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評者◆関大聡
「肯定する文学」と「否定的なものの相続」――バルト以降の文学理論の行方(後篇)
No.3547 ・ 2022年06月18日




■前々回(第二十回)の時評では、八〇年代以降のフランス現代文学を「他動詞の文学」として理解する見方を紹介した。他動詞の文学はテクスト中心主義と距離を置き、主体や世界、歴史を語る。この語を普及させたのはドミニク・ヴィアールだが、その衣鉢を継ぎ『世界を修復する』(二〇一七)を発表したアレクサンドル・ジェファンによれば、現代文学はただ何かを語り始めただけではない。その「何か」の内に傷を認め、その傷を修復するという「ケア」の主題を獲得したのだ。
 「現代文学」という多様で輪郭の不明確な世界に踏み入るための見取り図が、こうして得られたことの意義は大きい。ジェファン自身、自らの試みを「現代的感性の地図作成」と形容していた。だが、彼ら研究者が、現代文学の水先案内人のような役割を買って出るのには、何か理由があるのだろうか。
 ひとつ考えられるのは、近年、実験文学や「理論」の退潮を背景に、「文学の終わり」を語る言説が急増したことである。批評家やジャーナリスト、時には作家自身が、悲観的題名の書籍――W.マルクス『文学との訣別』(二〇〇五)、D.マングノー『聖プルーストに反論する、または文学の終わり』(二〇〇六)、T.トドロフ『文学が脅かされている』(二〇〇七)、R.ミエ『文学の幻滅』(二〇〇七)――を相次いで発表した。もはや紋切型と化したこうした言説を、ヴィアールが編者を務める『文学の(複数の)終わり』(二〇一二)は多角的に検討する。彼は文学の終わりが叫ばれる理由について、ロマン主義に起源をもつ「近代文学」の歩みを「文学」そのものと同一視し、近代に形成された特殊な文学観念の衰退を文学の死期の訪れと合点したためではないかと論じる。旧来の文学観念を離脱してゆく二〇世紀後半以降の文学を、「文学の終わり」論者の批評眼は捉えられない。「彼らの評価基準自体が、現在の文学を読めなくしている」のだ。
 この意味でヴィアールやジェファンの試みは、「文学の終わり」言説に抗して、現代文学を読む新たな評価基準、「ポスト文学」のような消極的な仕方でなく、積極的な仕方で語る基準を作る試みと考えられる。ジェファンの『文学の観念』(二〇二一)は、まさにこの基準の更新を目指した書である。彼によると、「文学の終わり」言説には、「文学の自律性」という観念が内在している。文学は政治や社会だけでなく、著者の社会的自我からも独立して存在するという、こうした自律性信仰――「自動詞の文学」と密接に結びつく――からすれば、現代文学の他動詞性は「文学性」の欠如と見なされてしまう。だが、こうした自律性の観念を相対化し、今日多様化し活況を呈する文学の現在を視野に入れた、「文学観念の拡張」が必要だと著者は言う。正典(カノン)を前提としない文学史の拡張や、世界文学やフランス語圏文学を意識した地理的拡張、動物の生や地球環境などに拡がる主題の拡張、ユーチューブやツイッターまで含む書物の外部への拡張、社会的不平等への眼差しによる政治的拡張、そして誰でも書ける時代ならではのワークショップの開催や小説投稿サイトを含む社会的拡張など、文学は「終わり」とは程遠い展開を示している。
 政治的拡張について、著者は「文学の再アンガジュマン」が生じているとさえ言う。とはいえ、サルトル的な響きの強い「アンガジュマン」(社会参加)の語に対して、現代の作家たちは、たとえ審美的無関心の態度を選ばず、政治との関係を公然と語るにしても、抵抗を示すだろう。ジェファンの最新刊『文学は政治の問題』(二〇二二)は、一九四〇年生まれのアニー・エルノーから一九八六年生まれのアリス・ゼニテールまで、二十六人の作家に投げかけたアンケートの産物だが、多くがサルトル的なアンガジュマンとは別の仕方で文学と政治の関係を考えようとしている。彼らがサルトルとアンガジュマン文学について正確な認識をもっているかは別として、エコロジーや社会問題、移民やフェミニズムに関心を示す作家たちが、それを表現する新たな形式と名称を要求するのは、自然な道理だろう。
 いずれにせよ、現代文学が示すこれらすべての拡がりを無視して「文学の終わり」を憂うには、いくらかの反動的気分が必要に違いない。

