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評者◆凪一木
その154 ものを残すということ。
No.3555 ・ 2022年08月13日




■本を出した。と言っても、自費出版だ。何を今さらの気持にもなる。
 一〇年くらい前に祖父の弟が、シベリア抑留の体験記を自費出版で出した。代行会社に高額の費用を取られて、ロクでもない出来の代物を見た。当人はそれでも満足で、また代行出版にしても、編集者、デザイナーその他の手間賃や技術、培ってきた経験などを考慮すると、まあ、そうなるだろうなと予測がつく。私に任せれば少々のアルバイト代になると思ったが、商売をしたいわけではないし。そんな一過性の仕事はいずれ途切れる。
 プロ野球の横浜DeNAベイスターズであるが、以前の名称は大洋ホエールズだ。マルハでお馴染みの大洋漁業がオーナー企業であった。この大洋が合併した会社に日魯漁業がある。そこには、作家となる以前の二足のわらじの会社員荒俣宏がいて、昼夜兼業で執筆していた。荒俣宏と比べるほどの一致点はないが、私もこれまで、民間企業でのビル管理をしながら、ひたすら二足のわらじは可能かを模索し続けた。本を出すことに主眼を置き、大げさにいうと、そこにこそ生きる喜びも存在証明も価値もあると思って生き、また生活してきた。ところが、このビル管理の世界の住人に染まってしまったのか、本を出すことの一体何が面白いのか。どこに意味があるのか、と思い始めてもきた。荒俣宏に対し、疑問を持たせることなく後押しする無条件の力は、膨大な蓄積量であろう。
 現場の同僚と、これまでの知り合いとに、自費で本を出したことをそれぞれ伝えると、明らかに反応が二分した。意味があるかないかで二分される。残りの人生を「大きな政府で生きるか、小さな政府で生きるのか」みたいな議論となる。考えてみると、この連載の第一回のテーマでイソップ寓話の「アリとキリギリス」に戻ってしまう。
 民間ビルの下請けで、元請けのゼネコン子会社を相手にあれこれ闘ってきた日々が懐かしい。現在、官庁勤務で、悩みが減り、仕事も楽になった分だけ、鬱気味なのだ。
 おいおいおい、と思うだろう。他の官庁であるが、同じ霞が関の人間で、元は出版社勤務の定年後にビル管となった同僚は、こう言う。
 〈凪さん、感じた通りだと思います。暇で退屈で物足りないのとお役所仕事、妙な権利意識が混在していて、民間での経験がある人は、税金を払う意味を考え、ここで取り返そうという気持ちになります。一部の派遣専門の者には敷居が高いようです。〉
 単に、同じ会社でありながら「格差」のマシな側に紛れ込んだというだけの話だ。どうしてこの差が生まれ、また解消されないのかは、実は、お互いの現場で気が付かないように仕組まれているからだ。
 省庁に来てからの私は、何事もおろそかになり執着が薄れ、お金を忘れて失くしたり、ボーッとした状態となっている。目標がなくなったのか。他の人が、本を出版したり、映画の新作を撮っても、だから何だという感じで、観る気も読む気も起きない。
 周囲の身近な同級生や、親しい人のうち自分よりも若い人が、この数年間だけで、かなりの人数が死んでいく中で、死ねば、いったい何が残るというのか、何を残そうとしているのか。というような厭世観にも襲われる。
 作品とは言わなくとも、サラリーマンのルーティンワークにしても、いったい何を履歴として残すのかと、馬鹿らしくなる感覚が、年齢と共にある。
 多種多様な人間がそれぞれに輝く世界などというけれども、「ナンバーワンよりオンリーワン」などとも言うが、それは一方で、元々が一人ひとり孤立している人間がやっと社会をつくってきた歴史を振り出しに戻すが如くの社会ではないか。他人に関心を持たない人間が多くの割合を占めて、それでやっていけるような社会は、私にとって面白くない。
 皆で歌う歌が消え、一人ひとりが、これが好きだと言っては別々の歌を歌い、ハーモニーもされず、雑音が互いに干渉しあって、色を塗り足した結果が必ず黒になるのに似ている。
 この世界を少し引いてロングショットで見ると、歌だけではなく、本も映画も、皆真っ黒じゃないか。そこに私が今さら、どんな変わった色を塗り足しても、意味がない。屁のツッパリにもならない。徒労を自ら喜ぶだけに過ぎない。黒の中の何色なのだ。
 一方で、自費出版ではあるが、出版界の事情なども考慮すると、これが紙媒体での最後の本になるかと思うと、切ない気持にもなる。何のために本を出すのか。
 高倉健に『あなたに褒められたくて』(林泉舎)という本がある。いったい誰に褒められようとしていたのかというと、母親である。北野武にしても、大島渚にしても、寺山修司にしても、母が亡くなったときの、その落胆ぶり。普段見せていた強気の表情とは別の、弱さ丸出しの惨めさと紙一重の佇まいには驚かされた。だが、そんなものかもしれない。
 私の場合は違うが、彼らの原動力の大きな一翼は母であり、それこそが世界であった。ならば、高倉健は、母に直接、「あなたに褒めてほしいと思って生きてきたのだ」と言えばよいではないか。とも思うだろう。そこがシャイなところでもあり、もっと言うと、書籍というものの理由であり、性格であり、意義であり、意味である。
 ジョン・レノンが「オー・ヨーコ」と歌う。直接に、隣にいる小野洋子に言えば済む話ではないか。違う。隣のヨーコに呼びかけながら、世界の恋人たちに、呼びかけている。
 高倉健もまた、母に語りかけながら、世界にむかって、恥ずかしながら、不器用ながら、声を発している。いったい母という者は、女親という者は、何を分かるというのか。
 高倉健の文章を読んで理解したのか。そうではない。野口英世の母が、帰国した息子の背に負ぶさったとき、何を思ったか。彼の業績についてなど知る由もない。ただ、世界か海の向こうか知らないけれども、なんだか凄いことになったらしい、という程度のことだ。
 U2は、たとえツアーをするにしても、もう日本には来ないだろう。海外へ見に行くことはないだろうから、前回のツアーは、私にとって最後のチャンスだった。見送ってしまった。私が一万分の一の席を埋めようと埋めまいと、それが私であろうとなかろうと、U2にとっては、ボノにとっては、どうでも良いことであろう。まさに「ウイズ・オア・ウイズアウト・ユー」だ。私であろうとなかろうと。私が本を出して世の中の何万冊のうちの一冊に加わろうと。
 何故だか憂鬱である。言葉の塊を吐き出そうと、吐くまいと。(建築物管理)







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