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評者◆凪一木
その160 小石先生の未来
No.3561 ・ 2022年10月08日




■昨年秋にNHK・BSプレミアムドラマ『白い濁流』が放送される。化学研究者の主人公伊藤淳史は、「将来なんて、もうないよ。もう疲れた。先の見えない生活も。奨学金の返済も。良い年してバイトするのも……」と絶望する。
 そう言ってやっているバイトは、警備員である。
 その警備員であるが、設備員に対して皆、「よろしく」と言ってくる。いかにして丸投げするかがテーマであり生存方法なのである。その「宜しくお願いします」というパターンにもいろいろある。
 馬ちゃんは、若い頃から乗馬クラブにいた。競馬の騎手を目指していた。怪我で諦めて二一歳で月給三~四万(学校の先生が一万円の時代)、その後は居酒屋経営(自身は下戸)をして高齢で結婚し警備となる。娘はまだ二〇歳だ。だが、六七歳にして、突然がん検診に引っ掛かり、あっという間に入退院を繰り返して肺がんで退職した。その馬さんの「よろしくね」はとても優しい口調だ。だが、「こっち(馬)は良く分からないので、そっちで勝手に把握してくれ。あとは知らない」というものだった。
 少し前に退職した、息子が電通勤務する元デザイン会社の社長は、「よろしくお願いします」と丁寧だ。しかし、「伝えはしましたけど、こちらで何かはしなくていいんですよね。言われても何かできるわけではないですけど」というものだ。余計な配慮の割には何もする気はない。
 自衛隊出身の鸚鵡返ししか能のない体臭男は、でかい声で威勢が良い。それでいて中身のない「よろしくです」というものだ。「伝えることは伝えたんで、それ以上は私に訊かれても一切分かりません」。
 読書家のMさんの素っ気ない「じゃ、よろしく」は、初めからやる気がない。「伝えるだけ伝えたんで、そっちでやろうとやるまいと、関係ありませんからね」。
 パワハラをする元仕立て屋の場合は、「よろシクゥー」と語尾を伸ばす。「ちゃんとやったんで(実際は何もやっていない)、そっちで何とかしてくれないと困るよ」。
 上野に飛ばされた「魅せる警備」のIは、「よろしく!」と短く小さい小声だ。若い年齢のくせに威勢が良くない。「伝えましたよ。あとはそっちで何とかするんじゃないですか?」という、これも無責任そのもののヨロシクだ。
 さて、小石先生だ。彼の場合は、「じゃ、お願いします」と殊勝に話すが、実際のところは、「こっちは責任取る気は全然ないから、そっちで何とかやってよね」というもので、こっちとしては「お願いされてません」と言いたい。
 その中で一人だけ、自ら責任をもって設備に仕事を振ってこない責任マンがいた。北海道の炭鉱町出身の星四つの男だ。星というのは、資格を取るたびに、その警備会社では肩袖に星が一つずつ増えていく(五つで打ち止め)。彼は当時、その警備隊では珍しく隊長の五つを除くと、一人だけ四つであった。大学を出てNECに入社する。二二歳のときに一つ年上の女性と結婚。NECからコピーライターとなって独立。恵比寿に事務所五四万円の家賃を三つの会社で分けて借りる。そのうちの一つは女社長で五人社員の企画イベント会社、コカ・コーラの景品フィギュアなどを作っていた。安い単価の割に五千万円などが一気に振り込まれたという。彼の会社も銀行がガバガバと資金を貸してくれ事業を広げる。だが倒産。その後、マンション管理などを経て警備業界に入る。だが、彼の経歴や仕事の質からすると、物足りない。二人の息子も優秀だ。
 星四つの責任マンが、私のいるビルに異動して間もなく、小石先生と一緒に、同じ部屋で、昼ご飯を食べる。
 小石先生は、社内でも有名な金銭感覚のおかしな男だ。それ以外にもかなりおかしいのだが、ここでは省く。高島屋で出勤前に、昼と夜の二食分それぞれ一一〇〇円(消費税八%時代は一〇八〇円)の弁当を買ってくる。設備もそうだが、警備の一食分の相場は五〇〇円で、せいぜいが七〇〇円程度だ。給料と相談するとそんなものだ。四ツ星の責任マンは、高校生の孫に小遣いをやるため、つつましくいつも手作り弁当を持参する。そしてささやかなデザートとして、パンやお菓子が食後の楽しみだ。
 その日、小石先生はいつも通り一一〇〇円の弁当を食べ終わる。そして四ツ星の方を見る。彼も食べ終わっているが、食後に三個入りのパンを一つ食べている。あとの二つは、夜の分として取っておこうと残した。それを見た小石先生が、こう言ってきた。
 「一個ちょうだい」。
 元々小石先生は、仕事をしないことで有名だ。サボりもするが、能力的に出来ない。さらに、あとから入ってきた四ツ星のような人間にも平気で甘えて、酷な仕事を押し付け、またピンチを何度も救ってもらいながら礼も言わない。なおかつ正社員であり、他の契約社員や雇員(アルバイト)より給料もボーナスも多く、その分だけ、明らかにいじめられている。
 アルバイトの四ツ星が、安い給料で重責を押し付けられている現場自体にも問題がある。だが、小石先生のように、これ幸いと、そのシステムに乗っかる人間もまた問題であった。
 ほどなくして実力のある四ツ星は、適当な理由を提出してさっさと退職した。自宅近くの警備会社に、退職の翌日から勤務する。
 さて、小石先生である。仕事は何もできない。できないくせに他人の批判をする。結局、老人部隊と化した某ホテルに飛ばされ、予定通りそのホテルは廃業し、六〇歳を過ぎ契約社員となっていた小石先生も、ホテル勤務打ち切りと同時に他の現場を打診される。だが、断る。「オレにもっと相応しい会社があるさ」。見通しが甘いのである。私は意見した。
 「小石先生。いた方がいいよ」(言いたくないけど、今が偶然恵まれている立場であって、本来のあなたの態度や仕事ぶりでは、もっといじめられるよ)
 もちろんその言葉は隠して、いろいろな理屈を述べて引き止めたが、小石先生、まるで意に介さず退職する。
 小石先生は結局大手の警備会社を辞め、ありがちな警備会社にいる。警備業の更新手続きすら怠って、公的機関から指導を受けているような出鱈目な会社なので、その内容は想像の通りだ。福利厚生もしっかりしていない。毎度毎度、小石先生は愚痴の電話を寄こす。
 会社以上に彼の方も、負けず劣らず公平感覚、平等感覚、協働感覚が狂っているのは前述の弁当事件の通りだ。不足もしくは欠損がある。それらは社会的に学習し、生育環境のなかで身に付けていくものだと思うのだが、一部は子供のままなのだ。
 行く末を心配する義理は私にはない。だけど気になる小石先生の「よろしく」である。
 誰かヨロシク。
(建築物管理)







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