 ところで、現代文学を「他動詞の文学」や「ケアの文学」と呼び、概念化に成功したとして、それを評価するしないは別問題である。そんなものは「文学」ではない、という美的判断や、少なくともそれは私が好きな文学ではない、という趣味判断、さらに、ケアの倫理は新自由主義の論理と相性がよく、社会問題を個人の情動の次元に還元してしまう、という政治的判断まで、さまざまな評価・批判の対象になるはずだ。ジェファンもこうした批判は承知で、『世界を修復する』では価値判断を控え、時には困惑を露わにしながら、「現代的感性の地図作成」を試みていた。他方で、『文学の観念』の結語は、現代文学のポテンシャル肯定に向け一歩進んだ感もある。「拡張された文学、目的としてではなく手段として理解された文学。私はそれを予見し、あえて希望しさえする」。
 「あえて」がつこうがつくまいが、基本的にジェファンはポジティヴな論者である。彼が行うのは文学の肯定であり、「肯定する文学」を語る。しかしその肯定性は、文学の近代性が志向してきた否定性と衝突する。世界を語り、自己を語ることへの根底的懐疑こそ、近代文学を突き動かしてきた。ヴィアールもジェファンも、現代文学を「懐疑の相続者」と認めるが、近代文学に親しむ限り、「文学の終わり」を憂わずとも、現代文学の肯定性に一抹の居心地悪さを拭い切れなくなる。
 『二〇世紀フランス文学』(一九九八、邦訳二〇〇八)の著者ドミニク・ラバテ(一九六〇‐)は、近代文学の優れた読み手のひとりであるが、否定性と肯定性の関係を、ジェファンと別の仕方で主題にしてきた。文学的近代の極北にある否定性は、アフリカに発った詩人ランボーのように沈黙する作家、書くことを放棄する作家を理想としてきたが、他方で書くことを断念せず、さまざまな実験、豊かな作品を産み出してきた。作家デ・フォレを扱った一九九一年の最初の著作で、「純粋な否定性と逆説的な肯定性の間での躊躇」と綴って以来、ラバテは、否定性の強迫が逆説的にも肯定性に変貌する語りの実験を研究し、その実験形式を「レシ」と呼んだ。語ることの困難、言語の本質的欠陥は、物語の企てを無効化しない。むしろ言葉の不完全さは、私たちの生そのものの不完全さを歪めることなく映し出す。この搾り出されるような肯定の論理は、道徳哲学的な文学論への応答として執筆され、文学を「倫理的問いを開陳し、実験する場」と認める、『小説と生の意味』(二〇一〇)にも見出される。
 否定性を経由し逆説的に肯定に至ろうとするラバテの身ぶりは、極めて近代文学的である。彼の見立てでは、ジェファンが線を引くほど近代文学と現代文学の間に相違はなかろうし、近代文学は、死や終わり、沈黙や不可能性に直面しつつ、現代に延命するだろう。『不可能性の情熱』(二〇一八)もそうした視点から書かれている。「近代性は不可能な文学の探究とともに始まった」というバルトの引用から始まる同書は、この不可能性との対峙こそ、やはり逆説的に、二〇世紀の数々の物語を産んできたと主張する。
 それは、さほど衒いなく肯定性について語る強みをもつジェファンの読解とはまるで視点の異なる、ほとんど対極のものに思えるかもしれない。実際、両者の見立てには埋めがたい溝も感じられる。だがラバテは、やや牽強付会な仕方であるが、ジェファンの「治療的転回」を評価しつつ、その転回も「不可能性との関係を別の仕方で提起する」ものだと評する。他方でジェファンも、ラバテが語る否定性には肯定的性格、「無用の用」のごとき有用性が存在すると看取し、自説に引き付ける。否定性と肯定性の相克は、「書く」の自動詞性と他動詞性の相克がそうであるように、互いを補完し合うところがあるのだ。
 ヴィアール、ラバテ、ジェファン、どの論者にも程度の差はあれ二正面の作戦が見出せる。それは、利他的な有用性・肯定性への舵取りをひとつの傾向として認めつつ、同時に否定性のための場所を確保することである。たとえ現代が徐々に否定性を手放しつつあるかに見えても、「否定的なものの相続」が問いとして残るのは変わらない。「否定的なものの相続」、ラバテが用いたこの言葉は、二十一世紀の文学のためにも銘記されておくべきだと思う。それはバルトのように、自動詞と他動詞の間でためらうことを意味している。「「書く」は他動詞か?」という問いは、疑問符を取り去ることなく、問いかけとして保たれねばならない。
(フランス文学・思想)







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