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評者◆稲賀繁美
La beaute du seuil (境界線上のヤヌスとレンマ)――伊藤ていじ『結界の美‥古都のデザイン』――磯崎新『間 Ma‐espace‐temps』への回路を劈いた幻の名著‥そのフランス語訳の刊行を寿ぐ
No.3548 ・ 2022年06月25日




■秩序は結界をともなう、と前回書いた。人類学でliminalityと呼ばれる概念はArnold van Gennepが提唱しVictor Turnerが彫琢したが、それは通過儀礼において、既存の自己同一性が揺らぎ、だがあらたな境位はまだ確立しない融溶状態、鍛造可能な粘性であり、「敷居のうえ」にある状態を指す。山口昌男の『文化と両義性』は、蓮實重〓らによって、山口の仇敵だったはずのEdward Shills流の「中心と周縁」と混同されたが(『文化人類学事典』弘文堂、2004 該当箇所)、その核心はむしろ「結界」上の通過において現出するヤヌスの双面たる「両義性」にあった。
 日本の空間を司る装置を巡ってこの「結界」の様相を縦横に説いた古典に、伊藤ていじの『結界の美 古都のデザイン』(1966)が知られる。この書物がこのほどフランス語に訳出された。「結界」le seuilに続き「窓」la fenetre、「塀」la cloture、「門」la porteと観察が展開する。とはいえ「結界」は必ずしも歴史的な概念ではなく、後世の仏教的観念がそれ以前の神道に遡及適用された経緯も無視できまい。また伊勢神宮の遷宮に典型的だが、木造建築の造替に伴う世代交代は、西欧世界の建築史を支配する厳密な創建年代をめぐる議論とはソリが合わず、年代不確定な議論は、ともすれば神話的な「開闢」伝説を捏造する「日本人論」nippologiesの嫌疑を招く。
 1960年代の北米体験を通して英語で日本空間を論ずることの困難から、Teiji Itoはウチともソトともつかぬ未分化な空間、例えば深い庇や民家の縁側をgray zone、in‐between‐nessと呼んだ。だが、今回のフランス語訳を主導したフィリップ・ボナンは、伊藤の西洋建築に関する知識が北米に偏り、そのため誇張した日欧対比論に飛躍する傾きを見逃さない。たしかに「窓」を論ずるにも、イタリアのロッジアつまりバルコニー形式が本書の視野からは脱落している。評者として付言するならば、文化的典型を抽出する作業では、外部からの影響や混淆は排除されがちだが、それは往々にして虚構の純粋祖型を措定する逸脱を招き兼ねない。
 近代主義盛期の60年代半ばに刊行された原著は、(欧米読者からみれば)「後半」に岩宮竹二(1920‐1989)撮影の73葉に及ぶ現場写真を掲載する。同時期の石元泰博(1921‐2012)の桂離宮や伊勢神宮の撮影は、モダニスト美学に合致した切断に徹し、装飾的要素を「寄生物」として極力排除した。それは欧米主導の国際様式との親和性を過度に訴え、いわば倒立した劣等意識の糊塗とも無縁ではない。
 北米育ちの石元とは異なり、岩宮は欧米規範の期待の地平に迎合する志向は見せない。とはいえその視線とトリミングとは、結界を幾何学的構図に凝縮し、事情に通じない外国の読者には、周囲の環境への理解が及ばない。編者は遺族から提供された資料を基礎に、原著に撮影された現場をほぼすべて抑え、裏を取る労を厭わない。その結果、岩宮の撮影を許した現場の環境が判明する。同一の視点の確保や、撮影許諾の取り付け、さらにそもそも対象となった建築の同定が、すでに物理的に不可能となっている事例も、逐一報告される。加えて『結界』原著の寫眞が、極力中国起源の湾曲した屋根の形状などを隠蔽している事実も顕になる。21世紀になって編者により再撮影された映像は、半世紀の時の証言ともなる。
 「結界」という主題を「日本人にしか感じられない神秘」から解き放つ――。この翻訳はそうした志向のもとになされた、という。原著もまた「結界」を学術的に確定するというよりは、その発揮する効果の領域、「精神の意思による行為」を多角的に縁取りしたうえで、それを「放生」relacher,releaseする。――あたかも釣り人が釣った獲物をそれと確かめうえで、自由な水中へと放つがごとく――。この放逐の態度そのものが仏語圏の読者を困惑・狼狽させもしよう。だが、編者はそこにこそ本書の教訓を見出している。

*Ito Teiji, La beaute du seuil, Esthetique japonaise de la limite, s/d:Philippe Bonnin, CNRS Editions,2022 なお、本書裏表紙には、いとう・ていじの生没年が(1922‐1970)となっているが、没年は2010年の誤記。日本語の表記とその欧文記載には周到な配慮がなされているが、まま誤謬が散見される。また同じフランス国立科学研究所出版局から先に刊行されたYamauchi Tokuryu,Logos et lemme, trad.par Augustin Berque, 2020は山内得立『ロゴスとレンマ』(1974)の行き届いた翻訳で、原著の難解な箇所の理解にも裨益し、『結界』の両義性、「非即」理解にも不可欠である。木岡信夫の近著『瞬間と刹那――ふたつのミュトロギー』(春秋社、2022)との併読も推奨したい。さらにまた、奇しくも岩宮の『美とかたち』(光村推古書院、2022年)がこの時期に相前後して刊行された。そこには現在絶版の『結界の美』収録の映像も再録されている。







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