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評者◆凪一木
その146 私は暴力反対だ。
No.3547 ・ 2022年06月18日




■映画俳優で監督の榊英雄に関する『週刊文春』報道に始まった、映画制作環境での性強要問題だが、様々に波及し、労働の根源的な大問題となっているはずなのだが、温度差がある。特に映画雑誌が情けない。
 セクハラ・パワハラの問題は簡単ではない。まず、被害を大なり小なり受けた側は、そもそも受けるだけの狙われた羊であり、暴力的な弱者であり、力を持ちにくい。
 はっきり言うと、怒鳴り声に弱い。暴力の行使者は、動物の本能の一つを人間も発揮し駆使していると言える。その上で動物段階での強者だ。一方の受ける側は弱者ということになる。いや、本当のことを言えば、配慮する側であって、動物の暴力の醜さを軽減する側にいる。醜さを気付かせる側にいる。当然恥じるべきは、暴力を振るう側だ。だが、他の動物を征服し、地球を侵食して生き延びた力の理由の一つに、暴力があるのではないかと考える者もいて、その矛先が自分にさえ向かなければ、称賛もする。
 出来れば、人間のなかの「破壊し、闘争し、強姦し、パワハラする部分」。それらをどう抑えていこうか。そちらに考え方を変えていかなければ、人類は、総体としても、もちろん暴力を受ける側も、幸福にはなれない。
 この文章を書くのに何週間もかかった。見えない傷跡で身体がスッキリしないのだ。過去に受けた暴力の苦みが蘇ってくる。文章と感情とをなるべく一致させようとすると、体力を使う。私が暴力を飛び切り受けやすいというわけではない。だが、暴力の行使者を見分ける力はあると思う。その上で、普通は相手にしないが、私は相手にする。「相手にしても時間の無駄だ。徒労だ。ほかのことに人生を使え」。そう言われる。果たしてそうか。結論から言えば、解決にまで至らなくとも、多少はどうにかなる。
 睡蓮みどり氏のツイッターを見た。〈図書新聞3537号での連載「シネマの吐息」に「映画界における性暴力被害の当事者のひとりとして」という文章を書きました。榊英雄氏の件です。自分の署名で残るかたちで書くべきだと思ったので、この連載枠の中で書くことにしました。榊氏の件は自分も性暴力を受けた側で当事者になってしまったこと、また俳優の木下氏の件についてもあちこちから話を聞いていたので知っていました。それでも自分には何も変える力がないからと黙っていたことを恥じています。その間に被害を受けた方が多くいたことを知り、いたたまれない気持ちです。〉
 本紙連載も私は読んでいる。家族も含め我がことである。暴力を、ハラスメントを、「しない」「させない」「育てない」。この最後の育てないというのが、一番難しい。私の現場での功利的なフェラーリや気弱で戦略的なマーシーが、「抵抗しない」というこ
とは、無敵のサイコパスや昭和のパワハラを受け継いだ8時半の男たちを助長し、「育てている」とも言えるからだ。
 受けた側は、生活する気力も、生きる能力さえ奪われ、削がれ、自分自身が消滅の危機にあるのだから、まして逆襲などできようもない。またその被害の申告にしても、戦略的なやり方に達しないことの方が多い。悪の側に加担するセカンドレイプとしての悪がいることが一つの壁となっている。
 「凪さんもやり過ぎではないか」「凪さんの方にも非がある」。それらの詰まらない言葉との対決が待っている。とてもじゃないが、なかなか一人で闘っていくなど無理だ。だからこそ、仲間を見つけ出し、分厚く展開し、かつ人生の時間内で、ある程度の成果を見ることで決着させるしかない。
 一定数、悪い奴は、どんなに浄化しようともいる。働き蟻と怠け者(結果的正直者とフリーライダー)がある割合で存在するのと似ていて、減らしても、減らしても、悪人は生まれる。ただ、努力次第で、減ることは確かだ。
 全廃されるとか、なくなるなどと考えているわけではない。私が悪人でない、とも書いていない。脛に傷だらけだ。だが、「悪人がいなくなることはない」というその言葉で、「何もしない人間の方が、無駄な徒労もなく、賢明だ」みたいな言い草が、私には気に障る。
 暴力や搾取を許す側に回ってはいけない。「俺は聖人君子ではない」と言って、自分の悪を認めさせようとする輩を昔から見ている。聖人君子どころか、そいつは、かなりな悪人じゃないか。少々の悪を抱えていても、なるべくは手を染めまいと心掛ける人間は、そんな台詞は吐かない。つまり、「一掃なんかできない」と言って、極端な正論に目を向けさせて煙に巻く手法は、悪に加担する自身の弁明である。
 かつて最大のパワハラ現場だった病院で、元工場長をやっていた男が説教臭い弁明をしていた。「凪さん、俺だって好きでペコぺコしているわけじゃない。身を護るためにやっているだけなんだ」。だったら偉そうに言うなよ。こちらの闘いを阻害してもいるんだよ。
 「芸能界から、悪を一掃しようとしても無理だ」などという言葉も、悪人が自ら言うのなら、それは常套手段だろう。だが、乗せられて、悪をはたらかないような者までが、それを言いだしたら、この世も終わりだ。
 「完璧な人間などいない」と言って、かなりな出鱈目をはたらく人物の実例を、ずいぶんと見てきた。「完璧でなくとも、できるだけ悪事をはたらくな」と声を上げることは、そういった彼らを恐怖させるのに、かなりの力になると思う。セクハラも、たとえ環境が整っても、周囲に許す空気がなければ、やらないという。
 週刊文春のA~I子さんはみな、匿名だ。その後に続いた石川優実、斎藤ボタン、睡蓮みどりは実名だ。騒いだり、問題を明確にしたり、話題にすることによってでも、社会に一定数いる、その類いの人間への抑止力にもなる。また予備軍の慢心を止める効果にもなり、彼ら自身の加害行為の予防になると、私は思う。
 園子温の映画は観ない。被害者を傷つけることになるからではない。他人を奴隷として使えば、芸術でも、戦争でも、高尚と思い込む遊戯でも、人体実験でも、何でもできる。そういう行為に、思想に、加担したくない。だから、観ない。ただそれだけのことだ。
 自分の体を傷つけるドーピングでも競技出場「失格」なのに、他人を傷つける暴力で描かれた作品など観るものか。無視もまた、予防だ。
 暴力の張本人に対して、言葉を投げるつもりはない。いじめられる人間の気持を無視してきた連中に言いたい。
 せめて、弱者の抵抗の邪魔をするな。(建築物管理)







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