿泊交通費を考えると、遠いほど不利だ。東京にある多くの会社は、地方出身者に対する有難みをどれだけ考慮して雇用しているのであろうか。
 さて、私が北海道の実家に帰郷するのは一六年ぶりである。その一六年前もまた、母校に招待されたもので、交通費は頂いている。つまり自分のお金で帰ったのは、二〇年以上ぶりなのだ。
 帰らなかった。そして帰れなかった理由は、お金と時間と気持ちの余裕がなかったことに尽きる。はたらくとは何か。「親孝行することだよ」と、今いる建物に勤務する同僚、六八歳のカンムリ鷲が言う。ならば親孝行とは何か。禅問答みたいだが「顔を見せることだよ」と即答される。岡山に実家のあるカンムリ鷲は盆と正月には長期休暇を取って、新幹線で帰る。父が亡くなり、数年前には母も亡くなって無人の実家に、未だ固定資産税のほか毎月の光熱費も払い続けている。彼の貴重な有休は、ほぼ親に対する義理と愛情で消えていたという風に私には見える。そんなにも沢山帰っていたのに、それでも「親孝行し足りなかった。もっと親孝行しておけば良かった」という。
 私など、帰らぬ一六年の間に、まだ年若い従妹が亡くなり、父も亡くなる。妻の両親からは、「父が亡くなって何故家に帰らないのか?」と詰められた。ビル管の学校に通っていたが、それだけが理由でもない。今ここに書くには難しい。地方出身者がそれぞれに持つ独特の歪みの一つであろうとだけ書いてぼやかしておく。
 それだけ複雑なのだ。「顔を出せ」と主張した妻の両親ともが、もういない。もちろん妻は常識人なので、葬儀等の一切に参加している。妻に訊いてみた。「親孝行は出来たと思うか?」「しなかったと思う」。私の責任でもある。
 親の死に目にも会えなかった。多くの俳優など忙しい職種の人たちはそう述懐している。山田太一は、初めての子が生まれたとき、師である木下惠介監督とともにシナリオ作りで地方の旅館に籠っていた。我が子の誕生を告げるも残ろうとする山田に対し、「すぐに行け」と木下。タクシーを用意されて、東京へと向かった。そんなものなのか、とドラマの登場人物のような気持ちで向かった山田。結果としては、やはりそれが良かったという。形というものの凄みなのか。私には信心深さも儀礼への有難みも皆無なので、山田太一の文章を読んでもそんなもんかなとしか思わないが、そんなものなのであろう。
 ところで帰郷できたのはなぜか。やはり、仕事に余裕が出来たからとしか言いようがない。私は独自の休息理論というものを持っている。
 私は人から「あれをしろ、これをしろ」と指図されるのが極端に嫌いである。両親からも怒られたことも命令されたこともないので、変な人間が育ったのだとは親戚中から言われる。それでも、小さな指図はされる。そして「そういうことを俺に向かって言ったところで、その通りにはしないのだから、言うだけ無駄だよ」と返す。皆呆れて「分かった、分かった。もう何も言わない。自由にしなさい」と言ってくる。「その自由にしなさいというのも言われたくないんだよ。まるで自由にしなさいと言われて自由にしているみたいなのが嫌なんだ」「勝手にしなさい」「それも嫌なのだ」。
 私という人間はそうなのだ。自由がそうであるように、本当の休息とは、休日分の休息ではない。仕事があって休日があるのは、仕事とセットである。それは仕事の疲れをいやすものであって、まさに休息であり休憩だ。私の言う休息とは、休日のほかに、何でもない無駄な時間、どうでも良い、人生に必要かどうかさえどうでも良いような、空白の時間のことである。その「空の」時間があるかないかで、仕事も、家庭も、地域も、自殺も、人生も、私は決まると思っている。帰郷とは、そういうもののはずである。カンムリ鷲のそれは、果たしてどうであったのであろうか。
 カンムリ鷲はおそらく本当の休憩ではなく、必要な休憩、仕事の一環であった。それもまた、まずは必要である。それさえ奪われて過労死や自殺をすることになる。厚生労働省の定める労働基準法で「休憩」については、〈六時間以上八時間以下の勤務時間の場合は、少なくとも四五分以上で、八時間以上の勤務時間の場合は、少なくとも一時間以上の「休憩」〉とあるが、いわゆる休日などは、その延長線上の必要裁量の時間である。
 帰郷すらできない。帰宅すら出来ない。自分に帰ることすらできない。
 帰らなかったのはお前(凪)のせいだ、と言われるだろう。それでも「帰郷させろ」と言いたい。母が亡くなるまで、もう最後の「顔見せ」だったろうと思う。
 田舎に生まれたのに、都市の生活を単に長さだけでも経験すると、田舎に帰ると、カルチャーショックのようなものを覚える。帰郷して、ベトナム戦争から還った兵士でもないのに、まるで説明のできない身体症状に襲われた。それは、ちょっとしたズレのようなものであるけれども、しかし深く、そしてかなり重い。大切にするものの種類と量と質とが変わってしまったとも言えるし、時間の進み方も、単に速いとか遅いとかではなく、時空がずれているかのような、法律もルールも違う国や時代であるかのような、奇妙な異邦人感覚を味わう。久保田早紀というよりはカミュである。
 仕事とは、この感覚を封印して死んでいくことなのかどうか。その話はまた書く。
(建築物管理)







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