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評者◆秋竜山
老眼鏡とサル、の巻
No.3549 ・ 2022年07月02日




■眼鏡をかけているのは人間だけである。多くの人が眼鏡を必要としている。そのために眼鏡屋さんが存在するのであるが。動物で眼鏡をかけているのは一匹もいない。動物園にもし眼鏡をしているサルがいたら、みてみたいものである。木に登っているサルもいる。木の上からあやまって眼鏡を落っことす。高い木の上に登っているサルは地上に落っことした眼鏡をスルスルと木からおりて地上に落ちている眼鏡をひろって、また眼にかける。そして、また木の上にスルスルとかけ登っていく。多くのサルは日夜くりかえす。人間の場合は、たとえば人ごみの中で眼鏡を自分の足元へ落っことす。それを隣にいた人にふんずけられてしまう。サルの場合はまずふんずけられる心配はないだろう。だからといって安心できるものではない。他の動物にふみつけられるキケン性がなきにしもあらずだ。たとえばゾウがあの大きな足でということになる。私は、眼鏡を落っことしてレンズを割ってしまったこともあったが、隣にいた人にあやまってふまれてレンズを割られてしまったことがあった。そんな場合は眼鏡屋さんへ行って直してもらうか、それとも買って新しい眼鏡にして眼にはめることになる。動物はそんなことはない。第一、眼鏡など最初からはめていないからである。でも物マネのサルのオリの中で木に登っている猿はどうだろうか。次つぎと眼鏡を落っことすサルを笑いながら見ることになる。ところで、サルが眼鏡を落っことしたのを面白がって笑うだろうか。もちろん人間が落っことしたのを面白いといって手を叩いて笑うことがあるだろうか。人間はサルのそんなところを見て笑いころげたりするが、サルがそんなことをしているところも一度ももくげきしたことはない。動物と人間の大いに違う点である。この前、ひさしぶりに動物園へ行ったが、サルに限らず他の動物でも眼鏡をかけている動物は一匹もいなかった。人間はよく眼が悪くなったといって新聞を眼から遠ざけたり近づけたりするが、新聞を見ないサルにはその必要はないのである。
 谷泰『笑いの本地、笑いの本願――無知の知のコミュニケーション』(以文社、本体二八〇〇円)では、〈事例2 奇妙な老眼鏡を勧める話〉で、
 〈「高橋さんは老眼ですね」と問い、さらに「小さいレンズが下についた老眼鏡がありますね」と言う。男性は、そのあとでさらに「小さいレンズが上にある老眼鏡があったらいいのに」と言うつもりである。つまりここでの「小さいレンズが下についた老眼鏡がありますね」は、それについで言及する予定の(小さいレンズが上にある老眼鏡)対比的なものとして浮き彫りにするための予備的言及として発せられていた。ところが、このことを知らない聞き手の高橋は、「小さいレンズが下についた老眼鏡がありますね」に、「はい」と言うだけにとどまらず、「わたしももってます」などと付け加える。〉(本書より)
 もちろん老眼鏡の下に小さいレンズがついているなどサルはごぞんじない。おしえてあげようとしてもサルは人間の言葉がわからない。サルに話したとしてもサルには言葉が通じない。そもそも〈老眼鏡とサル〉とをむすびつけて語るのはしょせん無理なことである。







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