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評者◆凪一木
その164 五〇〇円返せ!
No.3565 ・ 2022年11月05日




■これは労働の現場でなくとも、とても大事なことだと思う。物を「言う」という話である。モノ言わぬ民にはならないという一つの宣言でもある。
 かつて、サイコパスの母親の香典三〇〇〇円を私一人が拒否したことは、ここに書いた。そんな日本独特の付け届けやお中元みたいな制度はなくなったほうが良い。会社の飲み会や社員旅行がどんどんとなくなっている新しい時代の傾向を、私は歓迎している。
 沁みついた風土なのか、世間の目、村八分、異物排除、単一思考、風見鶏思考、日和見主義、政権無風状態、同調圧力という敵は、ほんの目の前にいる。たかが香典拒否にしても、自身の心よりも、彼ら一塊の厄介な一団とまずは闘わねばならない。彼らが厄介な理由は、その同調強要、日和見強制、単一思考押し付けを当たり前と思い込み、村九割二分のつもりの側にいることである。有給休暇ですら、多くの日本の会社では取得しにくい。それは仕組みというよりも、現場の人間がそうさせている。
 実は、かつての現場でも、「集金」があった。体の大きい横山やすし(漫才師)みたいな、超パワハラ男、いや、堅気の会社に紛れ込んだやくざ者みたいな男がいた。入社して一カ月目に、その横山やくざ者の父が亡くなったということで、五〇〇円を全員から集めることになった。
 なぜ、そんな中途半端に低い金額かと言うと、その現場責任者が、異常なケチだったからだ。ケチというには、ケチという言葉ではとても収まらない。私も、同僚たちも、これまでの人生で初めて見る、そして今後もおそらく見ないであろうキング・オブ・ケチなのである。取引先にお歳暮を要求する。もちろん独り占めする。弁当を食べるためだけの休日出勤。電気室での立て籠もり弁当横領事件。腐った頂き物事件。残業稼ぎ、交通費の偽装工作、枚挙にいとまがない。
 ノートルダムの鐘を鳴らすような男であるが、差別用語としてしか受け取られないので、敢えては使わないが、そのケチ男を担保していたのが、やくざ者の横山ビッグやすしであった。
 その現場は、二社(私の会社が最下層)が下請けとして約七人入り、元請けには、威張ったケチ男の他計五人いて、何もしない。横山やくざは、その上のオーナー側の会社であり、そこへ天下りでやってきた、さらにその上の病院の人間なのだ。複雑に絡むがんじがらめの中で、香典が申し渡される。これに抵抗はしづらい。まるで自分と無関係な人物の死を国葬と決定されて、余分な税金を払わされるような気持ちだ。
 五〇〇円ぐらいなら良いか、と(納得はしないが)私も当時はお金を払った。だが、横山やくざ野郎のパワハラは、全くこれまでと変わらない。どころか香典がむしろ「お墨付き」のような格好となって、さらに悪化した。何しろ、毎日一時間以上、彼の下らない説教と怒号が、その日のターゲット相手に繰り広げられ、その時間分の残業代も請求できない。小物が飛んでくる程度なら、避けられるが、酸素ボンベを投げつけてくる。頭に当たれば死ぬではないか。慣れたパフォーマンスなのか、たいていは相手の足元に転がる。だが、慣れるまでは、かなりの被害者がいたのではないか(そういう問題じゃない)。
 とにかくそのときは恐怖もあり、また居づらくもなるので、その五〇〇円「徴収拒否」を言えなかった。しかし、七年半たった今こそ言おうと思う。時効とか、世間の常識は関係ない。非常識だという人がいるかもしれないが、ならば、常識とは加害者側にやけに都合がよすぎやしないか。突然言うとただの変な奴と思われて排除されるが、時効とは別に、季節外れでも、言うことは大切だ。
 労働組合に入っていると、そういう「可能性の」話し合いを仲間でする機会も多いし、対処法も、心の解決法も見つかる。そういった五〇〇円アピールから、もっと組合員を増やそうと私は考えている。というのは半ば本気の冗談だが、世の中の風穴は、ちょっとした異物の側、非常識と思われている側から開かされる。
 六月一日に、日本シナリオ作家協会で、私の友人原田聡明含め「ハラスメント相談員」が四人からスタートした。その一人、W氏は、ハラスメント問題について不意に思い出したことがあるという。彼は監督と共に脚本改訂をし、プロフィール作成から構成を書き直し、ラストシーンではWのアイデアをそっくり借用し、ノーギャラの上、脚本から「協力」に替えられた。
 映画部外者の私が言うのもなんだが、ビル管理として、W氏に物申した。
 〈今さらであろうとも、「脚本協力」ではなく、共同脚本と言ってみてはどうでしょうか。被害の回復という点で、今後のことを考えると、言ってみるのも一興、いや一案かと。結果はどうでも、「やる」ことに意味がある。相手は、高をくくっている処があり、驚かすのも、一つ目の地点であり、その後の展開は、「やる」ことによって始まる。自分のためにやるのもあるが、それを見ている後輩もいる。彼らの目にどう映るか。そのためにでも、「やる」価値はあるかと。〉
 記憶が大事だという。レイプも被害の全回復は無理だとしても、「言ってみる」価値はあるかもしれないという。信田さよ子の「記憶に期待する」という話だ。
 『言葉を失ったあとで』(信田さよ子・上間陽子/筑摩書房)で、信田はこう発言している。
 〈ほんの一言でも良いから、たとえば娘が親に対してこれだけは言いたい。そんなこと言ったって絶対にわかってくれないと思っていても、一言、あのときのあの言葉(行為)で深く傷ついていますとか、そういうことをわずか三秒で言う。それは否定されるに決まっているんだけど、親の記憶に残るじゃないですか。聴覚があるんだから。(中略)記憶というものは、その人の人生で重要なものだと思っていますね。〉
 なぜ、そのときに言えないかと言うと、〈性被害は、地震の揺れのようにその瞬間に起きるわけではない。(中略)限界が訪れて告発するまでに長い時間がかかる〉という。
 私の五〇〇円も七年かかった。だが、突然古い話を蒸し返される危殆というものを味わわせる効果はあるのではないか。しかも馬鹿にし、格下に見て、暴力やパワハラをしていた相手から、完全に見下し存在すら忘れていたような相手から、いきなり申し出られるわけである。
 ♪あした私は旅に出ます……という昔流行った歌の歌詞ではないけれど、八時チョウドのあずさ2号ではなく、九時チョウドの日本橋郵便局から明日、手紙を出そうと思っているのであります。
(建築物管理)







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