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評者◆凪一木
その151 時代についていけない。
No.3552 ・ 2022年07月23日
■前回、この時代のシステムについていけないと書いた。それは、博奕でいうと、胴元が、ルールがおかしいのではないかとも思うからだ。ついていっている者たちは、特殊な鋳型に身体を合わせ、脳の発達を合わせ、不自由極まりない人生のレールをはじめから走らされているのではないか。私から見ると彼らは歪だ。彼らから見ると、私も同じことを思われているのだろう。
恐らく暴力が基本のところを、別の能力によって順列序列をつくろうと必死に形だけは取り繕って誤魔化そうとしている。そのことに、元々暴力的な部類の人間は、うすうす気づいて、いろいろな形で暴力をちらつかせている。その最悪の形は戦争であるが、これも、普段の日常で見慣れているパワハラと何ら変わらない力の加減だ。結果は悲惨でも、進めば必ずこうなるという必然の形である。 私の勤務するビルの廊下には、至る所に誤発注した書類が段ボールの山となって積まれている。もちろん期限切れで、いつ処分するのか、そのまま放置されている。上司に訊くと、誤発注した人間はクビにはなっていないが、地方に飛ばされたのではないかとのことだ。人間だもの、相田みつを、そんなこともあらあな。ただ、それで済む問題とそうでない問題とがある。民間ならこんなことは起きないだろう。 人間はミスをする。それが核ボタンであれ、パソコンの入力であれ、やると言えばやる。自分のお金さえ失くす私なら、誤発注、誤送金ぐらいやる。ただし、ミスは誰もがやる行為だ。そして、システムがなければ「やり様」がないものなのだ。官は、よりシステム化され、不注意も起きる。 二〇一六年、奈良県の市役所で環境部職員らがアダルトビデオ鑑賞室を作ったのは、明らかに確信犯だが、税金を使っているがゆえに、システムの上で発動されたとも言える。 二〇二二年四月には、山口県阿武町で、四六三世帯に向け一世帯当たり一〇万円振り込まれる新型コロナ給付金を、ある世帯だけに、この一〇万円に加えて四六三〇万円を振り込んでしまう。二週間後に町長が「振り込まれた町民に返す意思がなく困っている」と記者会見を開いた。 〈振り込みのミスは、職員が事務処理中にシステム操作を誤ったことが原因とされていて、他の対象世帯への一〇万円の振り込みは既に完了しているということです〉(TBSテレビ、四月二三日) お金の所有という法制度はこの程度の仕組みなのか。四六三〇万をネコババしようとする人間を追い詰める方法は、この国では、村八分であり、世間によるお得意のバッシングである。だが、堅苦しい法制度と暴力的な同調圧力という二つの乖離した方法だけで乗り切る、この国のスタイルは、果たして健全なのか。 二〇〇一年、チリ人女性に入れあげて、青森県住宅供給公社から一四億円を横領した男は懲役刑となったが、受け取ったアニータはその後に、お金を返すこともなく、チリにプール付きの豪邸を建てたと報道されている。 今の人類は、ネアンデルタール人その他の人類と一緒にやっていくことが出来ずに、恐らく滅ぼしたのだろうと言われている。その人類の中での多様性もまた阻害要因として、民族の数は減っている。少数民族は、同化され、滅ぼされ、消えていく。今ある戦争は皆、局所戦で、格差のある経済段階と、文明速度の違う発展段階とで、触れてはいけない同士が、接触してしまって、一方をかつてのネアンデルタール人にしてしまうかのようだ。 時代と共にルールや基準は変わるが、性のアプローチに関しては、今現在の日本は、刻一刻とまさに変わっている真っ只中なのではないか。遊戯の部類も許されぬものへと変貌し、映画界は激震している。欲望の跋扈する世界戦争に、日本が乗っかってしまっては、坩堝の中に飲み込まれ、和魂洋才などといった過去も消えていくだろう。 阿武町の人口は二〇二二年三月一日現在二九七五人、一三四三世帯だ。このうち四六三世帯が一〇万円支給世帯。二〇二一年一二月に成立した二一年度補正予算で、政府は「二一年度時点の非課税世帯」に一〇万円給付の措置を決定した。この非課税世帯という条件は何か。1=生活保護を受けている。2=未成年者、障がい者、寡婦、ひとり親で前年の合計所得金額が一三五万円以下。3=前年の合計所得金額が各地方自治体の定める額以下(東京で一〇〇万円以下)などだ。 あまりに貧しい町に感じないか。三軒に一軒が給付を受ける。だが、これはこの町に限らず、日本の地方のどこの町も似たような状況ではないのか。だとしたら、いったいこの先日本はどうするつもりなのだ。ネコババしたい人間が全国にウヨウヨいるのがこの国の姿だ。各地で四六三〇万詐欺が始まりはしないか。しかも官によって。#METOO。 身だしなみがキチッとしているというのは、本来の形じゃない。無理をしている。ルールであり、システムだ。人間の裏の顔、裸の姿、本質とは、そんなものではない。気前良くお金を出すからといって、その人がケチでないかというと、それは分からない。ケチでないと思わせることに長けた人物かもしれない。受けとる側が、より以上に「長けて」いたとしたら、ケチがばれるかもしれない。しかし、ばれなければケチじゃないのか。或いは、ばれても、お金を払っていれば、結果としては、「ケチ」というカテゴリーに入らないのか。 図書新聞三五四〇号「追悼宮崎学」(米田綱路)に、こうある。被差別部落についてだ。 〈「陰で差別しておったやろ、差別をなくすことにはならへんかったやろ」というが、そんなものは当たり前だと宮崎氏はいう。そして「だが、いま・ここで、行為としての差別をさせないことはできる」と考えるのである。〉 私もそう考える。心の中に黒く染み付いたサラリーマンの奴隷根性など、ちょっとやそっとの刺激や一人二人の同僚の行動ぐらいで変わるはずもない。彼らの奥深くに棲み着いているドス黒く醜い利己霊の塊は、もはやユニフォームであり、符丁のようである。勝手に一人で、エルビス、こすってろ。 だが、それでいい。建前だけでも、ニコニコと挨拶してくれたら、挨拶を返す。ネコババ町民の奥底など変えられないし、ウソをつくのは町民に限らない。私もそうだ。 寄付もしないが、ネコババもしない。 それでも、システムの上で死にたくはない。 (建築物管理) |
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