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評者◆睡蓮みどり
お前も当事者だ――セリーヌ・ヘルド&ローガン・ジョージ監督『きっと地上には満天の星』、ユライ・ムラヴェツJr.監督『ウクライナから平和を叫ぶ Peace to You All』
No.3554 ・ 2022年08月06日




■嬉しいニュースが届いた。ジャーナリストの伊藤詩織さんの件だ。ついに、という感じだ。彼女の闘いが始まったときから七年という長い年月を経て、ようやく加害者が同意なく性行為に及んだことが認められたのだ。加害者に有利な日本の法律では、性犯罪が犯罪としてなかなか認められない。二次加害をする人も多く、その人たちとも闘わなければならなかった。その精神力と体力は、想像を絶するものだったに違いない。会見の様子も胸を打った。伊藤さんの言動が日本の空気を変えたのは間違いないのだ。最初に彼女のことを報道で知ったときに微かな希望を抱いたことを私は忘れない。確かに最初は微かなものだった。微かでも芽生えたこと自体が大きかった。無理だと決めつけて諦めていた、枯れていた感情がまだ生きていることに気づいたのだ。ご自身がおっしゃっていたように、どうか夢見たジャーナリストの仕事を続けて活躍してほしい。心から敬意を。
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 今回は二本の映画をご紹介したい。一作目は『きっと地上には満天の星』である。ニューヨークの地下通路で住居を持たずホームレスとして生きる母ニッキー(セリーヌ・ヘルド)と幼い娘リトル(ザイラ・ファーマー)の物語だ。文字通り地下のアンダーグラウンドで人知れず暮らす母娘は、もちろんこのような生活を望んでしているわけではない。だが“地上”に出て見つかれば、ふたりは引き離され、一緒にいることができなくなるのは目に見えている。母は薬物に依存し、ギャングからの仕事でなんとかお金を稼いでいる。悪循環から抜け出すことが難しいのだろう。リトルはいつか自分の背中に翼が生えて、地上に行くことができる日が来るのを待っている。そしていつか、星を見ることも。もちろん人間には翼なんて生えてこない。残酷だが、そのいつかは永遠に来ないのだ。
 不法住居を取り締まる市の職員に見つかりそうになり、やむなく地上へ出ることになるふたり。多くの人、大きな音、様々な色、強い光――地上の刺激の強さに泣き喚くリトルと困惑するニッキー。まるで安全な場所なんてどこにもないかのようだ。ただ母がいるところこそが安全な場所だとリトルは思っているだろうか。娘を手放したくないのは、母にとっても娘は居場所そのものだからなのかもしれない。ある瞬間、見失い離れ離れになってしまったリトルを探すニッキーの不安と重なりながら、カメラは揺れ続ける。その疲れが、画面から果てしなく深く伝わってくる。母の決断を目撃することも含めて、そこに立っていることがとても辛く、震えているのに気づく。
 ニッキーを演じたセリーヌ・ヘルドがローガン・ジョージとともに監督を務めた。決して派手な作品ではないが、力強く、胸に迫り来るものがある。母娘ふたりの演技の素晴らしさも手伝って、気がつくと静かに、この夜を見つめるひとりの共犯者になっている。
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 続いて『ウクライナから平和を叫ぶ Peace to You All』。スロバキアの写真家ユライ・ムラヴェツJr.がウクライナ紛争の地となってしまった場所に生きる人々にカメラを向ける。いまなお続いているロシアとウクライナの戦争は、どのようにして始まってしまったのか。
 その背景に迫っているとも言える本作は、六七分と短いながらもそこに人々の悲痛な叫びが凝縮されているのを目の当たりにする。これは、映像だけでなく、ユライ・ムラヴェツJr.が写真家であるということが大きいだろう。一瞬の表情に込められた意味を映像が解説する役割を果たす。そういう意味ではこの作品は写真のための映画だと言ってもいい。普段流れてきて目にすることのできるニュースからは決して見たり聞いたりすることのできない、そこに生きている人々の声を知るのはとても貴重な体験だ。タイトルにもあるように、カメラの前で人々が語るのは、辛い状況であると同時に、心からの平和を求める声なのだ。
 ある人が、いかに歴史を学ばなかったかを嘆く。おかしな人ばかりが国の指導者になるこの時代を、悲観的な気持ちで過ごしてしまうことが多いが、少なくともこの映画から聞こえてきた生々しい叫びは、映画を見た人間がまるで他人事のように、傍観者でいられることを批判してくるようにも思えてならない。お前も当事者なのだ、とはっきりと言われたような気がする。
 言葉を引き出したあとで監督が話し手の老婆を「ごめん」と抱き寄せるシーンがある。最初、なんとも言えない違和感を覚えた。作り手による力関係を垣間見た気がしたからだ。しかし、なぜあえてあのシーンを入れたのか。そこにこそ切実さがあるのかも知れないと思い直した。
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 最後に、信じられないニュースだ。女優の島田陽子さんが亡くなられた。彼女のことは俳優ではなくあえて女優と書かせていただきたい。昨年、朗読劇でご一緒して以降、とても親しくさせていただいていた方だ。彼女の演技を目の当たりにして、私はもう一度役者としても頑張りたいと思い始めていた。舞台が終わった後も役名で呼び合ってふざけたり、お互いお酒が好きで一緒にバーに行きたくさんの話をした。福島まで一緒に行ったこともある。
 自宅にも遊びに来てくださることが何度もあり、年末年始も一緒に過ごした。大女優が家にいる、というのはなんとも不思議な気分だった。いつでも彼女は大女優だったが、同時にとても気さくで、優しく強く美しくしなやかだった。私は彼女に似た人を他には知らない。陽子さんはいつも完璧に陽子さんだった。
 ある夜、映画『欲望という名の電車』を家で一緒に観た。この作品を舞台で一緒にやろうという話をしていた。もちろん彼女が主演で。脇役が似合わない人というのは本当にいるのだ。小さな舞台でいいの、と彼女は言っていた。今年はそれを実現させるはずだった。彼女は演じるだけでなく、作品を作ることにもとてもエネルギーを注いでいた。とても意欲的で、でも少しだけ急ぎすぎているように感じることがあり、気がかりだった。ご病気のことは聞いていたものの、あまりに早く、起こったことにまだ現実味がない。また、一緒に飲んで、ラテン音楽で踊りましょう。もうちょっとだけ、私も頑張ってみますね。
(俳優・文筆家)







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